親友のありがたさを噛みしめましょう
「待って。それだと、私はプリンかロマンス小説のことしか頭にない王女だと思われてしまうわ!」
エリーナの手紙には時候の挨拶の後にプリンかロマンス小説の話が続き、それが手紙の半分を埋め尽くしてから本題に入る。それを受け取る側の二人は、すでにロマンス令嬢、プリン姫と呼ばれており正史にも残るだろうという言葉を飲み込んだ。ちらりと視線を合わせ、小さく頷き合う。現実を受け止めるのはもっと後でいいだろうと。
今は目の前のクリスが浮気するかも問題だ。
「今はそれを考えても仕方がないでしょ。いい? エリーナ。もしクリスさんに怪しいところがあったら、すぐに知らせを飛ばしなさい。何が何でも実家《王家》に帰らせるから」
任せなさいと胸を張るベロニカに、エリーナは感極まり、また涙目になって抱き着いた。
「ベロニカ様ぁぁぁ! なんだか元気が出ました! そうですね、もし浮気されたらこっちに帰って、ベロニカ様と暮らします!」
「大歓迎よ。もしクリスさんが迎えに来ても、ラウル先生とルドルフ辺りも呼んで返り討ちにしてやるわ」
ベロニカはエリーナを引き離すことはせず、頭を撫でる。柔らかい髪が心地よく目を細めた。珍しい出来事に目をぱちくりとさせて不思議そうな顔をしているエリーナから手を離すと、満足そうに口角を上げる。
「それにしても、浮気されるかもって不安になるくらいクリスさんを愛しているのね。ひよこが立派になって嬉しいわ」
ストレートな言葉に、大きく膨らんだ愛情を言い当てられたエリーナは頬を染める。恋心に気付いた頃も、婚約をしたばかりの時でも、この不安はなかったのだから。
ベロニカの言葉にリズも頷く。
「確かにそうですよね。今までのエリーナ様なら気になさらずプリンを食べていると思います」
散々な言われようだが、この二人との変わらない距離感がエリーナには嬉しい。そして、この不安が生じるもう一つの理由を恐る恐る口にした。言ってしまえば現実になりそうな気がして、言葉にするのをためらっていたのだ。
「だって……婚約中なのだもの」
視線を落として力なく呟くエリーナに、二人の頭の上に疑問符が浮かぶ。婚約中の方が浮気の可能性が高くなるという話があっただろうかと考えたところに、エリーナが言葉を続けた。
「悪役令嬢で婚約といえば、婚約破棄でしょう?」
「はい?」
「へ?」
常に一流の品格を備え一部の隙も無いベロニカと、厳しく所作と言動を躾けられたリズが素っ頓狂な声を出した。エリーナの奇抜な発想は昔からだが、最近は鳴りを潜めていたため油断していたのだ。
「エリーナ、貴女……」
ベロニカの肩から一気に力が抜け、憐みがこもった瞳を向ける。
「まだ悪役令嬢ごっこをしているの?」
「エリーナ様、そりゃクライマックスは悪役令嬢への婚約破棄と断罪ですけども……」
ベロニカは「今は王女で婚約したでしょう?」と、リズは「ヒロインに転生したでしょう?」と言外に込めていた。二人に突き放され、エリーナは慌てて口を動かす。
「だって、クリスは王子だし、今この瞬間にも理想の悪役令嬢と出会って攻略されているかもと思うと気が気じゃなくて!」
「いやぁ、もう新しい話は始まらないと思いますよ?」
リズは侍女の顔ではなく、前世の乙女ゲームプレイヤーの顔で答えた。この世界は乙女ゲームの世界であり、二作目までストーリーが出て来ていた。そのためもしかしたら三作目がと不安になったのだろう。心の中で納得と、「悪役令嬢に攻略されるってなんですか」という冷静なツッコミが生まれた。
「そんなに不安なら、さっさと結婚すればいいじゃない。式を早めるくらいこっちから圧力をかけられるわよ?」
対するベロニカはエリーナのためなら権力を乱用する心づもりだ。
親友二人の心強い言葉に、エリーナは心が温かくなり表情が和らぐ。
「そうか、そうですよね……。ありがとうございます。二人が親友で幸せです!」
エリーナは吹っ切れたような可愛い笑顔を見せ、二人はまっすぐな言葉を受けて気恥ずかしそうに笑った。
そして話題は最近のロマンス小説へと移り、いつもの楽しいおしゃべりの時間が過ぎたのだった。
夜はラルフレアを訪れた理由である観劇だったのだが、内緒にされていた演目は『プリン姫の冒険 魔法学園編』。既視感を覚える見た目の男役と、身に覚えのあるセリフと出来事の連続だ。エリーナは来賓の意地ですまし顔を作っていたが、羞恥に悶えることになるのである。
翌日からはいくつか茶会や夜会が入っている以外は王宮でのんびり過ごした。アスタリアに戻ってもクリスはいないため、彼の帰りに合わせて戻ることにしていたのだ。ベロニカの時間が空けばすぐに小説談議が開かれ、エリーナは始終ご機嫌だった。
だが、ラルフレアでの滞在も残り二日となったその日。
リズの下に侍女仲間から早馬で知らせがやってきた。質の良い紙に走り書きされていたのは「クリス様の様子がおかしいからすぐに帰って来て」の一文。予定ではクリスが帰るのは三日後のはずだった。
「え……やっぱりどこかで理想の悪役令嬢に出会ったの?」
侍女仲間はよほど急いでいたのか、詳しい情報は書いていなかった。急激に不安に襲われエリーナは、「いつでも帰って来なさい」というベロニカの力強い言葉に背中を押されて急ぎアスタリアへと帰るのであった。




