14 悪役令嬢を磨きましょう
ある天気のよい昼下がりのことだった。エリーナは15歳になり、女性として成長し令嬢らしくなってきた。幼い頃に亡くなった母に似てきたと、祖父はその成長を喜んでいる。その祖父はこの一年ほど体調が優れない日が多くなり、学園を卒業したクリスが少しずつ領地の経営を引き継いでいる。
エリーナは来年学園に入学することが決まっており、勉学も作法も最終段階に入っていた。作法の先生からは茶会も夜会も完璧にこなせるだろうと太鼓判を押され、当然よと胸を張る。張れるだけの胸もあり、ドレスもきれいに着こなせるようになった。悪役令嬢となる下地はそろったのだ。
そのエリーナは、誕生日のお祝いに作ってもらった深紅のドレスを揺らし、廊下を足早に歩いている。そしてノックもなしに、バーンとクリスの部屋のドアを押し開けた。驚いた表情をしているクリスはソファーの上で前かがみになっており、その先に押し倒されているサリー。突然のことに言葉の出ない二人にツカツカと近づいていき、扇でピシリと指した。
「お兄様。お戯れがすぎるのではありませんか?」
「お嬢様! 申し訳ありません!」
サリーが慌ててクリスを押しのけて起き上がり、ソファーの横で直立不動になる。顔は青ざめ、手は小刻みに震えていた。
「あなたのような下賤の子が、お兄様に相応しいとでも?」
パシリと、閉じた扇を掌で打ち鳴らし、斜に構え厭味ったらしく声に毒を持たせる。
「い、いえ……」
怯えるサリーを庇うように、クリスがその前に立った。その表情には突然割って入られた怒りが見える。
「エリー、邪魔をするな。僕が誰と一緒にいようが、関係ないだろう」
「お兄様、お立場をお分かりになっておいでですか? ローゼンディアナ家の次期当主ともあろう方が、侍女に現を抜かすようではなりません」
パシリと手で扇を打ち鳴らす。
クリスは20になったが、婚約者はおろか恋人もいない。持ち込まれる縁談は蹴り、夜会でも思いを寄せてくる令嬢を何人も袖にしている。
令嬢たちから思慮深く、いつも落ち着いていて素敵だと評されるクリスが、怒りを露わにしてエリーナを睨みつけた。
「侍女だからなんだ。僕のことを分かってくれるのは、サリーだけなんだ!」
「そう」
すっと目を細め、口元に扇を当てるエリーナの瞳には、ありありと侮蔑の色が映っている。見る者の肝が冷えるような目だ。
「でしたら、ここから出て行ってくださいますか? 我がローゼンディアナ家に不利益をもたらす存在は不要ですの。サリー、クリスはあなたのせいでその身を落とすのよ。あなたが身を引くというなら、クリスの処遇は考えてあげるわ」
「お嬢様! 私がこの屋敷を去りますから、どうかクリス様だけは!」
「だめだ! サリーのいない日々など、考えられない! 僕はこの身分を捨てでも、サリーと一緒に生きる」
浅はかな考えねと、エリーナは鼻を鳴らし憐憫のまなざしを送る。
「そう、じゃぁおじい様のところへ……」
それは最終通告。
二人の表情に絶望の色がよぎった時、コンコンとノックの音がした。三人がそちらに視線を向ければ、開け放たれたドアをノックするエルディの姿。
「クリス様、エリーナ様。ラウル殿がいらっしゃいました」
エルディは顔色一つ変えず、淡々と用件を告げる。
ある休日の昼下がり。次期当主と侍女の身分差恋愛を邪魔する悪役令嬢という設定の寸劇であった。
今日の悪役令嬢劇場はここまでと、三人は何食わぬ顔で次の行動へと移っていく。エリーナとクリスはラウルが待つサロンへ向かい、サリーはもてなすために厨房へと走る。ローゼンディアナ家の使用人にとって、突発的に劇場が始まるのはもはや日常であった。時たま他の侍女もエリーナの取り巻きとして出演しており、皆演技のレベルは相当なものだ。
そして二人がサロンへ入れば、苦笑を浮かべたラウルが立ち上がって挨拶をした。ラウルはよく手紙をくれ、長期休みの度にここへ顔を出している。
「クリス様、エリー様、ご健勝のようで何よりです」
「ラウル先生も、元気そうね」
「大学では優秀なようで、社交界まで評判が届いているよ」
エリーナはスカートをつまんで挨拶をし、ラウルとクリスは握手を交わした。
3人で丸テーブルを囲み、サリーが手際よくお茶を淹れる。ラウルはお土産にチョコレートケーキを持参しており、エリーナは上機嫌で頬張った。
「見事な悪役でしたよ、エリー様」
挨拶もそこそこにしてティーカップを片手に、ラウルは呆れ顔をエリーナに向けた。
「あら、お覗きになったの?」
カップを片手に意地悪な笑みを浮かべて茶化せば、挨拶の時と同じ苦笑が返って来た。
「ここまで迫真の演技が聞こえていましたよ。心臓に悪い」
サロンとクリスの部屋は同じ廊下にある。ドアを開けていたこともあり、筒抜けだったようだ。
「僕はラウル先生より演技がうまいので」
クリスの所作はいつ見ても優美で、お茶を飲むだけでも絵になる。そこにラウルも加われば、美術館に飾られる絵画のような光景になる。まさしく目の保養だ。
「ローゼンディアナ家はどこを目指しているんですか……。クリス様がご令嬢方にロマンス小説のおすすめばかり訊いてお買い求めになるものだから、エリーナ様がロマンス令嬢などと噂されるんですよ」
「どういうことですの?」
聞き捨てならない言葉がラウルの口から出たため、エリーナはジト目をクリスに向ける。エリーナはまだ茶会に出たことがなく、社交界ではローゼンディアナ家にはご令嬢がいらっしゃるぐらいの認識だったはずだ。それがなぜ、よくわからない呼び名がつけられているのか。
目で説明を求めれば、クリスは悪びれもせず、あははと笑う。
「エリー、ロマンス小説好きでしょ? だから、茶会や夜会でお嬢様方にお勧めの小説を教えてもらってたんだよ。もちろん、僕が好んで読んでるなんて思われたくないから、妹が愛読していると強調はしたけどね。ついでに、社交界にデビューしたら妹をよろしくって言ってあるから、安心して」
その結果、ローゼンディアナ家に養子に入ったクリスは妹を溺愛しており、仲も良好。そしてその妹はロマンス小説が好きな無垢な少女というのが、社交界での定評となった。
それを聞いたエリーナは頬を引きつらせ、なんてことだと顔を両手で覆う。
「来年から学園に行くのに……変な目で見られるわ」
なにより、せっかくヒロインを見つけて悪役令嬢としていじめても、ロマンス小説の真似事でしょうと鼻で笑われないかが心配だ。クリスに悪意がないのが、逆にたちが悪い。
「そう? ロマンス小説が好きな子はけっこういたから、友達になれると思うよ」
「……えぇ。ありがとうございます」
私が欲しいのは友達ではなく、ヒロインと取り巻きですとは口が裂けても言えない。
そしてしばらく談笑した後、ラウルは祖父を見舞い、夕食をともにして帰っていった。王都に来るのを楽しみにしていると言い残して。




