45 課外授業を受けましょう
ラウルの専門は歴史の中でも現代史であり、特に前王と前々王の時代を詳しく研究している。古代に比べて記録が残っていそうなものだが、資料として残されていないことの方が多く、その時を知る人たちに聞き取っては歴史の断片を補っているらしい。
エリーナはラウルの説明にほうと相槌を打ちながら、王都の博物館に展示されている品々に目を向ける。前々王の筆一つをとっても、誰から送られたのか、この筆でどんな重要な文章にサインがされたのかと話は尽きない。
「あ……すみません、熱くなりまして。つまらなかったですよね」
館内を半分くらい回ったところで、ラウルはハッと気が付いて申し訳なさそうに眉尻を下げる。彼は家庭教師の時も、よく熱中してはこの表情を見せていた。
「うふふ。変わらないわね。楽しいわ、昔に戻ったみたいで」
エリーナも歴史は好きだ。ロマンス小説ほど語ることはできないが、昔にあった出来事に思いを馳せるとわくわくする。
「えぇ。私も楽しいですよ」
大人の満面の笑みはずるい。普段真面目なラウルが子供のように笑い、楽しんでいる。その表情が、エリーナを少し落ち着かなくさせた。
そして博物館を見終えると、軽く昼食を食べて王都郊外の遺跡を巡る。どれもローゼンディアナ家の領地にあるものだ。馬車で揺られながら、ふと子どものころも遺跡巡りをしたことを思い出した。
「先生、昔もこの辺りの遺跡に行きましたよね」
「えぇ。その時は建物を中心に見たので、今回は碑を中心に巡ります」
「碑ですか」
建物なら主要なものは頭に描くことができるが、育った領地とはいえ歴史的な碑があっただろうか。
「ローゼンディアナ家の領地は王都と王家の療養地に近いこともあって、色々と歴史的な出来事が起こっています。それを残す碑もけっこうあるんですよ」
それでラウルが家庭教師をしていた時は、暇があれば馬で領地を駆け回っていたのねと今更ながら納得した。エリーナにとってはただの石でも、ラウルにとっては価値のあるものなのだろう。
「さぁ、着きましたよ」
馬車が止まり、ラウルの手を取って馬車から降りるとそこは小高い丘で、道の側に石碑が立っていた。少し古いようでところどころ文字が欠けている。いつも本邸に帰る時に通る道だが、石碑に気づいたことはなかった。
石碑は古代の古めかしい言葉で書かれており、エリーナは解読に時間がかかる。真剣な表情で古代語とにらめっこをしているエリーナの横顔を見て、ラウルは愛おしそうに目を細めた。
「エリー様。ここは、前々王が正妃様と初めて療養地に向かわれた時に、お休みになったところです」
「南の国出身の正妃様だったわね」
「えぇ。嫁がれてすぐは南の国が恋しく、体調の優れない日々が続いたそうです。そこで療養に向かわれたのですが、王はここで馬車を降り正妃様を丘の上まで連れていかれました」
ラウルはエリーの手を引いて、丘の上へと連れていく。その先に何があるのか、期待に胸が膨らむ。そして丘に登って視界が広がったエリーナは、感嘆の声を上げた。
「すごい、王都が一望できるわ!」
王都は王宮を中心に放射状に広がっている。外側は強固な外壁で守られ、門からはひっきりなしに馬車や人が出入りしている。その景色は壮観で、エリーナはしばらく見とれていた。
「王は、正妃様にこうおっしゃったんです。ここは貴女が生まれ育った国ではないが、それに負けないすばらしい国だ。この国は、国民は貴女を歓迎していると」
「……素敵ね」
時に歴史の事実は、どんなロマンス小説よりも素敵な物語を織りなす。エリーナは想いあった二人に思いを寄せ、目元を和ませた。
「その後、正妃様は順調に回復され、この国のために様々な事業を起こしてくださいました。南の国は医療分野が発達しており、現在この国の医療が進んだのは正妃様の尽力の賜物です」
「素晴らしい人ね」
そして、前々王が狩りをした場所や、前王が立ち寄った村、戦争の時に王族の方が逃れた場所と、様々な石碑を見た。
日も落ち始めたころ、最後にとラウルが案内したのは原っぱにポツンと小さく立っている新しい石碑だった。遠くのほうにローゼンディアナ家の本邸が見える。
「こんなところにも石碑があったのね」
「はい……ここは、先の内乱で前王が命を落とされた場所です」
ラウルの口調がしんみりとしたものになり、悲しみが伝わってくる。エリーナは前王の顔を知らないが、ラウルは前王を知る世代だ。
「わたくしが生まれる前よね」
「はい、今から17年前に今は無い公爵家の二つが軍部とともに前王に反意を翻したのです。王宮内では激しい戦闘が起こり、正妃様と王子、王女はそこで命を落とされました。王は療養地に逃れようと数名の護衛と向かわれていたのですが……」
歴史の教科書では一行で終わる出来事も、その裏には長く深い物語がある。エリーナは石碑に手を触れ、目を閉じた。彼の王の冥福を祈る。
「この内乱は謎が多く、色々な歴史学者が真相を解明しようとしていますが、難航しています」
「そうなの」
「えぇ……主犯とされる公爵たちが生きていませんからね。私もなんとか前王の無念を晴らしたいのですが……」
「ねぇ、ラウル先生はどうして前王が好きなの?」
「どうして……ですか」
社交界に出てから、前王はいまだに慕われていることを知った。もちろん現王の支持も低くはないが、月日が過ぎても前王を失った悲しみと元公爵家への怒りは消えていない。
ラウルは遠くに視線を飛ばし、懐かしんでぽつりと呟く。
「前王は、私のあこがれだったんです。父に連れられて初めて王宮でご尊顔を拝謁した時、震えたのを覚えています。いつかこの方のために働きたいと思ったんですよ」
「そうだったの」
「はい。ですから、心残りがあってこういう形で前王のために働きたいと思っているんでしょうね」
歴史を通して前王という存在を残していく。この場で最期を遂げた王は、その瞬間何を思ったのだろうか。ラウルはここに来るたびに、胸が苦しくなり必ず真実を突き止めると決意を固めるのだ。
「ラウルならきっと高名な学者になるわ」
「はい。エリー様のものとして、相応しい学者になりますね」
「もう……そうやってすぐにからかうのね」
エリーナが少しむくれると、ラウルは愛おしそうに微笑む。夕日がラウルの髪を紫に染め、ふわりと風が撫でる。
「私は、その言葉に救われたんです。ですから、止めません」
本当にいい笑顔で、エリーナはもういいわとため息をついた。ラウルの苦労は知っているためそう強くも言えない。
「さぁ、そろそろ帰りましょう。あまり長いと、クリス様に怒られてしまいますから」
「そうね。きっと夕食の席でいろいろと訊かれるわ。先生、覚悟しておいてね」
そして二人は目を合わせると、くすくすとどちらからともなく笑ったのだった。




