23 苦手な人とは距離を取りましょう
ルドルフ・バレンティアは公爵家の嫡男であり、将来を有望視されている。学園内でも人気は高く、女の子たちの視線をさらっていた。その氷のような眼差しに射抜かれたいと熱を上げる女の子が多いが、実際はそんなにいいものじゃない。
「なぜ逃げる」
後ろは壁。氷の眼差しに貫かれ、エリーナはもう一歩も動けなかった。目の前には端正なルドルフの顔がある。苛立ちを含んだ目がすっと細められた。
(ひぃぃぃ! 怖い!)
エリーナはすでに涙目である。
夜会の翌日、授業が終わり帰ろうとしたところ、ルドルフに声をかけられた。まさかの苦手キャラ登場に、エリーナは失礼にならないよう会釈をし、足早に去ろうとしたのである。ヒロインもいないのに、攻略キャラと関わる意味はなく悪役令嬢を演じる際に支障が出る。というのは建前で、今までの断罪シーンが思い出されて彼は苦手なのだ。
「も、申し訳ありません」
追い詰められたのは人気のない階段の踊り場で、授業後にベロニカと新作のロマンス小説について語ったのが災いになった。学生はほとんど帰っており、助けを求められない。
「いや、謝らせたいわけではないのだ……」
ルドルフは咳払いを一つすると、すまなかったと一歩引いた。
「怖がらせるつもりはなかったのだが、昔からこの顔は怖いと言われていてな」
「い、いえ……」
その通りですと言えるはずもなく、エリーナは小さく首を横に振る。しかし全くもってルドルフに声をかけられた理由が分からない。
「その、昨日夜会にいただろう」
「は、はい」
「そこでベロニカ嬢と一緒にいたのを見たのだが……大丈夫だったか?」
「……はい?」
心配されているらしいと理解したエリーナだが、次はなぜと疑問が浮かぶ。それが顔に出ていたようで、ルドルフは渋い顔で理由を口にした。
「ベロニカ嬢とは長い付き合いなのだが、少々わがままで言葉がきついところがあってな。他の令嬢とよく問題を起こしていたんだ。先ほども二人で話していたから、少し心配になって」
どうもいじめられていると思われたようだ。エリーナは目をぱちくりとさせ、慌てて首を横に振る。
「違います! ベロニカ様には仲良くしていただいて、ロマンス小説について話しているんです!」
ベロニカはその容姿と言葉遣いから誤解を受けやすい。誤解を解こうと必死になるエリーナに、ルドルフは意外そうに目を見開いた。
「あのベロニカと話が……」
失礼な言葉をこぼしてから、あぁと納得したように一人頷く。
「クリス殿が可愛がっておられるロマンス令嬢だからか」
こちらにもなんだか失礼な言葉が飛んできた。
「……お兄様が、なんと?」
ここにもクリスによる影響が出ていると、エリーナは頭が痛くなってくる。その名が社交界中に広まっていると考えると、恐ろしくなってきた。
「いや、前からクリス殿とは親交があって、よくお話を聞かせてもらったんだ。思えば、気難しいベロニカにロマンス小説を勧めたらどうかと提案してくれたのもクリス殿だったな」
「そうなんですか……」
思わぬところでロマンス小説を広めているクリスに、エリーナは半目になる。自分の呼び名についてもだが、クリスの社交界での行いを知るのが怖くなってきた。優秀で手段を選ばないクリスは、他にもいろいろ爪痕を残してそうだ。
「そうか、いや、こちらの勘違いだったようだ。ベロニカ嬢と仲良くしてくれると助かる。すまなかったな、わざわざ呼び止めて」
しかも追いかけてきましたよねと心の中で付け加える。にこりとアルカイックスマイルを返し、気にしていませんよとアピールしておいた。
「いえ、気にかけていただきありがとうございました」
そして会釈をして彼の前を辞し、門で待つサリーの下へと急ぐ。その背をルドルフは見送り、ついっと鋭い視線を廊下の先へと飛ばすのだった。
一方のエリーナは優雅に、されども足早に門へと歩く。馬車の行列はとうに無くなり、オレンジ色の日を浴びてサリーが立っていた。エリーナに気づくと、呆れ顔で頭を下げる。
「お嬢様、今日は少し遅かったですね」
「ベロニカ様と小説の話をしてたら盛り上がっちゃって。それと、昨日の夜会でもお見かけしたんだけど、ルドルフ様と言葉を交わしてね。サリーの好きな眼鏡キャラだったわよ。冷血か腹黒かまでは分からなかったけど」
「まぁ! それは見てみたいですね。銀髪ですか?」
眼鏡キャラと聞いてサリーが目を輝かせた。サリーの嗜好は偏っており、彼女が持つロマンス小説には眼鏡キャラが必須だ。さらに銀髪眼鏡の冷血腹黒ならば文句はない。
「残念ながら、深緑よ」
「深緑もなかなか……」
その日あった他愛もない話をしながら屋敷へと帰る。そして家に帰れば学校の課題を終わらせ、ロマンス小説を読んで悪役令嬢の練習をする。それがエリーナの習慣となっていた。




