理想の悪役令嬢
顔を引きつらせ、掠れた声を出すクリスにエリーナは一歩迫り寄った。常ならば抱きしめられ、キスをする距離だ。なのに甘い雰囲気は無く、いつもは温かい胸の奥がこの上なく痛い。
涙を見せないのは、今まで散々裏切られてきた悪役令嬢としての意地だ。
「エリー……その話、どこで?」
「二人がお庭で話しているのを聞いてしまったの」
クリスの目はあちらこちらと忙しく、言い訳を考えているように見えてエリーナは泣くものかと唇を引き結ぶ。口を開けば涙も零れてしまいそうなので、少し潤んだ目でクリスを見上げた。
それは的確にクリスの胸を抉っており、罪悪感から呻き声が漏れている。そして不安げな瞳をエリーナに向け、一瞬言うのを躊躇ってから覚悟を決めた表情で口を開いた。
「隠していたわけじゃないんだ……。だから、エリーにも見てほしい」
嫌と反射的に言ってしまいそうになったエリーナは寸前で口をつぐんだ。
(え、どういうこと? 私に理想の悪役令嬢を見て勉強しろってことなの? なんだか、昔の恋人の写真を見せられるようで嫌だわ。……でも、ここで逃げたら悪役令嬢の恥よ!)
一瞬の間でエリーナは気合を入れ、受けて立つわと頷いた。
表情を伺っているクリスに手を引かれ、連れていかれたのは今いる書斎から続く部屋だった。そこは領地経営に関する資料が入っている部屋で、エリーナが足を踏み入れたことはなかった。
四方の壁のみならず、部屋の中央にも本棚が並んでいて分厚い資料が所狭しと並べられている。本だけでなく、展示ケースの中に何かの道具や植物が乾燥したものも保管されていた。だが絵は見当たらず、きょろきょろと首を動かすエリーナをクリスはさらに奥へと連れて行く。
そこには他と比べると小さめのドアがあり、クリスはポケットから鍵を取り出して開けた。
(鍵をかけるほど大事なものなのね……)
クリスの言葉、行動一つで傷つく自分に、「それぐらい愛しているのね」というベロニカの言葉が蘇る。
(見たくないわ……絶対嫉妬してしまうもの。そして、悲しくて、いつかクリスがその理想の悪役令嬢に会うんじゃないかとビクビクしちゃう)
鍵をポケットに入れたクリスは険しい表情をしているエリーナに視線を落とした。
「エリー、これを見ても、僕のことを嫌いにならないでほしい」
不安そうな声に顔を上げれば、クリスも泣きそうな顔になっている。どういうことかと返す間もなくドアが開かれ、顔を前に戻したエリーナは言葉を失った。
優しい明るさと共に正面に飾られた絵が目に入り、頬に涙が伝う。
「うそ……」
19枚の絵。
そこに描かれているのはどれも少女で、髪も瞳の色も違うが受ける印象はどれもきつく、高飛車そうだ。半分ぐらいが縦巻きロールを装備している。どれもが悪役令嬢と呼ぶに相応しい顔だった。
「これ……私だわ」
正確には、今までのエリーナだったもの。ここで生きるまでに演じてきた悪役令嬢たちだった。エリーナは熱に浮かされたように、クリスの手を離して絵に近づいていく。
「リリー・マリア……私が初めて悪役令嬢になった子……主人公をいじめて国外追放になったわ」
エリーナが瞬きするたびに、涙が滑り落ちていく。だがその涙は悲しさではない。
「カリーナ・ヴァロア。国家転覆を謀って処刑された子……。そして、最後のリリアンヌ。すごい、全員いるのね」
最初の悪役令嬢なんてずいぶん昔なのに、口元のほくろまで完全に再現されていた。一人一人に目を向けていけば、19人全員の人生が思い起こされる。誰もが一途に人を愛し、狂っていった。
その全員が微笑んでいる。
嘆き、絶望し、憤怒のうちに死んだこともあった。だけど、ここにいる悪役令嬢たちは皆幸せで穏やかな笑顔。
(なんて、幸せなんだろう……)
クリスと思いが通じ合った時以上の幸せかもしれなかった。クリスの優しい、これ以上のないほどの深い愛情が伝わって来て涙が止まらない。
横に立ち、ハンカチで涙を拭ってくれているクリスに微笑みかける。
「ありがとう、クリス。今までの私も全員愛してくれて」
「その、大丈夫? 気持ち悪くない? 勝手に今までの姿が描かれていて」
本気で心配しているクリスに、エリーナはきょとんとしてから吹き出した。
「そんなに自信がなかったの? 大丈夫よ。むしろ、すごく嬉しいわ……」
じんわりと幸福感に包まれたエリーナは今までの自分たちを見回す。
「悪役令嬢だって、愛されているってことだもの」
嫌われ役、憎まれ役、恋の当て馬。シナリオの便利な役柄にすぎない自分が、一人の人として認められ愛された証。嬉しくないわけがなかった。
満面の笑みを浮かべているエリーナを見て、クリスはやっと安心したようで小さく息を吐いた。
「よかったぁ。エリーに嫌われたら、僕生きていけないよ……。僕の愛は狂気で重すぎるって分かっているから、いつかエリーの負担になるんじゃないかって」
「何言ってるのよ。私は悪役令嬢なのよ? 強くて広い心で、どんなに重い愛でも受け止めてみせるわ!」
悪役令嬢らしい勝気な笑みをクリスに向けて言い放ったエリーナは、ふとクリスの向こうに飾られているものに気付く。額に入れられているのは手紙のようだ。
「ねぇ、あれって何?」
何か歴史的価値のあるものなのだろうかとエリーナが指させば、それを目で追ったクリスが蕩けるような笑顔で答える。
