86 絵を描いてもらいましょう
そして一週間後、シルヴィオはお供を一人連れてローゼンディアナ家にやって来た。この一週間彼の行動を見たり、流れてくる噂を聞いたりして思ったのは、行動力がありすぎるということだった。西の国の第二王子という重い身分だが非常に身軽であり、あちらこちらで絵を描く姿が目撃されている。
王族専用の馬車で来たシルヴィオは、エリーナが待つサロンにクリスと共に入って来た。いつ見ても煌びやかであり、何故この人が描かれる側ではないのかと何度も思う。
「エリーナ嬢、今日は一段と美しいね」
「いえ……本日はよろしくお願いします」
テンションの上がらない声で答え、挨拶をしたエリーナの衣装は気合が入っていた。もちろん、クリスとサリーによるものだ。ラベンダー色のドレスに身を包み、磨き上げられたアメジストが胸元と耳に光っている。髪はハーフアップにされ、サイドは編み込まれていた。飾りもキラキラと眩しい。
「僕に会うために着飾ってくれただなんて、このまま連れて帰りたくなるぐらい可愛いね。君が手を取ってくれるなら、僕は喜んで迎え入れるよ」
「殿下……くれぐれもお口と行動をお慎みくださいね」
クリスはエリーナが描かれるところを見たい、二人になんてさせたくないとごねていたが、手が離せない仕事があるらしくすごすごと書斎へ戻っていった。もちろん完全な二人っきりではなく、サリーもいれば王子のお付きもいる。
そしてお付きの人は手早く絵を描く道具を準備し、エリーナは王子に示された場所に座る。シルヴィオはキャンパスがはまったイーゼルの向こうで椅子に座り、構図を決めていた。頬にかかる髪を右手で耳にかけると、ピアスが揺れる。
貴族であれば絵を描いてもらうというのは珍しいことではない。だが、エリーナにとっては初めてだった。祖父はあまり絵が好きではなかったのか、自身が若い時のものとエリーナの母親が若い時のものしかない。ご先祖の絵があるはずだが、本邸のどこかに眠っているそうだ。
エリーナは椅子に腰かけ、姿勢を正す。絵を描かれるというのは優雅なものだが、ポーズをする側は辛い。座っているだけだが集中しなくてはならず、眠気とも戦わなくてはならない。
「エリーナ嬢。気楽にしてくれていいよ。顔さえ描ければ後は何とでもなるし」
シルヴィオは、話ながら描くタイプらしくチラリと視線をエリーナに向け、甘い笑みを浮かべた。
「自然な、くつろいだエリーナ嬢の姿が描きたいんだ。そうだね、ロマンス小説を読んでいる時みたいにさ」
それなら暇つぶしも兼ねてロマンス小説を持ってきてほしいが、小説を持っていると絵のタイトルが変わりそうだ。エリーナは肩の力を抜き、自然な状態でシルヴィオに視線を送る。彼はこちらに視線を飛ばしながら、描くために加工した木炭で輪郭を取ると、筆に持ち替えて彩色を始めた。
「ねぇ、エリーナ。あの怖いお兄さんに苛められてない?」
「そんなことありませんよ」
「本当? 彼、何考えているかわからなくて怖いんだけど」
少し不満げなシルヴィオに、エリーナはクスリと笑った。
「とても優しくしてくれていますよ。大切な家族です」
シルヴィオはエリーナをじっと見つめ、ふいと視線をキャンパスに戻す。
「そう。ならいいけど……エリーナ嬢は、婚約者はいなかったよね」
「はい。でも来年の卒業式までには決めようと思っています」
「へぇ……じゃぁ、まだ僕にもチャンスはあるのか。アスタリア王国に来ない?」
どう? とデートにでも誘うかのように訊いてくる。エリーナは笑みを浮かべて、
「クリスが悲しむからそんなに遠くへはいけませんわ」
と返した。そして呆れた顔で言葉を続ける。
「それに、殿下は本気ではないでしょう?」
一年以上攻略キャラたちから好意を寄せられれば嫌でも気づく。彼らの瞳は熱を持っている。こそばゆく、心が温かくなる熱だ。シルヴィオの場合その顔の破壊力ゆえに、心臓は飛び跳ねるが温かさは感じない。熱がないのだ。
彼は筆を動かしながら軽く笑う。
「まぁね。僕だって一生の伴侶はじっくり決めたいし」
「お戯れがすぎますわ」
「ごめんね、でもついからかいたくなるんだよ。クリス殿を」
ここで予想外の名前が出てきて、エリーナは目を瞬かせた。
「クリスを?」
