137 クリスの家族に挨拶をしましょう
アスタリア王国は今から四百年前に興った国である。建国の話は有名であり、ラルフレア王国の王族が駆け落ちをして新たに国を創ったと言われている。故に自由恋愛至上主義を掲げ、貴族においても婚姻が義務という風潮はない。基本的な文化はラルフレア王国と似ているが、食文化や風習などは独特なものもあった。
ラルフレアとはこの十年で新しく道が整備されたこともあり、馬車で三日、途中船で川を上れば二日で行ける距離である。
エリーナは馬車の窓から、王都の建物を物珍しそうにまじまじと見ていた。建物の形はラルフレア王国と似ているが、ラルフレアが白や灰色を基調としたものが多いのに対し、こちらは赤茶色やこげ茶が多かった。取れる土が違うのだとクリスが教えてくれる。
そして人々は赤系統の髪色が多く、他国に来たことを強く感じさせた。街も人も、風が運ぶ香りも全てが目新しくうきうきさせる。
エリーナたちが王宮に向かう頃には日が傾き始めており、夕日に照らされる王宮が見えたエリーナは感嘆の声を上げる。
「わぁ、すごく綺麗ね!」
王宮は白い石造りで、表面に光沢があり磨き上げられていた。紅い陽射しを受けて輝いており、赤色の屋根がよく映えている。この国は紅色を象徴としており、国の随所にこの色が見受けられた。
「なんだか緊張して来たわ。クリスのご家族にお会いするのよね」
恋人の家族に会うという、エリーナにとっては初めてのイベントであり、ラルフレアを出てから度々その不安を口にしていた。
「大丈夫。温かく迎えてくれるよ。まぁ、僕は相当怒られるけどね」
クリスは虚ろな目で乾いた笑みを浮かべていた。兄であるシルヴィオが「覚悟して帰って来い」と言い置いて先に帰ったこともあり、クリスは憂鬱だ。
エリーナは「仕方ないわよ」と返して小さく笑う。突然いなくなって十年ぶりに帰って来たのだから、怒られて当然だ。そのクリスは街の景色を見ても感慨深さそうになく、エリーナは小首を傾げる。
「十年ぶりでしょ? 懐かしくないの?」
「あまり王宮から出なかったから、街並みに思い出はないんだよね。食べ物の方が懐かしい」
そう言えば西の国のお菓子を懐かしんで食べていたわと思い出し、エリーナは微笑んだ。この国でクリスが育ったのだと思うと、初めての場所でも親しみが持てる。
そしてクリスはチラチラとエリーナの表情を伺い、何かを言いたそうなそぶりを見せていた。それに気づいたエリーナが「何?」と小首を傾げるが、クリスは苦笑いを浮かべて頭を振るだけだった。
このやりとりが旅の間、時たま行われていた。エリーナが思い切って斬りこもうかと思ったところで、馬車が止まったのだった。
そして王宮の門衛に最敬礼で迎えられ、すぐにアスタリア王に謁見することになった。案内として専属の従者になった初老の男性はクリスの幼少期を知っているらしく、再会するなり目を潤ませていた。
彼に案内されて王宮の広い廊下を歩く。侍女も文官も全員が足を止めて礼を取っていた。エリーナは緊張しつつも微笑みを浮かべクリスについて行った。
ほどなく大きな扉が見えてきて、近衛兵と思われる二人が最敬礼を取る。
「皆さまお揃いでございます」
男性は恭しく頭を下げ、脇へと下がった。エリーナはいよいよかと唾を飲み込み、扉を見つめる。クリスの腕を掴む手に力が入った。
「クリス・ディン・アスタリア殿下、並びにエリーナ・フォン・ラルフレア王女殿下の御入来!」
近衛兵が声を張り上げると同時に扉が開き、花の香りがした。赤いカーペットの両側に大きな花瓶があり、オレンジの百合の花が活けられている。そしてカーペットの先にある高壇にはアスタリア王が王座に座っており、通路を挟むように両側に他の王族の方々が座っていた。左手にいるシルヴィオがにこやかな表情で手を振っている。
二人は王の近くまで進み、礼をとる。
「クリス・ディン・アスタリア。ただ今戻りました」
クリスの声は硬く、頭を下げているエリーナは場の緊張を感じていた。
「二人とも顔を上げよ」
王の声は威厳がありながらも温かく、深みのある低音だ。二人が顔を上げれば、人当たりのいい笑みを浮かべた王がいた。炎のような紅い髪は短く、金色の瞳は宝石のような美しさだ。髭を蓄え、ほどよく筋肉のついた体躯からは王としての風格を感じさせた。
「まずはクリス。無事に帰って来たことを嬉しく思う。そしてエリーナ王女。この度はご来訪いただき感謝する。」
王に微笑みかけられ、エリーナは再び礼を取って挨拶を口にする。
「お初にお目にかかります。エリーナ・フォン・ラルフレアでございます」
まだこの名前は言い慣れず、ローゼンディアナの名が口をついて出そうになる。
「確かに、その瞳には前王の面影がある。美しさは母親の血を引いたのだな」
王は懐かしそうに目を細めており、前王と面識があったのだろう。その表情を見ながら、エリーナは前王とアスタリア王は同年代ということに気づく。
「今回の事件とクーデターについては国の秩序を揺るがす、許しがたいものだ。今後、アスタリア王国はラルフレアへの支援を惜しまない。そして、貴女の安全も保障しよう」
暖かく優しい言葉にエリーナは深々と頭を下げた。
「温情痛み入ります」
そしてふと思う。
(父親って、こんな感じなのかしら)
悪役令嬢時代を振り返っても、あまり父親の記憶はない。決まったセリフしか話せないモブだったため、エリーナには両親という存在が希薄だった。
温かい目をしながらも厳しそうな王に、父親の姿を見たエリーナは視線を他の家族へと滑らせていく。
エリーナ達から見て左側には正妃と、その息子たちである第一王子とシルヴィオがいた。逆側には側妃と空席が一つ。
そのクリスの母親である側妃が口を開いた。
「エリーナさん、貴女のお話はシルヴィオから聞いたわ。クリスのことをよく想ってくれているって。馬鹿息子について来てくれてありがとう。自分の家だと思ってくつろいでね」
穏やかな笑みは聖母のようで、エリーナもつられて笑みを返した。だが側妃の顔がクリスに向いた途端、同じ笑みが冷ややかなものに変わる。
「さてクリス。今からたっぷり十年間の話を聞かせてもらおうかしら」
棘をふんだんに含んだ低い声であり、クリスの頰が引きつる。
「手短にお話しします……」
「あらまぁ、十年分のお話がどれくらいで終わるのかしらね」
切れ味の鋭いナイフのような言葉を遠慮なくクリスに投げつけていた。そして再びエリーナに視線を戻し、聖母の笑みを浮かべる。その切り替えの早さにエリーナは驚きを顔に出さないようにするので精一杯だ。
「エリーナさんは、旅のお疲れもあるでしょうから部屋でお休みになって。よかったら、庭園を散策してみて、きっと気にいるわ」
「あ、ありがとうございます」
案内役の侍女が近づいて来たためエリーナは礼を取ってから、御前を辞す。去り際にクリスが寂しそうな目を向けて来たが、頑張ってと思いを込めて見つめ返した。無情にもエリーナが謁見の間を出れば扉は閉まり、クリスが解放されたのは三時間が過ぎすっかり日が暮れてからだった。