「あれは、エリーが初めて僕に書いてくれた手紙だよ」
「……ん?」
エリーナの記憶にはない。常に一緒にいたので、手紙を出す機会などめったになかったからだ。
戸惑った表情に変わったエリーナに対し、愛を受け入れると宣言され浮かれるクリスは嬉しそうに話し出す。
「エリーが8歳の、出会って一か月くらい経った頃に、作法の先生から手紙の書き方を教わったからって、僕に手紙をくれたんだよ」
「そ、そんなこともあったかしら……。でも、なんで飾っているの?」
「エリーからの初めての手紙だよ? 飾るでしょ」
当然だと言わんばかりの勢いに、エリーナは首を傾げたくなるが頷いておいた。これくらいの愛は許容範囲内だ。
そして、少し心にゆとりができたエリーナは部屋全体に視線を巡らせ一点で止まる。壁際に置かれた展示ケースの中に、見覚えのあるドレスがあった。
「ちょっとあれ……」
思わずエリーナがクリスの袖を引いてそちらに注意を向けさせると、クリスはよくぞ聞いてくれましたと喜色満面で説明を始める。もはやコレクションを自慢するテンションだ。
「覚えてる? 僕が初めてエリーに贈ったドレスだよ。あの時はこんなに小さくてさ~。靴も取ってあるんだ。それで、あっちにあるのはエリーからもらったハンカチとブローチ、エリーが優雅に開いたり叩いたりする練習をして壊しちゃった扇子も置いてあるよ」
鳥肌が立った。
エリーナは本能的に一歩クリスから距離を取ってしまう。
クリスの愛が重いことはよく理解していたし、親友二人からもよく言われていた。だが、これは重いとかいう次元の話ではない。
「クリス……これは気持ち悪いわ」
声と顔から感情が抜け落ちており、エリーナは冷たい視線を婚約者(仮)に向ける。今は(仮)をつけたい気持ちだった。
「ちょっと、実家に帰らせてもらうわね。うん、これは私一人では対処しきれないもの」
くるりと踵を返したエリーナは、リズにもう一度支度をするように言わなきゃと振り向くことなく歩き出す。
「えっ、ま、ちょ、エリー!?」
凍り付いた視線と言葉に一瞬理解が遅れたクリスは、悲壮な表情でエリーナを追い、後ろから抱きしめた。
「ダメ! 実家って、ベロニカ様のとこ? まさかラウル先生!? 行かせないよ! 僕の愛を受け入れてくれるんじゃなかったの!?」
「ちょっと離して! 絵とそれ以外とは話が別よ!」
いつの間にか羽交い絞めに変わっており、手足を動かして抜け出そうとするがビクともしない。
「お願い許して! この二週間地獄だったんだからね!? エリーがいないサロンとか部屋を見ると、悲しくて泣きそうだったんだよ、耐えられない! 本当ならラルフレアに迎えに行って、なんならさっきも出迎えたかったけど、余裕がなく見えるかと思って我慢したのに!」
「ちょっと一度、婚約者、並びに夫婦の距離感について相談してくるわ!」
「やめて! 二人なら婚約破棄をすすめそうだから嫌!」
「じゃあ、せめて絵以外は片づけてよ、恥ずかしい!」
「僕の大事な思い出の品だから無理!」
大声を張り上げ、お互い一歩も譲らない痴話げんかは、両国の外交問題に発展する事態になったとか、ならなかったとか。これもまた二人の思い出として残っていくのである。
後日、19枚の絵以外は厳重に鍵をかけた箱とクローゼットに保管することで手打ちにしたエリーナは、ふと思い出して「クリスの様子がおかしい」と連絡をくれた侍女に話を聞いた。
「ねぇ、結局クリスはどうおかしかったの?」
てっきり浮気をしてそうだったのかと思っていたのだが、そうではないと分かった今気になったのだ。
掃除をしていたところを呼び出され、何事かと思っていた彼女は「その……」と言いにくそうに口を開いた。
「早く帰ってきたものの、エリーナ様がまだお帰りになっていないことを失念されていたようで……。エリーナ様の部屋や温室を覗いた後、サロンでいつもエリーナ様が座られていたソファーをじっと眺めていらっしゃいました」
ありありとその様子が想像できてしまったエリーナは苦笑いを浮かべる。
「それはおかしいというか、怖いわね」
「はい、まるで主人の帰りを待つ……」
侍女はそこで何かに気付いた顔になり、言葉を止めた。続きは言わずとも明らかで、不敬をものともしないリズが代わりに口にする。
「ワンちゃんだったんですね。いやぁ、愛が激重でエリーナ様が押しつぶされないか心配です」
クリスの暗躍を一部知っているリズは遠い目になっていた。
「受けて立つわ。それに今回ので目標ができたの」
楽し気に笑っているエリーナはリズと目が合うと意地悪そうに微笑んだ。
「いつかクリスに私からの愛が重いって言わせてやるんだから。今日は、リズが昔言ってたヤンデレに当たるロマンス小説を読むわよ。意見をちょうだい」
「えぇ……エリーナ様がヤンデレ? う~ん、やるだけやってみましょうか」
ヤンデレ像をエリーナに当てはめてもしっくりこず首を捻るリズ。対するエリーナはやる気満々で、ここに悪役令嬢劇場の第二幕、ヤンデレ劇場が始まる予感がするのである。
コミカライズ記念の小話におつきあいくださりありがとうございました。
応援してくださった皆様が少しでも楽しんでくだされば幸いです。




