92 王宮へ赴きましょう
庭先の花が咲き乱れ、穏やかな風に甘い匂いが運ばれる。学園が始まる前の休日。エリーナとクリスは王宮に会食に呼ばれていた。
遡ること一か月前。春休みが少し過ぎた頃に難しい顔をしたクリスが、手紙を持ってエリーナの自室に入って来た。そして重い口調で「王宮から会食に招かれた」と手紙の内容を伝えてきたのだ。王宮の会食。つまり陛下との食事会だ。エリーナもポカンと口を開けてクリスを見つめ返す。どうしてそうなったのかがわからない。
断ることもできなくはないが、光栄な機会だ。ジークからの手紙も同封されており、一緒に食事をしたいだけだから気軽に来てほしいと書かれていた。国の最高権力者との食事に気軽に行ける貴族はいない。
「お断りは……できないわよね」
「行くしかないね」
クリスは仕方がないと会食に向けた準備を始め、とうとう当日を迎えたのだった。
エリーナは馬車に揺られながら、本日何度目かのため息をついた。新調したドレスは春先に咲く花を意識した淡い薄紫のものだ。腰の後ろにリボンがついており、控えめなフリルがつつましい印象を与える。
どう見ても乗り気ではないエリーナを見て、向かいに座るクリスは困ったように眉尻を下げた。
「エリーは演技派だから問題ないけど、そんな顔王宮に着いたら見せないでね」
今日はクリスもしっかりと正装をしており、パリッとしたスーツの胸元にはエリーナがあげたブローチが光っている。
「もちろんよ。完璧に演じきってみせるわ」
悪役令嬢人生が豊富で長年貴族として生きているエリーナでさえ、王との会食は気が重い。マナー、話題、気遣いと普段の食事の何倍も疲れるのだ。ため息もつきたくなる。
「頼りにしているよ」
そう言うとクリスはポケットから懐中時計を取り出して開き、時間を確認した。
「時間はまだあるから、ゆっくり気持ちを落ち着けたらいいよ」
「あら、クリスってそんなもの持ってたのね」
初めてみる懐中時計を、エリーナは珍しそうに身を乗り出して見た。誰かの贈り物というには少し古びた懐中時計だ。使い込まれており細かい傷や見て取れる。
「これは、ローゼンディアナ家の当主の証だよ。ディバルト様から託されたんだ」
クリスから手渡された懐中時計をエリーナはまじまじと見る。
「本当ね。家紋があるわ」
祖父がこれを持っていた記憶はないが、当主としての身分を示すときに使われるのだろう。
「僕は代行という立場だから普段は身に着けていなかったのだけど、今日は陛下との会食だから念のためね」
エリーナはふ~んと返事をして、懐中時計をクリスに返した。そしてそんな話をしているうちに、馬車は王宮へと到着したのだった。
さすが王宮とあって、食事を摂るための長机は屋敷のものよりずっと長い。三十人ぐらいが余裕で座れそうだ。その両端に、というわけにもいかないので席は中央に四席設けられている。エリーナは従者によって引かれた椅子に腰かけ、キラキラと光るカトラリーに視線を落とす。食器や花瓶一つをとってもそうだが、部屋全体が煌びやかで気が引けてくる。
(気合を入れるわよ! 今までにも何度か王族と食事をしたことくらいあるでしょ!)
気後れしている自分に活を入れ、隣に座るクリスの表情をチラリと伺った。彼はいつもと変わらず、落ち着いた表情をしている。不安そうな表情を向けるエリーナに気づき、顔を横に向けてにこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。僕が傍にいるから」
「ありがとう……わたくしは極力置物になるわね」
いくら今まで悪役令嬢を演じていてもそれはオートモード。今のエリーナに王族に立ち向かう度胸はない。
(あ……別に立ち向かう必要はないわよね)
つい断罪シーンが頭によぎってしまい、エリーナは水を飲んで頭を冷やした。
そうしていると、侍女がドアの前に立ち陛下たちの入来を告げ、ドアを開く。二人は立ち上がり挨拶をしようとするが、王は手を軽く挙げてそれを制した。
「そのままでいい。今日は気兼ねのない会食だからな」
王の後ろにはジークもおり、顔が少し強張っている。緊張でもしているのだろうか。
そして王とジークが向かいに座り、緊張に満ちた会食が始まった。




