181 悪役令嬢劇場の幕を開けましょう
気を失ったナディヤを自室で休ませている間に、エリーナは悪役令嬢スタイルになって準備を済ませていた。真紅のドレスは装飾を抑え、本人の美しさが前面に出るデザインだ。さらに、今日はリズが頑張って横髪を縦ロールにした。ベロニカほど立派なものではないが、そこそこは巻けている。やはり縦ロールがあってこその悪役令嬢だ。
そして目を覚ましたナディヤに状況を説明し、シルヴィオの前で粗相をと青ざめるナディヤを宥めた後、三人は馬車に乗ってグリフォン家へ向かったのだ。
二人の姉は、今日は王宮のお茶会に出ており、夕方には帰るとのことだった。噂が届いていれば必ず怒ってナディヤの元へ乗り込んでくる。そこを迎え撃つのだ。
馬車に揺られる中、ナディヤは不安と後ろめたさから何度もエリーナに「いいんでしょうか」と問いかけていた。それに対するエリーナの言葉は毎回同じ。
「生ぬるいくらいよ。ガツンとやりなさい」
劇場の脚本はいくつかあった。ナディヤはその中で一番優しく、甘いものを選んでエリーナを呆れさせたのだ。だがそこがナディヤの良さでもある。
そして馬車が止まり、馬車から降りたエリーナは屋敷を見上げた。グリフォン家は侯爵家というだけあって、立派なお屋敷だった。初老の侍女が迎えに出て、見違えるほど綺麗になったナディヤを見て目を丸くする。何か言いたそうな顔をしたがぐっと引っ込め、三人をサロンに案内した。すれ違う使用人たちがナディヤを二度見し、口を開けていた。あまりの衝撃に、エリーナ達について気にも留めない。
「お姉様たちが帰ったら、ここに連れてきてもらえる?」
サロンに入り、そう優しく指示をするナディヤには、いつもの暗くて影の薄い姿はない。使用人たちは一斉に頭を下げ、慌てて自分たちの仕事へと戻るのだった。そのうちの一人が緊張した面持ちでお茶の用意をする。エリーナとナディヤは丸テーブルに向き合って座っており、リズはエリーナの後ろに控えていた。後は役者がそろうのを待つだけだ。
お茶を飲みつつ先ほどの告白について訊いていれば、ほどなく廊下がざわつき始め、慌ただしい足音が聞こえてきた。ナディヤは緊張に身を固くしてドアに視線をやり、エリーナは動じることなくもう一口とお茶を飲む。
そしてノックもなくドアが荒々しく開かれた。
「ナディヤ! どういうことなの!?」
「変な噂が流れてきたんだけど!」
憤怒の表情で乗り込んできた二人は、エリーナに気づいて戸惑いの表情を浮かべている。エリーナはお気になさらずと目礼だけをして、二人を失礼にならない程度に観察する。二人には初めて会った。エリーナが参加していた茶会や夜会は当主や大臣が多く、年齢層が高めだったため、結婚の相手探しを目的とする二人は出席していなかったのだ。
ナディヤの姉二人は赤い髪に金の瞳と一般的な顔立ちで、目が吊り上がっていてきつい印象を受ける。ドレスは気合の入ったゴテゴテしたものであり、エリーナに言わせればセンスが無い。
(これは、残念なドレスね)
ドレス自体は可愛いが、フリルが多くふんわりしたドレスは人を選ぶ。姉二人には似合っていなかった。エリーナは厳しい目で二人を査定し、減点ポイントを頭にメモしていく。
「お姉様方、おかえりなさいませ」
ナディヤは硬い声でそう返し、立ち上がって姉たちのほうへと近づいた。背筋を伸ばし、胸を張って二人に向かい合う。姿は普段通りに見えていても、内心震えあがり、背中に嫌な汗が伝っていた。
「そのドレス、どうしたの?」
「何でそんなものを持っているのよ」
姉たちの声には苛立ちが存分に含まれており、一人が疑いの目をエリーナに向けていた。エリーナは微笑を浮かべるだけで、そこから動かず口も出さない。ナディヤが頑張らなければ意味がないからだ。
「借りたんです」
