30 謝罪を受け入れましょう
「エリーナ。ちょっとお時間よろしくて?」
休日明けの放課後、珍しく困った表情のベロニカがそう声をかけてきた。小説語りの時は、問答無用で「語りましょう」と言ってくるので、別の用なのだろう。
「えぇ。大丈夫ですわ」
彼女の後について廊下を歩き、近くにあるサロンに入った。ベロニカ付きの侍女がお茶とお菓子の用意をして待っており、人払いもすませてあるようだ。
(あら……王子のことかしら)
ベロニカが気を使うということは、それなりの案件ということだ。思い当たるのはそれぐらいしかない。彼女と向かい合って座り、侍女が香りのよい紅茶を淹れてくれる。
「単刀直入に言うけど、ジーク殿下を振ったでしょう」
回りくどいことを嫌うベロニカは、前置きもなくそう切り出した。予想がついていたエリーナは、心を乱すことなくえぇと頷く。
「わたくしには荷が重すぎると思いましたので」
しれっと殊勝な言葉遣いをすれば、ベロニカは口に手を当てて笑い声を上げた。
「役に立たないお荷物と言っていいのよ。雨の日に王宮に呼ばれたわたくしにジークがなんて言ったと思う? お前のせいで純粋なエリーナが悪女に変わってしまった、ですって」
おかしくてたまらないと、コロコロと笑っていた。そしてジークの前でも、このように笑い飛ばしたのである。
「半泣きになって、情けない顔だったわ。だから追い打ちをかけたの」
嗜虐的な笑みを浮かべているベロニカを見て、ジークはさぞ恐ろしかっただろうなと同情する。もともと悪人面のため、恐ろしさは倍増だ。素直に羨ましい。
「まだご自分の足で立てないお子様がエリーナに手を出すなんて百年早いわ。おがくずしか詰まっていない頭で、自分に足りないものは何かよく考えなさいとね」
いつもながら切れ味の鋭い言葉だ。エリーナは多少オブラートに包んだが、ベロニカは昔からの付き合いということもあり遠慮のかけらもない。むしろ止めを刺す気満々である。
「いつもはあんなに自信過剰なのに、豆腐のように打たれ弱いんだから。見せてあげたかったわ、あのダメ男ぶり」
「……でも、言い過ぎましたわ」
あのジークがそこまで傷つくとは思わなかった。反省の色を見せるエリーナに対し、ベロニカは鼻で笑う。
「足りないぐらいよ。まぁ、ジーク殿下も少しは反省したみたいだから、申し訳ないけど少し話を聞いてくれるかしら。腑抜けて政務に身が入らないみたいで、ルドルフから苦情が来たのよ」
曰く、エリーナ嬢の話は聞いたが、追い打ちをかけたあなたにも責任があると。
「え、えぇ」
どれだけ打たれ弱いんだと内心戸惑いつつ、ベロニカが視線を送ったドアへと顔を向けた。侍女がドアを開けると、暗い表情のジークと憮然としたルドルフが立っていた。ジークはこちらにちらちらと視線を送りながら、ルドルフに連れられるように歩いてくる。ルドルフが完全に保護者だ。今日も眼鏡の奥の目はキリリと涼し気である。
ベロニカがエリーナの隣りに席を移動し、エリーナの前にジークが、ベロニカの前にルドルフが座る形になる。
(……何の面談でしょうか)
すでに頭が痛い。ジークは一呼吸置くと、エリーナから目をそらさずに口火を切る。
「エリーナ……この間は申し訳なかった。君に言われたことを真摯に受け止め、誠実に生きていこうと思う」
王子の言葉に、ルドルフとベロニカが目を見張り驚きの表情を浮かべた。
「いえ、こちらこそ不敬を働いてしまい申し訳ありませんでした。殿下の寛大なお心に感謝いたします」
「礼を言うのはこちらだ。目が覚めた気分だ……これから俺は、エリーナが望むような男になれるよう邁進するつもりだ」
どうもあの罵倒はジークの変なスイッチを押してしまったようで、本人は意気込んでいるがエリーナはこの面倒な展開をどう回避しようか策を練っていた。
「それは素晴らしいですね」
「そう褒めるな。照れるじゃないか」
わざと距離感のある笑みを作っても、ジークの幸せな頭では褒められているとしか認識しないようだ。舌打ちが出そうになり慌ててごまかした。保護者役二人はすっかり苦りきった顔になっている。改心の芽が出ても、すぐに根本が変わるはずがないのだ。
そしてジークはぐっと身を前に乗り出し、エリーナの手を両手で握った。それには三人がぎょっと目を見開く。
「エリーナ。これだけは覚えておいてくれ。俺は本気だ。本気でエリーナが欲しいんだ」
「殿下……お断りしますわ」
義理で張り付ける笑顔も尽きた。
「ジーク様、しつこい男は嫌われますわよ。生まれ変わって出直してくださいませ」
ここでもベロニカは追撃を欠かさない。
「すまないエリーナ。ジークには後で言い聞かせておくから」
ルドルフは深いため息をつくと、ジークの腕を掴んで立ち上がらせた。そのままドアの方へと引っ張っていく。
「おいルドルフ。これから話をだな」
「ジーク、押してだめなら引いてみろ。ちょっと大人しくしていたら、エリーナから来てくれるかもしれないぞ」
ルドルフは言葉巧みにジークの気をそらす。それを聞いたベロニカはぼそりと、
「一生引いていればよろしいのに」
と二人には聞こえない声で零した。吹き出しそうになったが、お腹に力をいれて我慢する。
そしてバタンとドアが閉まったのを待ってから、二人は声を上げて笑ったのだった。
「おいルドルフ。そろそろ離せ」
ドアを閉め、廊下に出たジークはルドルフの腕を振りほどいた。今からエリーナに思いのたけを伝えようとしたのに、彼のせいで台無しだ。そのルドルフは眉間に皺をよせて、廊下の先の方を見ている。
「どうかしたのか?」
彼が険しい顔をするのは珍しい。ジークに向ける顔はいつもあきれ顔だが。
「いや……誰かが走っていったような気がしたんだが」
廊下に人はおらず、話し声すら聞こえない。ルドルフは首を捻り、まぁいいかと歩き出す。その後をジークが追い、速足でルドルフの前に出る。それが二人の定位置だ。
そして王子の側付きでもあるルドルフは帰りの馬車で、こんこんと女性と接するとは何たるかを説くのであった。