「そう。ああいう、何でもできそうな人の化けの皮、はがしたくならない?」
「化けの皮?」
確かにクリスは万能すぎて時々怖いが、何かを隠しているようには見えない。腑に落ちないエリーナに、シルヴィオはくつくつと小さく笑う。
「でも、一番は八つ当たりでね。初めて見た時、彼の髪色を羨ましく思ったんだ」
髪色と言われて、エリーナは彼のオレンジの髪に視線を向けた。この国では珍しい、夕日のような優しい色だ。
「僕の国では、クリス殿みたいな赤髪金目が多いんだ。特に男たるもの赤髪金目だ! って風潮があってさ、王族であれば特にね」
エリーナもそれは理解できる。ラルフレア王国でも、王族の特に男性は銀髪である方が歓迎される。王族としての格を示すためであり、象徴的な役割を果たすからだ。
「僕は母上に似てね。完璧な美を生み出してくれたから恨んではいないけど、ちょっと意地悪したくなったのさ」
馬鹿馬鹿しいだろとシルヴィオは自嘲気味に呟いてから、ふっとおかしそうに噴き出した。
「でも、兄上は父親似でさ。美の欠片もない赤髪金目の大男なんだよね」
兄のことを思い出しているようで、静かに笑って筆先を震わせていた。その話にどんな人だろうと興味が湧く。そしてエリーナの興味は自然と存在を聞いていた第三王子に移った。
「第三王子殿下はどちらに似ておられるんですか?」
するとシルヴィオは顔を曇らせて、キャンパスを見つめたまま答える。
「弟は腹違いでね。髪と瞳は父親譲りで顔は母親似だ。領地にひきこもりっぱなしで、自由な奴だよ」
聞いてはいけなかったかなとエリーナが申し訳なさそうな表情を浮かべれば、シルヴィオは気にしないでと空いている左手を軽く振った。
「そうだ。今度はエリーナ嬢の話を聞かせてよ。クリス殿との話」
そう話を振られ、エリーナは思い出話をいくつかする。懐かしさで自然と笑みが零れ、いい顔だねとシルヴィオも微笑んだ。そして他愛のない話をしていると時間は過ぎ、シルヴィオは満足げに頷いて筆を置いた。書き始めてから二時間が経っている。
「いい出来だ」
「動いてもいいですか?」
「あぁ、ありがとう」
エリーナは立ち上がり、固まった体を伸ばしてほぐすと期待に胸を弾ませてシルヴィオの後ろに回った。できたばかりの絵に目が吸い込まれる。
「わぁ……」
そこには今にも飛び出してきそうなエリーナがいた。透けるような白い肌に、プラチナブロンドの髪は立体感がある。アメジスト色の瞳は美しく宝石のようで、穏やかな微笑を浮かべていた。背景は淡く彩度を落としてほの暗くしており、エリーナを引き立てている。素晴らしい腕前だ。
「美化しすぎではありませんか?」
「まさか。僕が美しいと思ったものを表現しただけさ」
そして早速クリスを呼んで絵を見せれば、彼もその出来に絶句した。何度か絵と王子を視線が行き来している。
「殿下……ありがとうございます。正直、ここまでの腕前とは思っておりませんでした」
クリスが正直に感想を述べれば、シルヴィオは軽快に笑った。微塵も気分を損ねていない。
「最高の誉め言葉だよ。僕は約束を果たしたから、今度はクリス殿も約束を守ってね」
「あら、何を約束されたんですか?」
しっかり交換条件を出されていたらしい。気になってクリスを見上げると彼は決まりの悪そうな表情をして、視線を逸らした。それを見て、シルヴィオはふふっと笑みを零す。
「僕の絵を気に入ったら、絵のモデルになってもらう約束なんだ。さ、次はクリス殿の番だよ」
「で、殿下……今日はお疲れでしょうし、またの機会に……」
「僕が絵を描いていて疲れると思ってるの? むしろ元気になるよ。さぁ早く」
あれよあれよという間にクリスは椅子に座らされ、シルヴィオは新しいキャンパスに下書をしていく。それをエリーナはシルヴィオの後ろから見ていた。サリーに椅子とサイドテーブルを用意してもらい、優雅にお茶をいただきつつ肖像画の完成を見守る。
そして小さめのキャンパスは一時間ほどで完成し、シルヴィオはいい時間だったとクリスの肖像画と最後に談笑しながら描いたエリーナの似顔絵を持って帰っていった。なんでもこの国で親しくなった人は絵にして思い出に持って帰るらしい。
モデルとなった二人はどこか疲れを感じ、早めに休もうと自室に向かうのだった。




