目力で口を割らせましょう
アスタリア王国の屋敷へと戻ったエリーナは、旅装を解いて着心地のいいイブニングドレスに着替えるとクリスの書斎へと向かった。一歩後ろについているリズは、不安そうなエリーナに小さく声をかける。
「エリーナ様、気を強く持ってください。エリーナ様にはベロニカ様や私という強力な味方がいますから」
「そうね。何かあっても一人じゃないもの」
正直秘密の絵を知った上、様子がおかしいと言われたクリスに会うのは気が重く緊張する。絵本に出てくる魔王に立ち向かうプリン姫のようだ。
「はい。そして、クリス様が何か隠しているようなら、必殺技を使ってくださいね」
リズから伝授されたその技と経緯を思い出して、エリーナはクスリと笑う。張り詰めていた心が少し和らいだ。リズの気遣いに感謝し、エリーナは足を止めた。
この屋敷を空けたのは一週間もないはずなのに、久しぶりに感じる。扉の奥から威圧感が漂っている気がして、エリーナは静かに深呼吸をした。
「行ってくるわ」
「ご武運を祈っています」
本当に魔王に挑むようなリズの言い方に、エリーナの口許が緩む。ノックをすれば、いつものクリスの声が返ってきた。心臓が跳ね、鼓動が早まる。
リズが前に出てドアを手前に開け、エリーナは部屋に足を踏み入れた。
クリスは正面にある仕事机の前に立っており、視線が合うと破顔する。
「エリーおかえり!」
「ただいま、クリス」
いつもと変わらない様子に、エリーナは警戒しつつ視線を上から下まで滑らせる。
(服装は変わりなし、コロンも同じね……これだけじゃ分からないわ)
ベロニカが教えてくれた浮気の兆候に、服の趣味が変わったり、香水を変えたりするというものがあったからだ。他にも手紙や外出、仕事で帰らない日が増えるなどもあり、そう考えると長期出張が怪しく見えた。
「もう少し向こうにいるんじゃなかったの?」
(え、早く帰って欲しくなかったってこと? やっぱり好みの悪役令嬢が……?)
まさか自分がいない間に逢引きをするつもりだったのかと考えると、胃の辺りが気持ち悪くなってくる。クリスの顔が見ていられず視線を落とせば、クリスが心配そうな顔でのぞき込んできた。
「エリー?」
髪に触れ、頬へと滑り落ちてくる。その温かさは嬉しいもののはずなのに、今は逆に不安にさせる。エリーナはクリスの金色の瞳を見つめ返すと、重い口を開いた。
「ねぇ、クリス……。私に、隠していることがあるでしょ?」
自分でも驚くほど冷たく、固い声が出た。クリスは目を見開き、「えっ」と短く声を漏らす。
「どうしたの、エリー。あっちで何かあったの?」
クリスの声は珍しく上ずっていて、驚きようがよく分かった。白々しく見えてきて、エリーナはクリスから視線を外すことなく、見つめ続ける。
「え、ちょっと。エリー? 僕、何かした?」
無言のまま悪役令嬢劇場で鍛えた目力を使い、エリーナは圧力をかける。これがリズ直伝の技で、彼女はこれでマルクがお風呂上りに取っておいた黒ゴマプリンを食べたことを吐かせたという。
「あの、エリー?」
効果はてき面で、徐々にきまり悪そうな顔になって視線が泳ぎだす。必死に原因を探っているようだ。なおもエリーナが視線をそらさずにいると、クリスの眉尻が下がり観念したような顔になった。その反応が黒のような気がして、胸が締め付けられ涙が出そうになる。
(だめよ! 決定的な証拠を掴むまで、泣いちゃだめ!)
