165 ヒロインについて考えましょう
次の休みがいつかと言えば二日後であり、シルヴィオが去ってからそれに気づいたナディヤを宥め、前向きにさせるのに一時間かかった。しかも家に書状が送られ、父を経由して義理の姉たちが知れば来られないかもしれないと怯え始めたので、エリーナは急いでシルヴィオに書状を送るのを止めさせたのだ。
理由はぼやかして伝えたが、シルヴィオはナディヤの置かれている境遇を理解しているようで、短く「わかった」と返って来た。その時の笑みに怒りが混ざっていたのは、見なかったことにする。
そして不安がるナディヤには前日よく寝てもらい、朝からエステのフルコースを受けてもらっている。寂しがるので衝立の向こうでエリーナがソファーに座りロマンス小説を読んでいると、人に触られ慣れていないようでくすぐったそうな悲鳴が上がっていた。
エリーナはお茶を淹れてくれているリズを見上げ、声を潜めて話しかける。
「ねぇ、あの性格で本当に乙女ゲームのヒロインができるの?」
どれほど不憫ヒロインでも、もう少し積極性がある。リズは衝立の向こうに視線をやり、苦笑いを浮かべた。
「ゲームと全く同じではありませんからね……それに、そもそもシナリオが分からないので、ズレているのか判断もつきません」
そしてふと、シナリオを知っていたクリスなら続編のシナリオも知っているのかと気になり、近いうちに聞いてみようと決める。それに、なかなかエリーナに秘密を打ち明けようとしないクリスに、だんだん苛立ってきたところである。
「そうね……ひとまず、度胸を付けさせるために悪役令嬢の特訓をさせようかと思うのだけど、どう?」
「えっと……ヒロインの路線が変わらない程度なら、いいかもしれません……が」
半分くらいエリーナが悪役令嬢劇場で遊びたいだけなのだろうが、確かに度胸はつくかもしれない。ただ、エリーナのようにヒロインの見る影もなくなっては困る……。リズは、そういえば本来のエリーナは寂し気で、健気に生きようと頑張っている女の子だったことを思い出す。間違っても強烈な悪役令嬢が出てくるロマンス小説を読んで、口元に笑みを刻んでいるような女の子ではない。
「……あ」
そんな残念なヒロインになったエリーナを見ていると、ふと先日の夜会で見た光景を思い出した。伝えようとしていて、バタバタして伝えそびれていたことがあったのだ。
「すみません、エリーナ様。一昨日の夜会で、ナディヤ様もいらしていたでしょ?」
「あぁ。他の攻略対象がナディヤに近づいていないか観察した夜会ね」
結果的に言えば誰もナディヤに声をかけることはなく、見ているエリーナの心が折れそうになったので早々に話しかけにいったのだった。
「それで、エリーナ様が席を外された時に、第二王妃様が声をかけられていたんですよ」
「え? クリスのお母様が? もしかしてわたくしが話をしていたから、興味をお持ちになったのかしら」
恐縮して固まっているナディヤが目に浮かんだ。思い返せば、他の貴族たちの挨拶を受けて戻った時、ナディヤはぼんやりしていたような気もする。
「それはわかりませんけど、ひとまずお伝えしておこうと思って」
「分かったわ、ありがと」
そして、そんな話をしているうちにナディヤのエステが終わり、瞬く間にドレスが着せられ、お化粧をされていく。はじめは申し訳なさそうにしていたが、「慣れなさい」というエリーナの一言をもらってからは無になっていた。
「うん。上出来ね」
そして化粧が終わったナディヤを見て、エリーナは満足げに頷いて侍女たちを労った。薄桃色のふんわりした髪は、前髪と横を編み込んでオレンジの可愛い花を挿していた。ドレスはクリーム色の優しい色合いのドレスで、ふわふわと重なったチュールが花の妖精のように見える。
「エリーナ様も、お召し物を整えます」
エリーナはあらかた済ませていたので、崩れたところを手早く直してもらう。エリーナはラベンダー色のドレスで、似たデザインのものを選んでいた。シルヴィオのリクエストである。そしてエリーナの頭に紅い薔薇が挿され、完成だ。その紅さからクリスを連想したエリーナは一人顔を赤らめていた。それを見てリズがニマニマと頬を緩めたので、侍女たちの目につかないように小突いた。
「あ、あの、エリーナ様。やっぱり、わたくしなんかが殿下に描かれるなんて……」
「もう。まだ言うの? 次わたくしなんかって言ったら、ひっぱたくわよ」
「エリーナ様。少々手荒いかと……」
気長に見守れる性分ではないので、実力行使である。いまだに気が引けているナディヤの手を引いて、シルヴィオに指定された部屋へと向かう。重厚感のあるドアの前に立てば、ナディヤは深呼吸を繰り返しており緊張が伝わってくる。そしてエリーナは優しくナディヤに微笑みかけ、開いたドアの向こうへと視線を向けたのだった。




