6 参考書を買いましょう
この世界では本はそれほど高価なものではないらしい。魔法はないが技術はある程度進歩しており、乙女ゲームでありがちな近世ヨーロッパ風の世界観だ。この国は民の読み書きに力を入れており、識字率が高い。そのため大衆文芸が育ち、さまざまな物語があるそうだ。最近の流行りは勇者が魔王を倒すストーリーらしい。
この世界の本事情について話しを聞きながら路地を進み、町で一番大きな本屋に入る。紙とインクの匂いがして、なんとも気分が高揚してくる。
店主は初老の男性で、エリーナに目を留めるとにこやかにあいさつをしてくれた。
「やあお嬢さん、こんにちは。どんな本をお探しですか?」
ラウルではなく、エリーナに挨拶をしたところを見ると、どこかの令嬢だと見抜いたのだろう。
(やっぱり溢れる悪役令嬢のオーラは隠せないわね)
エリーナは当然よと無い胸を張る。
「そうね……悪役令嬢が主人公をズタボロになるまで苛めるような小説が読みたいのだけど。あるかしら?」
せっかくなのでプロに選んでもらおうと、満面の笑みで口にしたリクエストに店主とラウル先生の顔がひきつった。
「え、エリー様。その内容は少々教育的にいかがかと思うのですが……」
エリーナは今まで小説が欲しいと繰り返してきたが、その内容までは言っていなかった。店主もう~んと顎髭に手をやったのを見て、エリーナは失言に気づく。
(ごまかさないと)
ラウルの上着の端を掴み、目を潤ませて見上げる。上着の端と、潤ませた目がポイントだ。
「だって、どんなにいじめられても頑張る主人公が素敵で、私もそんな女子になりたいの」
悪役令嬢を何十回と演じていれば、自在に目を潤ませ揺らすことぐらい朝飯前だ。この技で何度攻略対象を誘惑し、妨害したか。
渾身のおねだりポーズに、ラウル眉間に皺が寄る。彼の中で葛藤しているらしい。
「…………わかりました。大人向けでなければかまいません」
「ほんと!? ラウル先生大好き!」
おねだりが成功したら、相手にぎゅっと抱き着く。そこまでがおねだりなのだ。
頭上からラウルのため息が降ってきたが気にしない。さっそく店主に本を見せてもらい、登場人物と目次に目を通し、気に入ったものを積み上げていけば軽く十冊は超えた。
支払いを済ませると、さりげなくラウルが荷物を持ってくれる。さすが、将来は攻略対象予定なだけはある。
「ありがとう」
そして上機嫌で本屋を後にし、適当に町を見て歩くことにした。
ラウルもあまり町には詳しくないようで、行列の出来ている店や変わった小物が並んでいる店を興味深そうに見ている。
「ラウル先生は、前はどこにいたの?」
彼が来てから半年が経つが、あまり彼のプライベートは聞かなかった。
ラウルは少し驚いた顔をし、少し間があってから答えてくれた。
「前は王都にいたんですよ。一応貴族だったんですが、家が潰れてしまって……」
「え、ごめんなさい」
予想を裏切って重い過去が返ってきてしまった。しまったと思ったのが顔に出ていたのか、彼は笑って首を横に振った。
「いいんです。過ぎたことですから。行くところがなくなった私をご主人様が拾ってくださったのです。それに、エリー様にも会えたので、それほど悲観してませんよ」
気にしないでくださいと笑っているが、その笑顔にはどこか影が落ちている。
(過去に影のある家庭教師も悪くないわね。今の笑顔なんて、スチルになりそう)
乙女ゲームで悪役を演じれば、乙女ゲーム自体にも詳しくなる。
最初はイベントの途中で聞こえるシャッター音に驚いたが、今なら無になれる。そこまで思って、まだこの世界でシャッター音を聞いていないことに気が付いた。
(まだ物語が始まってないから、当然よね)
エリーナは心の中でぶつぶつと独り言を言いながら、先生の話に適当に相槌を打って歩いていく。
「ですから、僕は今とても幸せなんです」
その言葉にふっと顔を上げれば、ラウルは今日一番の笑顔で笑っていた。不覚にも胸が高鳴る。
(今のは不意打ちよ! 子どもの心臓じゃ耐えられないわ!)
「当然でしょ!」
負けじと高飛車悪役モードで応戦するが、彼の笑顔は太陽の光も浴びて目に痛いほどだ。
そしてその後、おしゃれなカフェでお茶とおいしいスイーツをいただき、そろそろ屋敷に帰ろうとした時、事件は起こった。