クリスは険しい表情になっているエリーナを見て怒っていると思ったのか、消え入るような声で呟く。
「ごめん……」
その先に、別れの言葉が続く気がして耳を塞ぎたい。だが無情にも、すぐに言葉が落ちてくる。
「聞いたの? 僕がプリン醤油事件の情報を流したって」
「……はい?」
深刻な声に似合わない言葉の並びに、エリーナは間の抜けた声を出してしまった。浮気疑惑や、秘密の絵の前に聞き逃せない隠し事が浮上したのだ。
「ちょっと、何そのプリン醤油事件って」
「あれ、違った?」
しまったと、クリスは口元を押さえるがすでに遅く、エリーナは目をかっと開いて詰め寄る。その迫力に、クリスはバツが悪そうな顔で白状し始めた。
「あ~、その……。カイルのとこの作家がね、プリン姫の冒険に使うネタが思いつかなくて困っているって言うから……この前のことを話しちゃった」
この前、プリン、醤油。そのキーワードに、エリーナの悪夢が蘇る。
それは、深夜に小腹が空いたエリーナがランタン片手に厨房で夜食用プリンを探していた時のことだった。目当てのプリンを出し、棚からカラメルソースが入った瓶を取り出してかけたのだ。いつもに比べてさらっとしていて、色は黒かった。
一口食べたその瞬間、上がる悲鳴。期待していた味ではない、未知のものにパニックになったのだ。クリスが駆けつけた頃には、エリーナは「プリンが、プリンがぁぁぁ!」と泣きじゃくり、現場検証をしたマルクが「これ、醤油なんです! 申し訳ありません、紛らわしいところにおいてしまって!」と必死に頭を下げていた。
エリーナの側で宥めていたリズは「プリンに醤油ってウニの味って言いますものね……。ウニを知らないエリーナ様にとっては、まずいですよね」とフォローにもなっていないことを口にしていた。
クリスはエリーナを泣かせた醤油プリンに殺意を抱き、即捨てようとしたがエリーナの「待った」がかかった。曰く、「プリンとして作られた以上、どんなプリンも全部食べるわ!」と、さすがプリン姫である。
結局、マルクが責任を持ってプリンにかけられた醤油を救出し、みたらし餡にして事なきを得た。
「これはこれでありね!」
と、泣き止んだエリーナはにっこり。その後マルクはクリスと料理長に怒られ、醤油は鍵がついた棚に移されることになったのである。
それがプリン醤油事件であり、数か月前の出来事だった。
エリーナは一部始終を思い出して、恥ずかしさに顔が赤くなる。あの後プリンを食べるのも気まずかったのだ。それが他の人に知られたと思うと……。
「ひどい! リズが言ってたプライバシーの侵害よ!」
「だからごめんって! だって、こんなに可愛いエピソード、他の人にも知ってほしくなるでしょ?」
「雑談するのと、本にするのでは話がちがうでしょ!?」
思いもよらない暴露にエリーナは頭が痛くなる。きっとそれを題材にした絵本が出た頃には、茶会や夜会でプリンと醤油について聞かれるのだろう。遠い目になったエリーナだが、肝心のことが聞けていないと気を持ち直す。
「まあいいわ。それは別として、他にもあるでしょ」
「えっ……」
まだ続くと思っていなかったようで、再びクリスの瞳に動揺が走る。
「……もしかして、気づいた?」
探るような目を向けられ、いよいよ来るかとエリーナは身構える。
「実は……夜食用のプリンは砂糖を減らしているんだ。夜中に甘い物を食べると、お腹周りが可愛くなるから」
太るとはっきり言わないのは、クリスの優しさなのか。確かに言われてみれば甘みが控えめだった。そのためカラメルソースを多めにかけていたのだが、口には出さない。
「なんだか騙されたような気分になるけど、別にいいわ。それじゃないの」
「え、じゃあ、エリーが見に行った劇の脚本協力をしたこと?」
「どうりでローゼンディアナ家でのストーリーがリアルだったわけね! でも違う!」
暴きたい秘密とは違うことばかり出て来て、はぐらかされているのではと猜疑心が持ち上がる。クリスは困った顔になっており、絵のことは隠し事とも思っていないのか、それとも完璧に隠すつもりなのかと穿った思考が止まらない。
エリーナは不安に瞳を揺らすと、意を決し核心に迫る言葉で切り込んだ。
「クリス……。シルヴィオお義兄様に描かせた絵って、何?」
「……え? どうして、それを?」
その表情は浮気の証拠を突き止められたもののようで、驚愕と焦りが色濃かった。




