19 悪役令嬢を語りましょう
翌日から、エリーナはベロニカの隣りに居座るようになった。最初は煙たがられたが、徐々に諦めていったのか一週間が経ったころには、当然のように隣にいるようになっていた。ベロニカもロマンス小説が好きであり、好みもよくあったところが大きい。お互いおすすめの小説を紹介し、貸し借りをしていた。
取り巻きの二人は、エリーナがベロニカにくっついて回るようになってから姿を見せなくなった。ベロニカによれば公爵令嬢だから傍にいただけで、友達でもないらしい。
それが取り巻きというものよねと、昔の自分を思い出し感慨深げに何度も頷くエリーナに、理解しがたい視線をベロニカが送るのはいつものことだった。
そして休日の今日は、エリーナのロマンス小説コレクションに興味を示したベロニカを王都にあるローゼンディアナ家に招いて、小説談義を繰り広げていた。図書室にティーセットを持ち込み、壁一面のロマンス小説から好きな作品を語る。
「エリーナ。この小説、なかなか琴線に触れる作品でしたわ。あなた、性格は残念ですけど小説を選ぶセンスは認めてあげるわ」
「ベロニカ様。お褒めにあずかり光栄です」
「今話題のものから、古い名作まで……執念を感じるわね」
「これでも厳選して持ってきたんです。本邸にも、まだ本棚で二つ分ほどありますわ」
厳選すればするほど、持っていく本が増えるという不思議な現象が起こり、ドレスの間に本を詰めて持ってきたのだ。みるみるうちに新しい図書室がロマンス小説で埋まる光景に、クリスは諦めてため息をついていた。
しばらく最近流行っている小説のストーリーについて語り合い、お菓子をつまんで一息いれたところで、ふとエリーナが疑問を口にした。
「それで、ベロニカ様はどの子をいじめるおつもりですか?」
好みのジャンルを聞くような、自然な口調で問うエリーナに、ベロニカは紅茶を吹き出しそうになったのを寸前で堪えた。公爵令嬢たるもの、そのような失態は見せられない。
「エリーナ……お花畑は頭の中だけにしなさいな」
ベロニカは性格なのか、息をするように毒を吐く。本人に悪気はないのだが、それゆえに人が寄り付かないのだ。エリーナとしては、ぜひご教授願いたい語彙力とセンスだ。
「でも、殿下に近づく不埒な女性たちを成敗しなくてはいけませんわ」
「あんな小虫をいちいち相手にしていては、こちらの度量が疑われるわ」
「なら、私のときは?」
「見過ごせないほど気味の悪い虫だっただけよ。ジークに変な虫がつかないようにするのも、私の役割だから」
そして、ベロニカはちらりとエリーナを一瞥すると、態とらしく咳払いをした。
「だから、貴女にも少しきつい言葉を言ってしまったけど、本心ではありませんわ。貴女のお父様や家について侮辱してしまい、悪いとは思ってるのよ」
決まりの悪さを隠すように、ベロニカはふいっと顔を横に向ける。
「いいえ、素晴らしい演出でしたわ」
が、変わらず悪役一直線のエリーナに、気にするのも馬鹿らしいと半目になってティーカップに口をつける。顔と手の角度、指先まで気品があふれ、公爵令嬢としてだけでなく、次期王妃としても厳しく教育されたことが垣間見える。エリーナは今まで何度か王妃教育を受けさせられ、にもかかわらずヒロインに惚れた王子によって婚約破棄されてきたため、その大変さはよくわかった。
「ベロニカ様は、幼少の時から殿下の婚約者でいらっしゃいますよね。雅な方の婚約者というのは、ご苦労も多いでしょう」
「そうね……貴族の娘だから、結婚は仕事みたいなものよ。もう少しジークに次期王として自覚があれば文句はないわ。関わってはいけない女に手を出すたびに、私が出向かなくてはいけなくなるなんて……」
幼少期から積み重なるものがあるようで、怨念のようなものを感じる。学園で見かけるジークは常に女の子に囲まれており、その中には政治的にややこしい立場の令嬢もいる。女の子を侍らせた上でベロニカの隣りにいるエリーナに手を振ってくるのだから、ベロニカが青筋を立てるのも無理はない。
