2 屋敷を散策しましょう
「お嬢様、失礼します」
とドアを開けたのは、十六、七の若い侍女だった。茶色の髪を後ろでまとめ、凛とした佇まいで立っている。彼女はエリーナと目が合うと、あらと珍しそうに声をあげた。
「起きていらしたんですね。着替えて朝食にいたしましょう」
「ありがとう。サリー」
彼女の名前は、すでに記憶にあった。母親はここで侍女頭として働いており、サリーはエリーナが生まれた時から世話をしてくれていた。両親のいないエリーナにとって、姉のような存在だ。
サリーに手伝ってもらいながら、ドレスに着替える。可愛らしいピンクのドレスにはフリルがたくさん使われており、お人形みたいだ。
(今までは紺か赤だったわね)
煌びやかさを前面に出す、戦闘色だ。ドレスは大きくなってからでいいわと、エリーナはサリーについていく。
そして、唯一の肉親である祖父とは朝食の場で顔を合わすことになった。
「おはよう。エリー」
親しい人はエリーナのことをエリーと呼ぶ。
「おはようございます。おじい様」
ドレスをつまんで挨拶をし、席に着いた。初めて見る祖父の姿を、水を飲みながら観察する。
ディバルト・ローゼンディアナ。ローゼンディアナ家の当主であり、御年六十二歳とは思えないほど筋骨隆々である。健康的な小麦色の肌に、ロマンスグレーの髪も髭も短くそろえられており、右の眉のところに古い刀傷があった。
祖父は昔近衛騎士だったらしく、今でも朝の鍛錬は欠かさない。
不審がられない程度に祖父を見ていると、朝食が運ばれてきた。焼けたベーコンの匂いが食欲をそそる。野菜がたっぷり入ったスープもおいしそうで、自然と唾が上がってくる。
祖父を真似て食事の挨拶をし、ぱくりと頬張った。
(おいし~!)
この世界の食事は合格だ。しばらく無心に食べ進めていると、祖父が視線をこちらに向けた。
「エリー。さっそくだが、話がある」
「なんですか?」
イベントの前振りかしらと、食事の手を止めて顔を上げた。祖父は優しい顔を向けており、悪い話ではなさそうだ。
「もう七歳になったから、家庭教師を雇おうと思ってな。今日の昼から来るから、勉強に励むように」
「わかりましたわ」
記憶を探れば、昨日は七歳の誕生日だった。豪華でおいしそうな料理に、フルーツをふんだんに使ったケーキが浮かんでくる。
(役に入るのが昨日ならよかったのに)
悔やんでも悔やみきれない。
しかし、家庭教師とは都合がいい。分からないことは聞けばいいし、ごく自然に情報収集ができる。
そして、朝食を終えると、祖父は領地の仕事があると執務室に籠り、エリーナは屋敷を散策した。
屋敷はそれほど広くなく、使用人も十名を少し超えるくらいだ。二人しかいないのだから、使用人も少なくて当然だ。これが公爵ともなると、二十三十となる。
十数名の使用人をまとめているのが、執事長のエルディ。祖父の仕事を補佐しており、有能な壮年の男性だ。
若い頃はさぞモテたと思わせる美形のおじさんで、気遣いも素晴らしく屋敷の内外にファンがいた。
エリーナはそんなエルディが大好きであり、彼を見つけてはお菓子をねだっていたのだ。今のように。
「エルディ。お菓子ちょーだい」
廊下でエルディを捕まえ、にこっと笑って手を出す。彼は執務室から出てきたところで、祖父から用事を言付かったようだ。
「エリーナ様。一つだけですよ」
彼は茶目っ気たっぷりに片目をつむって、飴を一つ掌に置いてくれた。後ろで掃除をしていた侍女が流れ弾に当たり、かっこいい~と漏らしたのが聞こえる。その日によって違う飴で、常に何種類かの飴をポケットに忍ばせていることは、屋敷中の皆が知っていた。
「ありがとう!」
さっそく口の中に放り込めば、さわやかなりんごの味がした。
エルディに手を振って別れ、散策を続ける。悪役令嬢の中には、その傲慢な性格から使用人と仲が悪い子が多かったが、今回はそうなる前なのか仲は良好のようだ。
(家庭教師は優しい人だといいけれど)
エリーナは頭の片隅で家庭教師のことを考えながら、厨房やサロンを見て回って場所を把握する。
(厳しい感じの女性かしらね)
だが、それはいい意味で裏切られることになる。




