63 恋愛講座を受けましょう
翌日、放課後のサロン。ベロニカに連行されたエリーナは、説教を受けていた。
「入学して一年。今まで色々ときっかけがあったにも関わらず、恋のこの字も理解していないなんて……それでもロマンス令嬢なの?」
愛用の扇をピシりと掌で打ち鳴らし、淡々と事実を述べていく。ベロニカからは怒りの冷気が漂っており、エリーナは身を小さくさせていた。
「あまりにも気が緩んでるんじゃない? 本気で結婚相手を見つけようとしていないでしょう。殿方に本気で向き合わなければ、失礼というものよ」
全て図星であり返す言葉もなかった。
夜会で誘われても乗り気ではなく、四人と学園で話したりデートしたりしても恋には程遠い。お茶会で恋バナを振られても、理想像の一つも出てこないとあっては、業を煮やしたベロニカが渇を入れるのも無理はなかった。
「申し訳ありません……でも、どうしても婚約は考えられないんです」
エリーナだって彼らを弄んでいるわけではない。ただどれだけロマンス小説を読んでいても、彼らの好意にどう対応していいのかはわからなかった。その上、隠しキャラを出すと言うリズとの約束の手前、彼らと婚約するわけにもいかないのだ。
「別にいますぐ婚約しなさいなんて言わないわ。ただ、彼らの好意を受け止めるぐらいしなさいよ」
「受け止められていませんか……」
「全て零れ落ちてるわ」
辛辣な言葉が身に突き刺さる。だが、その言葉はエリーナとエリーナに思いを寄せている方たちを思ってのものであり、深く胸の内に響いた。
「……わたくしに好意を向けてくださっているのには、嬉しく思っているんです。でも、小説のヒロインのようなトキメキは分からなくて。いっそ、全員お断りしたほうがいいでしょうか」
不誠実だとは自分でも思っていた。今のエリーナは、誰を攻略しようか迷うヒロインそのものであり、嫌悪していたものだからだ。しょんぼりと落ち込むエリーナに対し、ベロニカは鼻を鳴らす。
「そこまでは言ってないわよ。恋が分からないなら、あいつらを踏み台にすればいいじゃない。好きで近寄ってきてるんだから、それくらいはしてくれるわ……でもね、ちゃんと貴女の気持ちも伝えなさい」
「師匠……」
もはや、悪役令嬢の師匠だけでなく、恋愛の、いや人生の師匠だ。
「その呼び名は止めなさいって言ってるでしょ」
呆れ顔のまま、ベロニカは一区切りと少し冷めた紅茶に口をつける。ベロニカだってエリーナに悪意がないことは分かり切っている。だが、外野で見ていてあまりの進展のなさに歯がゆいのも事実であり、ついお節介を焼いてしまうのだ。
難しい顔で恋、恋と呟くエリーナに視線を向け、溜息をつく。昔はジークに散々溜息をつかされたが、最近はエリーナの方が上回っている。
「ねぇ……前から気になっていたのだけど、クリスさんは選択肢にないの?」
「……え?」
唐突にそう訊かれて、エリーナは目をパチクリと瞬かせた。間の抜けた顔に、ベロニカはますます毒気がそがれる。
「クリスは家族ですよ?」
「でも養子でしょ。血は繋がっていないじゃない」
エリーナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、ベロニカを見ていた。ベロニカは呆れを通り越して諦めた表情で、カップをテーブルに置き話し始める。
「近い血の繋がりが無ければ、義理の兄妹であっても結婚はできるわ。それにクリスさんがローゼンディアナ家を継ぐなら、エリーナと結婚したほうが正統性は高まるでしょう」
それは一般的な婿養子を取る婚姻だ。婚姻が先か養子に入るのが先かの違いだけである。そう説明されたエリーナはポカーンと口を開けていた。今まで一かけらも考えたことのない選択だったからだ。クリスの口から出たこともなかった。
「クリスと……結婚する。今と変わらない」
ポツリとうわ言のように呟いたエリーナに対し、ベロニカは眉を吊り上げる。
「当然、クリスさんを一人の男性として愛していることが前提よ。それも無理なら後家に入るか、どうせ枯れているなら修道院で神に祈ってなさい」
「修道院は嫌!」
修道院は禁則を犯した令嬢や未亡人が身を寄せるところであり、厳しい戒律のもと神に祈る生活が待っている。ロマンス小説などもってのほかだ。
「なら、なんとか卒業式までには恋心に辿りつくのね」
「……精進いたします」
軽く頭を下げ、これで説教は終わりかなとチラリとベロニカを盗み見る。もう怒っている様子はないので、そろっとエリーナは言葉を続けた。
「それで……ベロニカ様は恋心が何たるかはご存知なのですか?」
政略結婚で心はないと言い切っていたベロニカであり、エリーナは自分のことを棚に上げてどうなのと気になる。
「わたくしはすでに婚約しているから、どうでもいいわ」
ベロニカはさっきまでの反省はどこにいったのと再び問い詰めたくなるが、律儀に答える。
「えぇ……なんかずるいですわ。殿下のどこがよろしいんですか?」
「……ジーク殿下のよさが分かるには、貴女じゃ修行不足だわ。ああ見えて、可愛いところがあるのよ」
「ベロニカ様がデレましたわ!」
すっと気恥ずかしそうに目を逸らして答えたベロニカに、エリーナはそんなベロニカが可愛いと目を輝かせる。まだ恋心の機微よりも、悪役令嬢であるベロニカの表情に関心が持って行かれている。
「またリズから変な言葉を覚えたのね。不快だから止めなさい!」
「いえ、ベロニカ様を表現する魔法の言葉なのです。ツンデレなのですわ!」
リズから教わったばかりの言葉を、自信満々で披露する。先ほどまで殊勝に反省していた影はかけらもなく、顔を引きつらせたベロニカはパチンと扇子でエリーナの頭をはたいたのだった。
「いいかげんにしなさい!」
なんともしまらない、穏やかな春の夕方であった。




