77 先生と思い出話をしましょう
その夜、エリーナは庭園でベンチに座り涼んでいた。ラウルを交えた夕食が終わり、おいしくお酒もいただいた。少し体が熱くなったので、風に当たりに来たのだ。そよりと風が吹き、虫の音が風に運ばれてくる。月も綺麗で、心が解されていく。
そして虫の音に交じって土を踏む音が聞こえ、懐かしさを感じながら振り返った。
「ラウル先生」
「エリー様、いい夜ですね」
ラウルが家庭教師として一緒に住んでいた頃は、こうして庭園で話をすることがよくあった。その時と同じように、ラウルは一言断ってからエリーナの隣に座る。
「先ほどのお話、とても面白かったわ。外国に行ってみたくなったもの」
「それはよかったです。機会があれば、一緒に旅行しましょう」
「あら素敵。研究旅行ね」
助手をするわと意気込むエリーナに対し、ラウルは微笑ましそうに目を細めた。
「なんだか懐かしいですね……」
「そうね……先生の授業も遊んだことも全部楽しかったわ。あ、でもごめんね。苦手なのに演技に付き合わせて」
ぎこちなく演じるラウルを思い出して、エリーナはくすりと笑いをこぼす。それを受けてラウルは苦笑を浮かべていた。
「最近はしていないんですか?」
「えぇ。家でしなくても外で……もしてないわよ」
外での辺りでラウルが目を見開いたので、エリーナは慌てて言葉をすり替える。脳裏にはしっかり小物の侯爵令嬢の一件と南の王女の一件が浮かんでいた。
「悪役令嬢は今も好きなんですか」
「もちろんよ」
きっぱりと言い切るエリーナに、ラウルはもう諦めたと表情を変えることはなかった。
「好きなものにひたむきになれるのが、エリー様のいいところですね。とても眩しく思います」
「あら、先生だって歴史に対して真剣に取り組んでるじゃない」
エリーナは何気なくそう返したが、それに対して返って来たのは沈黙だった。ラウルは物悲しそうに眉尻を下げ、静かに首を振る。
「私は、好きという気持ちだけではないんです。きっと、意地なんでしょうね。虚偽に塗れた歴史を正したい、隠された真実を暴きたい。そんな薄汚れた感情ばかりですよ」
ラウルの藍色の瞳は陰っており、その奥に真実が眠っているような気がした。きっと、今回の旅で何かを見てきたのだろう。エリーナはそこに立ち入ることはできず、ただ相槌を打つ。珍しく感傷的なのは、夕食で少しお酒を飲んでいるせいもあるだろう。
「それに、歴史の真実というのは時に残酷で、人々にとって受け入れられないこともあります。それは気を付けなければ、関わった人たち全てと共に闇に葬られてしまうような、危険なものです」
もしそんな事実を知ってしまったなら、人は耐えられるのだろうか。エリーナはラウルがその状態にいるのではと不安に思い、心配そうに彼を見つめた。それに気づいたラウルはふっと笑みを浮かべて「大丈夫ですよ」と、優しい声を出す。
「歴史学の道に進んだ時に、覚悟はできていますから」
遠くへ行ってしまいそうな寂し気な表情に、エリーナはラウルの腕を掴んだ。なぜか、今引き留めないといけない気がしたのだ。
「先生。私は歴史より先生の方が大事よ。だから、無理はしないで」
「えぇ、わかっています。それでも、欲しいものがあるんですよ」
そう言ってエリーナを見つめるラウルの瞳は熱を帯びており、少し潤んでいる。それが艶っぽく、大人の色気を醸し出す。ドキリと少し心臓が高鳴った。
「……欲しい物?」
「えぇ……今のままでは手に入れられないので」
エリーナは何だろうと気になって質問しようとしたが、先にラウルが人差し指を立てて口元へ持っていった。秘密、ということらしい。エリーナは少し唇を尖らせたが気を取り直し、にっと口角を上げた。
「まぁいいわ。先生のこと応援しているから、先生がやりたいことをすればいいと思うわ」
「……えぇ。もちろんです」
不敵な笑みを浮かべたラウルが少し気になったが、エリーナはラウルが楽しいならいいかと流す。
「エリー様」
少し顔を近づけて囁いたラウルの声は甘い響きを持っている。
「私、エリー様と同じで諦めが悪いんです。だから、やり遂げますよ」
「えぇ、その意気よ。私も悪役令嬢としてのプライドを胸に頑張るわ!」
そんな少しずれた返答に、ラウルは噴き出した。そしてむくれるエリーナを宥め、屋敷へ入ろうと手をさし伸ばしたのだった。
夏の夜の一幕。だがそれは、後に歴史が覆される一つの布石であった。




