41 お詫びの品を贈りましょう
リズとクリスの一件が落ち着いた週末。
「ベロニカ様……わたくしに王都を案内してくださいませんか?」
と勇気を振り絞って頼んだエリーナは、公爵家の馬車に揺られていた。オランドール公爵令嬢なら大丈夫だろうと、クリスは快く送り出してくれた。お友達と王都で遊びたいのとお願いした甲斐があった。
しっかりとお友達認定されているベロニカは、街歩き用の大人しいドレスを着ていた。彼女の気品を損なわすことなく、それでいて目立ちすぎない。すっきりとした大人っぽい青のドレスだ。その向かいに座るエリーナは薄紫のドレスで、腰の後ろに大きなリボンが付いていた。
ガタガタと揺られながら、ベロニカがそれで? と視線をエリーナに向ける。
「今回は何の用があったの?」
二人は何度か互いの家でお茶をしつつロマンス小説について語っていたが、街に遊びに行くのは初めてだ。
「ちょっと……クリスに何かあげたくなりまして」
「あぁ。喧嘩したんだったわね」
「喧嘩といいますか、わたくしが一方的にひどいことを言ってしまって……」
一件が収まった後、ベロニカには簡単にクリスとのことを話してあった。顔色が優れなかった日以降もどこか浮かない顔をしているエリーナを、しびれを切らしたベロニカが問い詰めたからである。
「お詫びの品ってことね。貴女の口から小説のこと以外が出るなんて」
「ベロニカ様……わたくしのことを何だと思っていらっしゃるんですか」
「残念なロマンス令嬢に決まってるでしょう」
絶対にクリスのせいだとむくれるエリーナは、すでに散々ロマンス令嬢の名に相応しい言動を取っていることに気づいていなかった。
「それで? クリスさんに何を贈るつもりなの?」
「……それを相談したかったんです。今までクリスにはもらってばかりで、何もプレゼントしたことがなかったんですよね」
さすがに罪悪感を覚えたエリーナは悩んだ末、何かプレゼントをあげるという考えに至った。しかし、それと同時に今までちゃんとプレゼントをしたことがないということに気づき、さらに罪悪感を募らせたのだ。
家族としてどうなのかという発言に、ベロニカは目を丸くする。
「え……誕生日は?」
「わたくしが買ってあげてはないんです。屋敷の全員からという感じだったので……」
それに加え、特別なプレゼントを用意しないのは悪役令嬢としての些細な嫌がらせでもあったのだが、今となっては無駄なことだった。
「ちょっとクリスさんが不憫になってきたわ……」
ベロニカは軽く額に手をやり、クリスに同情を寄せる。今王都で流行している『お嬢様シリーズ』はクリスがエリーナのために開発依頼をしたものとルドルフから聞いたところだったので、愛情の一方通行に胸が痛む。
「何をあげたらいいと思いますか?」
「貴女は何をあげたいのよ」
「人気小説家の最新刊……は、冗談としまして、定番はハンカチーフやブローチですかね」
自分の欲望を正直に言ったところ、ベロニカの眉がピクリと動いたので慌てて誤魔化す。
「まぁそうね……お酒や筆記具も喜ばれるけど。……そういえば、クリスさんはご自身でワイナリーをお持ちだったわ。これもドルトン商会から『お嬢様のワイン』で出てるわよ」
「え……ということは、わたくしの16の誕生日に開けられたワインは……」
また明らかになったお嬢様シリーズに眩暈がして、エリーナは顔を両手で覆う。この国は16からお酒を飲むことができ、記念すべき誕生日に開けられたワインはとても香りが豊潤で甘く飲みやすかった。だが、ここまで来ると少々やりすぎではないかと思う。
「悪酔いしないために度数が低いから、けっこう飲みやすくて気に入ったのよ。まぁ、ここまで投資家として成功されていると何をあげても喜んでくれるんじゃないかしら」
言葉の裏に、エリーナがあげるなら何でもという意味も含まれている。
「そうですよね……では、ハンカチーフを贈りますわ。刺繍の練習にもなりますし」
「あら、いいじゃない。令嬢らしいこともできるのね」