「ベロニカ様はすばらしい方なのに……殿下は何が不満なのでしょう」
「政治的な婚約だもの。お互い心はないわ」
腑に落ちないエリーナの表情を見たベロニカは、すまし顔で言葉を続ける。
「現王は前王の従弟で、直系ではないのよ。だから格が落ちるの。その微妙な権力を、公爵家から正妻を迎えることで箔をつけたいのよ」
サバサバと事実を述べるベロニカは、この婚約に夢も希望も抱いていなかった。
(わかるわ。こっちは親が決めた婚約だから仕方なく、面倒を見てるのに。王子からは邪険にされるわ、女の子からは妬まれるわで散々なのよね。結局は政治よりも愛だとか言って、身分の低い子とくっつくのよ)
口には出せないが、内心大きく頷く。しかもそういう時、ヒロインはたいてい平民のはずが、実は高位の貴族の隠し子だったりするのだ。幼い時からの王妃教育を受けた時間を返せと、声を大にして言いたくなる。
「エリーナ、聞いてるの?」
「あ、はい。ベロニカ様の心労に思いを馳せておりました」
「……まあいいわ。あなたも18までにこの家をどうするか決めないといけないのでしょ? せいぜい学園でいい男を捕まえなさい。条件さえ出してくれれば、それなりの男を紹介してあげるから」
「お心遣いありがとうございます。ベロニカ様こそ、王子に近づく大きな虫がいたら教えてくださいね。一緒に退治しにいきますから」
王子にヒロインが近づけば、ベロニカ経由で情報が入るはずだ。そこを叩く目論見である。しかもベロニカとのダブル悪役令嬢となれば、燃えないはずがない。
「……吠えてる子犬にしか見えないから、やめてちょうだい」
「二人でかかれば、敵なしですわ」
どんな嫌がらせをしようかと悪役令嬢の世界に飛び立ったエリーナに、ベロニカは生暖かい視線を向けている。早くも見た目は可愛いのに中身は残念なロマンス令嬢と思われていることを、エリーナは知らない。
その夜、クリスは書斎でサリーから報告を受けていた。毎晩欠かさず、今日のエリーナについて報告をしてもらっている。全使用人がエリーナについて気づいたことがあればサリーに伝え、それをクリスに報告する。クリスが当主代行についてから、最初に決めたことだった。
「本日のお嬢様は、ベロニカ様を図書室にお招きになり、小説談義に花を咲かせておられました。仲が良く、楽し気にされておりました」
「へぇ。公爵令嬢と懇意にしているとは聞いていたけど、そうとう気が合ったんだね。公爵令嬢は気が強いことで有名なのに、エリーナは大丈夫かな。棘のある言葉に負かされて泣いてない?」
社交界でのベロニカの評判はお世辞にもいいとは言えない。友達関係を心配する親のようなクリスに、サリーは真顔のまま返す。
「素晴らしい悪役令嬢だと、目を輝かせておられます」
「あ……。だから懐いたんだ」
すとんと納得する。言われてみれば、高圧的で棘のある言葉を吐く彼女は、ロマンス小説の悪役令嬢そのものだ。王子の婚約者という立場上牽制の意味もあるだろうが、王子にまとわりつく令嬢に浴びせる言葉と向ける目は、遠目で見ても恐ろしい。
「エリーに悪影響がでないなら、放っておこう。エリーが楽しいのが一番だからね。他にエリーは何か話してない?」
エリーナは学園から帰る途中、その日あったことを嬉しそうにサリーに話す。夕食の席でクリスにも話してくれるが、同性であり姉のようなサリーにだけ話すこともある。それをサリーは当たり障りのない範囲でクリスに報告していた。今のところ、クリスに隠さなければならないようなことは起こっていない。
「いえ特には。ベロニカ様の話ばかりです」
「ふ~ん……じゃあ、そろそろかもね」
含みを持たせた言い方に、サリーは小首を傾げる。それに対し、クリスはいたずらっぽく笑うだけだった。




