32 怪しい気配を突き止めましょう
誰かの視線を感じる。一度気づけば気になって仕方がない。最初に気づいてから一週間。その視線は休み時間と放課後に集中しており、特にジーク、ルドルフ、ミシェル、ラウルと話すときに必ず感じる。どれだけ急いで振り向いても人の姿を見つけることはできず、さりげなく辺りに視線を飛ばしてもこちらを見ている怪しい人影はない。
監視されているようで苛立ちは募る一方だ。
午前の講義を受けているエリーナは、眉間に皺をよせながら対策を練る。
(一番怪しいのはクリスだけど……どうも違うみたいだったわ)
とうとう人を雇って学園内での情報を集め出したのかと戦々恐々としたのだが、問い詰めた結果違うという結論に至った。目を見開いて驚いたクリスは、すぐにショックを受けた表情になり「僕を疑うなんて」と嘆いた。ついで「抹殺するから護衛を雇う」と言い出したので、気のせいだったわと慌てて逃げだしたのだ。クリスの目は本気だった。
エリーナの防犯グッズに催涙ガス玉が追加され、カバンの中に入っている。その名も『お嬢様のお守り』であり、その出どころと開発意図は深く考えないことにした。
(正体を暴かないと、悪役令嬢の名が廃るわね)
恐怖に怯えるなんて、常に堂々と畏怖をまき散らす悪役令嬢にはふさわしくない。
(残る可能性は、私が話している誰かを好きな学生かしら)
乙女ゲームにおいて怪しい人影は、ヒロインの命を狙う組織の誰かか、嫉妬に駆られた女性が多い。後者だろうとあたりをつけて、作戦を組み立てていく。
そして考えをまとめたエリーナは、昼休みに下準備を終わらせ虎視眈々と放課後を待つのであった。
ほとんどの学生が家路についた放課後。臨戦態勢を整えたエリーナは、人気のない庭園のベンチに腰をかけていた。近くの校舎の二階では刺繍同好会のご令嬢たちが、お茶をしながら刺繍を見せ合っているのを知っている。大声を出せば気づいてくれるだろう。
そして昼休みの時に、餌をまいた。うきうきと楽しみで仕方がないという声で、「放課後ここでジーク様とお会いするの。気恥ずかしいわ」と、やや大きい独り言を呟いておいた。ジークの名を出したのは、一番人気だと思ったからだ。
遠くの茂みが不自然に揺れたので、間違いなく伝わったであろう。不本意なセリフと声だが、悪役令嬢たるもの演技に手は抜けない。
(さて、どこにいるのかしら)
エリーナは辺りに目を光らせ、気配を探る。それはさながら、獲物を狙う獅子のよう。気を研ぎ澄まし、手の中にあるものを軽く握って口を開いた。
「あぁ……ジーク様。早くいらっしゃらないかしら。わたくし、恋焦がれて死んでしまいますわ」
自分で言っていて胸やけがしそうだが、こういうセリフが嫉妬に駆られた女性には効くのだ。その証拠に、右後方にある茂みがかすかに揺れた。
(そこね……)
ちらりと茂みの近くに退路がないことを確認し、作戦を実行に移す。
「ジーク様!」
あたかも校舎の陰からジークが来て立ち上がったかのように見せかけ、そのまま体を回転させると茂みに『お嬢様のお守り』を投げつけた。玉は衝撃が加わると割れ、中の液体が気化して催涙ガスが発生する。
「きゃぁぁぁ!」
ガスが茂みを包み、女の子の声があがった。
「出てきなさい! 嫉妬に駆られてこそこそと鼠のように動くなんて、恥を知りなさい!」
腕組みをして胸を張り、高圧的な声を飛ばす。
「目がぁぁぁ!」
転がるように茂みから出てきた女の子はその場にうずくまった。その制服から侍女科の学生と分かる。この学園には貴族と平民が学問を学ぶ科の他に、侍女や従者になりたい者が訓練を受ける科もあるのだ。
「顔を見せなさい」
「う、うぅ……」
逆らう意思はないようで、少女は大人しく顔を上げた。ぼろぼろと涙を流している少女は、茶色の短い髪に黒目の凡庸な容姿をしている。部屋にいても、すぐに空気と同化しそうな侍女としては優秀なタイプだ。
少しヒロインかもと期待していたエリーナは、外れかとため息をついた。凡庸な容姿のヒロインもいるが、それでもどこか光るものがあるのだ。これは明らかにモブと言われるキャラ。ずんずんと少女に近づき、威圧的な目で少女を見下ろす。
「あなた、名前は? 伯爵令嬢を追い回すような真似をして、ただですむと思ってるの? 死にたくなるような罰を与えてあげるわ」
スラスラと悪役令嬢のセリフが出てくる。これも日々の努力の成果だと、ほくそ笑む。それがまたエリーナの表情を凶悪にしていた。元が可愛らしいだけに、ちぐはぐな恐ろしさが生まれている。
「り……リズ・スヴェルです」
「そう、リズ。それで? わたくしを見張ってどういうつもりですの? 返答次第では家の威信にかけて潰させてもらいますわよ」
スヴェルの名は聞いたことがない。家名があるなら準貴族以上なのだろうが、侍女になろうとしていることからも位は低いことが伺えた。そのため伯爵家の名を使って脅しも入れておく。
その言葉を聞いたとたん、リズの泣き声が一際大きくなり、生理的な涙に感情的な涙が混ざる。これは完全に侍女をいびり、いじめたおす悪役令嬢の絵だ。エリーナとしては望むべきものだが、今はこちらが被害者だ。
そして涙をぬぐったリズは悲壮な表情でエリーナをじっと見つめ、叫んだ。
「なんでエリーがこんな悪役令嬢になってるのよ!」
「……は?」
これは問い詰める必要があるわと、腕組みを解いたエリーナは手近なサロンへとリズを引っ張っていくのだった。




