82 卒業を祝いましょう
季節は過ぎ、冬の始まりが近づいてきた。そして、頬に当たる風が冷たくなってきた今日、学園では卒業式が行われたのだった。式に在校生が出ることはなく、その後のパーティーに招待があった場合出席するぐらいだ。ご令嬢方はパーティーの付き添いとして声がかからないか、誰かに招待されないかと騒がしかった。それほど卒業パーティーは大きなイベントらしい。
ルドルフは首席で卒業し、式では代表挨拶をするそうだ。エリーナは卒業パーティーに誘われるかもしれないと思っていたが、ルドルフから届いたのは別の招待状だった。学園の卒業パーティーではなく、翌日行われる公爵家での夜会のお誘いである。クリスも一緒であり直接お祝いを言いたかったので、快諾したのだった。
明日のドレスを選ぶサリーたちを見ながら、エリーナはのんびりとお茶を味わう。在校生は休みであり、エリーナは服選びに付き合わされていた。
(あと一年ね……)
おそらく卒業パーティーが一つの区切りになるだろう。ゲームではその後も少しストーリーがあるようなので、すぐ終わりにはならないだろうが……。
(隠しキャラが出てくるとなると、卒業式が終わったら新しく出てくるのか、それまでに現れて正式にそのルートが解放されるってことかしら)
だがエリーナにはそのルートを選ぶつもりはなく、ならどうするつもりかと自問自答を繰り返す。ベロニカとリズには鈍いだの亀だの散々言われているが、エリーナも少しずつ恋心は分かってきた。まだ親愛のレベルだが、一緒にいると楽しく胸が温かくなったり、ふとした仕草に惹かれたりする。リズには「嫉妬をして初めて恋になるのよ」と言われたため、まだ恋心には遠いのだろう。
(それが終わったら、新しい悪役令嬢かしら……)
チクリと胸の奥が痛む。
(もう、10年もこの世界で生きたのね……さすがに寂しくもなるわ)
「お嬢様、こちらでいかがですか」
考え事をしていたエリーナは、ハッと我に返って用意された衣裳に目を向けた。淡い青と水色が美しいドレスで、チュールにはビーズがたくさんつけられている。
「えぇ、いいと思うわ」
そしてその夜、サリーたちに入念に顔の手入れをされ、翌日を迎えたのだった。
この日の夜会はもちろんルドルフの卒業を記念したものであり、名だたる貴族の方々がお祝いに駆けつけていた。さすがは二大公爵家の一つである。エリーナはクリスにエスコートされて進み、クリスがドアマンに招待状を渡せば、家名が読み上げられて人々の視線が飛んでくる。その中を歩いて行けば、すぐにルドルフの姿を見つけることができた。挨拶の波に揉まれていると思いきや、案外自由が利くようだ。
「ようこそ、クリス殿、エリーナ嬢」
「ルドルフ殿、卒業おめでとうございます」
「卒業おめでとうございます」
簡単にお祝いの言葉を述べれば、ルドルフは「ありがとう」と穏やかに微笑んだ。話を聞けば、今日は昼間にもお祝いの席を兼ねた茶会を開いたため、夜会ではそこまで忙しくないらしい。つまり、自由に動けるということで……
「クリス殿、少しエリーナ嬢とお話をしたいのですがよろしいでしょうか」
「今日は祝いの場だからね、ゆっくりと話せばいいよ」
そうクリスに送り出され、エリーナはルドルフに手を取られて歩き出す。ご令嬢方の視線が飛んでくるが、気にしたら負けだ。
そしてルドルフに連れられた場所は、月明かりが照らす庭園だった。双子と一緒に遊んだことがある場所だが、夜になるとまた違う景色になる。少し風がひんやりとするが、先ほどまで会場の熱気を感じていたため心地よい。涼しい風が花の香りを運んでいた。そこを散歩しながら、ルドルフが口を開く。
「エリーナ嬢、今日の君もとてもきれいだよ」
「ルドルフ様も素敵ですわ」
そんな何気ない賛辞が心を温めてくれる。彼らと関わってきたからこそ、感じ取れるようになったことだ。
庭園に人気は無く、屋敷からは弦楽の音色が聞こえてくる。ここだけ切りとられたように、静かだった。
「でも、よろしかったんですか? 夜会の主役が抜け出して」
「かまわないよ。一通り挨拶は終わったし、彼らの目的は父上たちと繋がりを強めることだからな」