短くナディヤが答えると、二人は生意気だと顔を顰める。緊迫した空気が流れ、一人が本題を切り出す。
「それで、貴女がシルヴィオ殿下と一緒にいたという戯言を聞いたのだけど、どういうことかわかる?」
「そうよ。殿下がナディヤを恋人にするおつもりだなんて、馬鹿げた話だわ」
二人は客人がいるからか、感情を抑えつつそう問いかけた。場所を移したそうだが、ナディヤが堂々と立っているため言い出せないようだ。そのナディヤはつばを飲み込み、気持ちを落ち着かせるとまっすぐ二人を見返した。
「事実です。今日、殿下と会って話をしておりました」
そうナディヤが言葉を返したとたん、二人は眉を吊り上げナディヤに詰め寄る。
「は? 馬鹿を言ってるんじゃないわよ! なんであんたなんかが殿下と会っているの?」
「しかも、恋人? とうとう頭がおかしくなったんじゃない? 妄言しか吐けないなら、口を縫い付けるわよ!」
二人は烈火のごとく怒り、エリーナのことなど忘れたように声を荒げる。
「そもそも母親の身分が低いくせに、侯爵令嬢を名乗っているのが分不相応なのよ!」
「そうよ! あんたは部屋に閉じこもって本を読んでいればいいのに!」
高圧的で心の無い言葉を浴びせられるが、ナディヤは耐えていた。いつもなら、ぶつかることを避け自室から出なかったのに。二人の悪意に負けないよう、後ろにいるエリーナの心強さを感じながら立っている。向き合い方は、エリーナに教わった。
ナディヤは静かに息を吸い、お腹に力を込める。
「違います」
芯があり、かすかに震えた声がサロンに響く。反発したナディヤに二人の怒気が膨らみ、それを打ち破るようにナディヤは声を上げた。
「私は、もう自分に嘘をつきません! お姉様たちに意地悪をされても、仕方がないってあきらめていました。でも、嫌です! 私は負けません!」
「生意気な口をきくんじゃないわよ!」
「あんたのせいで私たちの人生は狂ったのに、何様のつもり!?」
強い言葉が飛び出し、ナディヤは身を震わせエリーナは鋭い目を姉たちに向ける。エリーナが知っているのは、姉たちがナディヤに嫌がらせをしていることのみ。その背景までは知らない。そして悪役令嬢のプロとして、嫌がらせの裏には理由があることは承知していた。
「ど、どういうことですか」
戸惑うナディヤに、二人は怨念のこもった言葉を吐き捨てる。
「昔から可愛い顔をしてたからね。私たちに近づいてくる男たちは、みんなあんたのことばかり」
「ひどいもんだったわ。お義母様が亡くなってから、あんたが引きこもりがちになって、さらにしつこく私たちに取次を頼んでいたわ。バカみたい」
二人は憎々し気にナディヤを睨みつけていた。ナディヤは初めて知る理由に息を詰まらせ、瞳に迷いが生じている。
「だから、ずっと部屋から出て来なければいいのよ! 貴女さえいなければ、全てがうまくいってたのに」
「そうよ! あんたのような卑しい女は、みすぼらしいドレスがお似合いよ!」
エリーナは注意深くナディヤを見守る。ここまで言われてナディヤがどう出るか。エリーナは引いちゃだめと応援の気持ちを込めて視線を送った。そして、その思いに応えるようにナディヤは一歩前に踏み出し、ありったけの声で叫ぶ。脳裏にはエリーナの強気な笑顔と、シルヴィオの優しい笑顔が浮かんでいる。
「それでも私は、もうお姉様たちの言いなりにはなりません! 私は私を支えてくれる人たちのためにも、負けるわけにはいかないんです!」
ナディヤの強い意思のこもった声に、二人の姉は一瞬言葉に詰まる。今まではただ怯えて小さくなっていたナディヤが初めて見せた反抗的な態度に、姉たちは面を食らっていた。
入るなら今だ。
「ちょっとよろしくて?」
エリーナは扇子を掌で打ち鳴らし、立ち上がって三人へと近づいていった。さぁ、プロの悪役令嬢の裁きを見せようじゃないか。