棘のある言葉は聞こえなかったことにして、さっそくベロニカ御用達の店でハンカチーフを買い求め、刺繍に使う赤色の糸も買った。その後は、お互いがお勧めする書店を巡り、新作を購入するという趣味活動に勤しんだ。休み明けは小説語り決定だ。そしてカフェ・アークで新作の『お嬢様のプリンクッキー』と限定味の『お嬢様のプリン』を食べ、まったりと休日を過ごしたのだった。
馬車を降りたエリーナは、玄関まで迎えに出ていたクリスに、「楽しかったわ」とにっこり笑いかけ、そそくさと自室に戻る。プリンクッキーの感想も伝えておいた。素早く着替えを済ませてサリーに刺繍の用意をしてもらう。
「まぁ、クリス様のために刺繍を?」
「えぇ、いつものお礼をしたいと思ってね」
ロマンス令嬢と呼ばれていても、れっきとした伯爵令嬢だ。刺繍くらいお手の物で、今までの人生での経験もあるため得意な方だ。チクチクとクリスのイニシャルとローゼンディアナ家の家紋を刺していく。サリーは隣でクリスが喜び過ぎて倒れないか心配していた。
一時間ほどで仕上げ、丁寧に箱に入れてリボンを結んだ。こうやって、自分の思いを込めて何かを贈ったのは悪役人生の中で初めてだ。完成した贈り物を見ていると、自然と笑みが零れた。
(クリスは、いつもこうやってプレゼントをくれてたのね)
ワイン一本のためにブドウ畑を買い取り、ワイナリーを創るのは規模が違うがそこを気にしても仕方がない。
そして夕食まで時間があるため、クリスの部屋へ向かった。今日は午前中で仕事を終えて、部屋で休んでいるらしい。
(喜んでくれるかしら)
クリスの反応が楽しみでもあり、少し不安でもある。罪悪感があるからこそ気になってしまう。
ノックをして、返事が聞こえるのを待ってからドアを開ける。クリスは窓辺に置いてある安楽椅子に座り本を読んでいた。
「エリー、どうしたの?」
本にしおりを挟んで閉じサイドテーブルに置くと、椅子から立ち上がってエリーナに近づいてくる。クリスはあの後もいつもと変わらない態度で接してくれている。
「あのね……このあいだは心にもないことを言ってしまったから、お詫びに」
そう言いながらリボンが巻かれた箱を渡せば、クリスは目を見開いて驚いていた。
「え、これ……僕に?」
箱を凝視しており、表情も固まっている。
「……そうよ。いらないなら、返して」
箱を見つめるだけで開けようとしないクリスに、つい意地悪な口調になってしまった。
「まさか、開けてもいい?」
「えぇ」
そして丁寧にリボンをほどき、箱を開ける。ハンカチーフは刺繍が見えるように入れられており、刺繍の意味が分かったクリスは震える手でそれを取り出した。
「これ……家紋と僕の名前。それに、僕の髪の色だ」
ぽつりと小さく呟いたクリスに、もっと喜ぶかと思ったエリーは違う品物のほうがよかったかしらと不安になる。ハンカチーフなどもらい過ぎて困っているのかもしれない。
「一応、わたくしが刺繍をしましたのよ」
少し唇を尖らしながら自分の頑張りはアピールしておく。一言でいいから誉めて欲しかった。その言葉が耳に入るなり、クリスは風が立つ勢いで顔を上げて目を丸くしてエリーを見た。その金色の瞳が、じわりと滲む。
「エリーが、僕のために……」
噛みしめるように呟けば、頬を一筋の涙が伝った。
「く、クリス!? 何で泣くの!」
「あ、あぁ、ごめん。こうやって、エリーからプレゼントをもらったの、初めてだったから。嬉しくて……」
「それは悪かったわね! 何でさっそくハンカチを使わないといけないのよ」
エリーはハンカチーフをクリスの手から奪うと、強めに涙を拭う。その頬に手を伸ばせば、彼の背の高さを感じた。クリスは乱暴に拭われながらも、嬉しそうに頬を緩ませていた。そしてその手を掴み、ぐいっと引き寄せる。
「ありがと、エリー。大好きだよ」
背中に腕が回り、まるで包み込まれたような感覚だ。頬に触れたクリスは熱くて、この前とは違う抱擁にエリーナはそんなに嬉しかったのと、ただ目を白黒とさせるだけだった。