それに、とルドルフは言葉を区切って立ち止まった。そこは芝生が広がっているところで、周りを低い木々に囲まれている。
「こうやって思いを寄せる人が来てくれたんだ。独占して何が悪い」
独占という言葉に心臓が跳ねる。ルドルフの端的な言葉は、エリーナの胸に強く響く。ルドルフは眼鏡の奥の紫の瞳を細め、微笑を浮かべた。
「エリーナ嬢は、卒業パーティーのジンクスを知っているか?」
「ジンクスですか?」
情報に疎いエリーナは知らなかったので、素直に首を傾げる。
「パーティーで選んだエスコートの相手とは一生一緒にいられるらしい」
「一生……」
どうりで令嬢たちが鼻息荒く、声がかかるのを待つわけだ。その謂われがあることも、卒業パーティーまでに結婚相手を決めることに繋がるのだろう。
(でも私は、これが終わったらきっと次の悪役令嬢が始まる……)
一生なんてありはしないのに、その言葉は甘い砂糖菓子のようにエリーナを誘惑する。
「今回エリーナ嬢を誘いたかったが、抜け駆けするのもどうかと思ったからな。来年、君の卒業パーティーで正式に申し込むとするよ」
ちなみにルドルフの付き添いはベロニカに白羽の矢が立ったらしい。結婚相手以外をエスコート相手に選ぶ場合は、近親者かすでに婚約者がいる人に頼むのが恒例だそうだ。面倒くさそうに付き添い役を引き受けたベロニカの顔が浮かんだ。
そして自信ありげな笑みを浮かべたルドルフに手を取られる。
「それに、もう一つジンクスがある。卒業パーティーでダンスを踊った人とは、一生縁が切れないらしい。だからエリーナ嬢。今日、俺の卒業を祝う夜会で一曲踊ってくれないか?」
月の光は妖艶なルドルフの笑みをさらに麗しいものに引き上げる。ルドルフは軽くかがんでエリーナの手の甲に口づけると、熱のこもった視線を向けた。
(その目はずるいわ……)
そんな目で見られたら、断れるはずがない。エリーナがこくりと頷けば、手を引かれて腰に手を回された。そしてそのまま、屋敷から流れる曲に合わせてステップを踏んでいく。
ルドルフとは何度も踊ったことがある。こちらを気遣ってくれる優しさがありながら、美しいステップで一緒に踊っていて心地がいい。月の光に花の香り、美しい庭園の景色に包まれて踊る。
「エリーナ嬢、これからは学園で顔を合わせる機会は減るが、その代わり直接貴女の時間をもらいにいく。だから、大人しく待っていてくれ」
そう言って曲の終わりにもう一度手の甲に口づけをするルドルフは、どこまでも余裕のある大人で、エリーナは気恥ずかしくなりながら頷くしかなかったのだった。
そして、庭園が見渡せるテラスには二つの影があった。ワイングラスを片手に欄干に肘をついているクリスと、閉じた扇子を遊ばせているベロニカだ。二人ともエリーナがルドルフに連れていかれるなり、テラスに出て一部始終を見ていた。保護者を通り越しているが、二人とも互いの行動には一切触れない。
エリーナたちが屋敷の方へ引き上げてくるのを見届けて、ベロニカは面白くなさそうなクリスへと視線を向けた。
「クリスさんはどうするの? あの子、取られちゃうわよ」
「エリーの判断に任せるさ」
クリスはエリーナから目を離すことなくそう答える。その様子に、ベロニカはあらあらと目を細めた。
(あんなに殺気だった顔をしていたのに、いつまで家族ごっこを続けるつもりなのかしら)
ベロニカにすればエリーナの鈍感さもじれったいが、クリスの隠しきれていない本音も見ていて苛々する。もどかしいったらありゃしないのだ。
「あら、なら私も名乗りをあげようかしら」
扇子の先を口元に持ってきて、意地悪な笑みを浮かべる。そこで初めて、クリスはベロニカに視線を向けた。
「それは……やめてくれないか。エリーは喜んでついていきそうだ」
少し情けない顔をしているクリスに、ベロニカはクスクスと小さく笑う。
(エリーナは、クリスさんがこんな顔もすることを知っているのかしら)
常に優しい笑みを浮かべ、先を見通しているような余裕を感じさせるが、エリーナの表情にその選択に心を乱されている。
「まぁ、もう少し様子を見てあげるわ」
そして二人は広間へと戻り、何食わぬ顔で帰って来たエリーナとルドルフを迎えるのであった。




