76 先生の土産話を聞きましょう
夏休みに入ってから、ラウルからは頻繁に手紙が来ていた。なんでも研究の一環で南の国と西の国を回っているらしく、そこで見聞きしたものを書き留めて送ってきてくれているのだ。エリーナはクリスと二人、興味深くその手紙を読んでいた。
そしてそのラウルが一か月の旅程を終えて帰って来てすぐに、ローゼンディアナ家を訪ねて来たのだ。お土産にと各地の特産を持ってやってきたラウルは少し日に焼けていた。
「ラウル先生! 長旅でお疲れでしょ?」
「先生、旅先からの便りを楽しく読ませてもらいましたよ」
二人はラウルを迎え、サロンでお菓子や果物をつまみながら談笑することにした。
「すごくおもしろい旅になりました」
ラウルは各国の図書館で資料を読み、研究対象である前王、前々王時代を知る人たちを訪ね歩いていたらしい。いくつかの内戦で他国へ亡命した役人や、当時関係を密にしていた他国の商人や貴族たちがいるのだ。その合間に各国の情勢や特産を調べ、観光地にも足を延ばす。まさに充実した旅だったのだ。
ラウルはまるでその光景が目の前に浮かぶように話してくれ、二人は見たことのない世界に目を輝かせる。特にクリスは西の国について色々と質問していた。縁のある国なので気になるのだろう。
そしてエリーナは特に、ラウルが各地で食べてみたというプリンに似たスイーツについて、身を乗り出しメモを取っていた。再現してもらう気満々である。
「南の国ではマンゴープリンがおもしろかったですね。マンゴーという黄色く甘い南国の果物があるのですが、その果汁でプリンを作っているんです。まさに果物を食べているような味わいでしたよ」
エリーナはその新しいプリンを想像し、頬を緩める。果物でプリンを作るというのはとてもおもしろい。
「西の国では、クリームチーズプリンというものがありましたよ」
「それは、レアチーズムースとはどう違うの」
この国にもチーズケーキの種類はいくつかある。エリーナもおいしいのでたまに食べているのだ。だがそれはプリンなのか?
「味わいはチーズが強く、しかしムースとは食感が違ってやはりプリンなのです。それに卵の味わいも感じ取れましたよ」
「クリームチーズプリン……この目で見て食べるまではプリンとは認められませんわ」
世界にはまだまだ知らないプリンがある。エリーナは興味深げに相槌を打つのであった。他にも色々と面白い話をしてくれ、二人して驚きの声をあげる。
そしてさらにラウルは各国で人気のロマンス小説を十冊ほど買ってくれていた。しっかりエリーナの好みを理解した、強烈な悪役令嬢が出てくる作品だ。
「そんな……いいんですか!」
国内では絶対に手に入らないお宝であり、エリーナは一つ一つ手に取って感嘆の声を漏らす。うっとりと本を撫で、幸せな溜息をついた。
「もちろん。エリー様の研究にお役立てください」
本職の研究者にそう言われると、なんだかこの本たちが学術書に見えてくる。いや、表紙の絵が可愛いロマンス小説だ。
侍女たちに本を自室まで持って行ってもらったところで、クリスがラウルの研究について水を向けた。
「先生の研究は進みましたか?」
「えぇ。色々と有意義な話を聞くことができました……。あぁ、南の国の商人で、セレナ様をご存知の方がいらっしゃいましたよ」
「え、お母様を?」
急に母親の名前が出てきて、エリーナは目を瞬かせる。
「えぇ。なんでもセレナ様が王女付きの侍女をされていた時に、よく王宮に行商に行かれていたそうで、何度か話したことがあるそうです。とても品の良い優しい方で、南の国の貴族や商人の間で人気が高かったらしいです」
「そうなの……きっとそうやって、お母様はお父様に出会われたのね」
ラウルはえぇと微笑するが、その表情は少し陰っていた。それに目を留めたクリスが一瞬だけ目つきを鋭くしてから、エリーナに顔を向けてほほ笑んだ。
「エリー。少し領地の経営と歴史について先生に相談したいことがあるから、先生を借りてもいいかな」
「いいわよ。ならわたくしは、部屋で先生のお土産を読むわね」
ラウルとは夕食の時にもたくさん話せるし、今日は泊っていくと言っていた。エリーナは快く二人を送り出し、心を弾ませて自室へと向かったのだった。
そして執務室へと移動し、エリーナを遠ざけた二人は部屋の端にある応接用のソファーに向かい合って座った。先ほどとは異なりやや空気が硬い。
「ごめんね先生、ちょっと聞いておきたくて」
「いえ……私も話そうと思っていたところなので」
正面から互いの視線を受ける二人の瞳には、少しほの暗いものが映っている。
「知りたいことは見つかった?」
「えぇ。私の方の問題はあらかた片付きました。証拠もそろえてありますが、父にその気がない上に状況を見誤ると水の泡になりかねないので」
「そうだね……お父上の無実が早く証明できればいいんだけど」
ラウルは学術的な研究と同時に、父親の無実を明らかにする証拠をかき集めていた。だがどれだけ有力な証拠があっても、うまく運ばなければもみ消されるのが政治の常だ。その辺りはクリスが協力をして、徐々に周りから固めることにしている。ただ父親本人は復位の意思がなく、悠々自適の生活を送っているのが勢いに欠ける要因だ。
ラウルの瞳には強い意思が秘められており、覚悟を決めた表情で口を開いた。
「クリス様……私が爵位を取り戻し汚名をそそぐことができれば、エリー様の側にいることを許していただけるでしょうか」
それはエリーナに結婚を申し込むということだ。クリスは表情を変えずに静かに頷く。
「エリーの判断に任せるよ。それに僕は、今のままの先生でもエリーが選べば快く認めるさ」
「それは、私が許せません」
だが、それに対してラウルは悲し気に首を横に振った。
「真面目なんだから……それで、もう一つの方はどうだったの?」
クリスは半笑いで話を変える。彼の主要な研究の一つである元公爵家のクーデターに関する調査だ。あまり表だってできないため、あくまで秘密裏に行っているものだが。
「……かなり綿密に計画されていたようです。これから色々な証言を合わせていくのですが……厄介なことになりそうです」
わざと表面だけを伝えたラウルに、クリスは険しい顔つきに変える。それだけで十分まずい情報があったことが理解できた。
「深くは聞かないけれど……あまり首をつっこまないでね。その事件に敏感な人たちが上層部には多いから」
「えぇ、わかっています。表向きは前王と前々王の施政研究で押し通すので大丈夫です」
そう言って挑戦的な笑みを浮かべるラウルには、次の目標が見えているのだろう。クリスにできることは彼を見守り、そして窮地に陥った時に助けるくらいだ。クリスはラウルが戦っているものの大きさを感じ、ただただ尊敬の念を抱くのだった。




