72 思い出の花を贈りましょう
翌日、打って変わってエドガーにくっつくようになったシャーロットは、満面の笑みで帰国していった。昨日の一件については、ベロニカが上手く両陛下に伝えたようで、社交界には王女と騎士の仲を取り持った美談として広まっていったのだ。両国の王も若い二人のことだからと、外交問題には問わないことにした。むろん、南の国の王からは多数の人に迷惑をかけたことに対し、きっちりお叱りを受けたそうだが……。
その後、エドガーは自国で懸命に王族や貴族たちに働きかけ、侯爵であることと、長年シャーロットに仕えてきた功績が認められて婚姻の許しが出るのは未来の話である。
そしてラルフレア王国では無事特使の歓待が終わり、王宮にもやっと日常が戻って来たのだ。ジークにとっても久しぶりに落ち着くことができる休みであり、のんびりと庭園を散歩していた。その脳裏に、昨日エリーナに言われた言葉が蘇って表情を暗くする。
甘い世界に入った二人を置いて部屋から出た後、ベロニカは両陛下に結果を伝えてくると言って先に行ってしまったため、ジークはエリーナをクリスが待つ歓談室まで送ろうとしたのだ。その途中、人気のない廊下でエリーナは足を止め、鋭い目を向けられた。つい背筋が伸びてしまう。
「殿下。一言よろしいでしょうか」
「な、なんだ」
「今回の騒動でベロニカ様がどれだけ傷つかれたか、おわかりですか。殿下がどっちつかずの態度を取るから」
ジークは負い目があったため、うっと言葉を詰まらせる。エリーナは容赦なく言葉を続けた。
「しかも婚約破棄の噂まで流れ、その対応までされていたのですよ? その間、殿下は何をされていたのです?」
「お、俺にも立場があってだな……」
「そんなものは知りません。婚約者一人守れず、何が王子ですか。シャーロット王女のやり方は問題でしたが、エドガー様を愛する気持ちの強さは尊敬に値するものでしたわ。殿下は、そのようなお気持ちの欠片もベロニカ様にお持ちではないのですか? ベロニカ様を幸せにできないのなら、わたくしに声をかけるなんて百年早いですわ!」
はっきり言いきられ、ジークは視線を落としてうなだれた。返す言葉もない。
「ベロニカ様はちゃんと、殿下のことを想っていらっしゃいます……ベロニカ様のことお願いしますね」
そして、そう言い置いて、エリーナは一人で控室に向かっていったのだった……。
その言葉を深く胸に刻み、ジークは庭園に咲く小さな花たちを眺める。脳裏にすましたベロニカの顔が浮かんだ。彼女に多大な負担がかかっていたことは知っていたが、大丈夫だろうと放ってしまった。倒れたことも知っていたが、意地が見舞いにいくのを邪魔した。
(俺は本当に馬鹿だったな……)
ベロニカに甘えてばかりで、大変なことを押し付けてきた。エリーナに言われて、やっとベロニカが見せようとしなかった裏の努力に気づいたのだ。
(全てを取り戻せはしないが、せめて顔だけでも見に行こう)
ジークは庭師に小ぶりの可愛らしい花で花束を作らせ、馬車に乗り込む。よく通る道なのに、今日はやけに長く感じた。馬車に揺られながら、手元にある花束に視線を落とす。
婚約者に贈るにしては、小さく子どものような花束だ。だが、それでいい。
オランドール公爵家には前触れを出してあったため、すぐに従者に迎え入れられた。サロンに通され、一息ついたところでベロニカが入って来る。淡い水色のドレスで、昨日とは違い優しい印象を受けた。その色合いがふと記憶の扉を叩く。
「殿下、ごきげんよう。用もなくいらっしゃるなんて、珍しいですね」
優美な礼をとるベロニカに、初めて彼女に会った時の姿が重なった。あの時も、水色のドレスを着ていた。
「用が無ければ来てはいけないのか?」
ムッとした表情をしてしまい、慌てて元に戻す。幼い頃からの癖か、ベロニカの前では意地っ張りになってしまう。
「いえ、問題ありませんわ」
それを、ベロニカはいつもすまし顔で流していた。まるで、ジークには興味など無いと言うように。
両者黙って紅茶に口をつけるだけという気まずい空気が流れる。それに我慢できなくなったジークは、カップをテーブルに戻すと無言で花束を突き出した。ベロニカはカップを片手に目を瞬かせる。
「やる」
ぶっきらぼうになる自分に、餓鬼かと内心吐き捨てるが気取って渡すことはできなかった。ベロニカは静かにカップを置いて、両手で受け取った。黙って花束に視線を落としている。
「今回、色々と苦労をかけたし悪かったと思っているからな」
「ジーク殿下……」
「お前はもっと高級なものでないと喜ばないかもしれないが」
ふいっとそっぽをむいてしまうジークの言葉を遮って、ベロニカは言葉を被せた。
「いえ……とてもうれしいですわ。ありがとうございます」
そう感謝を口にして微笑んだベロニカは、気品があふれ惹きこまれる。ジークは少し顔を赤らめて舌打ちした。
「素直なお前は気味が悪い」
「あら、でしたら今回の件についてみっちりお説教してもよろしくってよ? それこそ言いたいことはたっぷりございますから」
一言余計なジークに、ベロニカは意地悪な笑みを浮かべた。目が狩人のように光っている。失言に気づいたジークは、「おっと」とわざとらしく声音を変えた。
「そういえば大事な用があったんだった。急だがここで失礼する」
「そうですか、婚約者より大事な用ですか」
冷笑を浮かべるベロニカから、冷気が漂ってきた。せっかくの花が凍ってしまいそうだ。
「いや、お前にも関係のある大事な用だ。ほら、これからいろいろあるしな」
無理矢理ごまかして、そそくさと公爵家を後にする。逃げ足だけは速い。
また茶会に誘うと言い残して帰ったジークを見送って、ベロニカは部屋に戻った。出窓には花瓶が増えており、気の利いた侍女によって先ほどの花が生けられていた。窓辺に近づき、くすりと笑う。
(素直じゃないんだから)
今日もらった花の隣には、同じ花がドライフラワーになって飾られている。ジークとの婚約が決まり、初めて顔を合わせた時にもらったものだ。あの時も、さっきと同じようにぶっきらぼうに手渡してきた。
懐かしく思ってベロニカはみずみずしい花びらにそっと触れる。覚えてくれていたことがただ嬉しくて、もらった瞬間言葉が出てこなかった。
(わたくしも、素直じゃないわね)
数日飾ったら、これもドライフラワーにしてもらうつもりだ。ベロニカは胸にくすぐったい温かさを覚え、ごまかすように笑みを浮かべたのだった。




