126 感謝の想いをこめて踊りましょう
「先生⋯⋯」
エリーナはラウルが目に入るなり微笑んだ。気まずさよりも一緒に踊れる嬉しさのほうが大きい。クリスの次に大切な人であり、これからも大切にしたい。エリーナにとってラウルは先生であり、家族だった。
「お美しいですよ、エリー様」
ラウルは恭しくエリーナの手を取り、腰に手を回した。曲に合わせてステップを踏めば、以前よりも動きが滑らかになっている。
「先生、ダンスが上手になっているわ」
そう素直に口にすれば、ラウルは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「毎日特訓ですよ。私はダンスをするために復位したつもりはなかったんですが」
先生であるラウルが苦手なダンスを練習している様子を思い浮かべると、なんだかおかしくなって噛みしめるように笑う。
「エリー様、ご卒業おめでとうございます」
シャンデリアの光に藍色髪が透け、深い海のようにきらめく。灰色の瞳は甘く優しく、いつも心地よい熱を持っている。悔しいほど大人で、一生届かないような気がするのだ。
「学園で先生に会えないと思うと、寂しいわね」
「その分、茶会や夜会で会えますよ。それに二人の邪魔をしに遊びに行きますから」
そう意地悪っぽく片目をつぶったラウルからは、子供っぽさが感じられる。その表情に初めて会った時の笑顔が重なって、懐かしさに胸が熱くなった。感謝の気持ちが溢れ、笑顔が零れる。
「先生、色々なことを教えてくれてありがとう」
「エリー様は、素晴らしい生徒でしたよ。そして、何よりも大切な人です」
変わらぬ想いを伝えてくれるラウルに、エリーナは気恥ずかしそうに笑みを返す。
「先生、これからもよろしくお願い。大好きよ」
尊敬と親愛と感謝を込めてその言葉を紡げば、ラウルは少し目を見開いてこそばゆそうにはにかんだ。
「大人をからかうのがお上手でいらっしゃる」
「あら、本気よ?」
「なら、クリス様をやめてこちらに来てくださいますか?」
と、試すような笑みに変えたラウルは悪い大人の表情をしていて、エリーナはくすくすと小さく笑う。
「だめよ、クリスが泣いちゃうわ」
そう答えるとラウルは軽く噴きだし、喉の奥で笑った。
「想像できませんね」
「あら、クリスってけっこう泣きやすいのよ?」
「ほう、いいことを聞きました」
楽しくおしゃべりをしていれば曲が終わり、ラウルは名残惜しそうに一度手を握ってから離れていった。また後でと微笑みダンスの輪から抜けようとすれば、すぐに令嬢たちに囲まれる。人気があるなとその背中を見ながら思っていると、背後から声をかけられた。
「エリーナ嬢。お相手を頼めるかな」
他の令嬢と踊り終わったルドルフが傍に立っており、紫の瞳と目が合えばにこりと微笑まれた。何かを企んでいるような微笑が彼らしく、深緑の髪と眼鏡がさらに底の知れない印象を与える。だが、その内面は時に独占欲を滲ませる情熱が潜んでいた。
「もちろんですわ」
エリーナはルドルフの手を取り、その身を預ける。ルドルフのリードは明確で気遣いが感じられる。紫色の瞳は柔らかく和んでおり、楽しそうに口角が上がっていた。
「エリーナ嬢との縁を強くしなければな。何があっても離れないように」
そう耳元で囁いたルドルフに、エリーナは意地悪な顔を作って言い返す。
「でも、ルドルフ様はわたくしより多くの人たちと縁を強くされているようですけど?」
先ほども別の令嬢と踊っていたうえに、踊っている間も至る所からご令嬢の視線が飛んでくる。
「これは痛いところをつく。それでも貴女は特別ですよ」
「そんなことを言われては、わたくしは誰かに刺されてしまいそうですわ」
女の嫉妬が恐ろしいことを、エリーナは今までの悪役令嬢人生で身をもって知っている。
そして二人して微笑み合って踊ればすぐに曲が終わり、令嬢方の圧力を感じたのでエリーナは微笑みを固めたまますっとルドルフから離れる。曲が終わる前から令嬢方の順番争いが視線だけで行われていた。
令嬢たちの視線から外れてほっと息を吐きだせば、案の定ミシェルが近づいて来た。ミシェルはすっかり背が高くなり、出会った時はエリーナより少し高いくらいだったのに今では頭一つ分は高くなっていた。
「エリーナ様。僕と踊ってよ」
「ミシェルってダンスできたの?」
職人気質であまり夜会に参加していなかったため、エリーナはミシェルと踊ったことはなかった。そう尋ねれば、ミシェルは不服そうに唇を尖らせて目を三角にする。
「エリーナ様、僕が踊れないって思ってたでしょ。失礼だなぁ。これでも小さい時から叩きこまれたんだからね。嫌いだけど」
最後の一言に感情が滲み出ていて、笑いを誘った。淑女らしく微笑みに抑えようと笑いをかみ殺すが失敗して、笑い声が漏れる。差し伸べられた手を取って踊り始めれば、確かによく踊れていた。
「こうやってエリーナ様と踊るために、今まで頑張って来たと思うことにするよ」
「それなら、もっと夜会に出ればいいのに」
「やだよ。他の人とも踊らないといけないじゃん」
そう素直な想いを口にするミシェルが好ましくて、エリーナは頬を緩ませた。
「エリーナ様、幸せそうだね。クリス様に向ける笑顔は、僕がいい商品を見せた笑顔とはちょっと違うんだよ。気づいてた?」
「え、そうなの?」
「うん。だから今度はうんっと笑顔になるようなものを作るんだから。楽しみに待っててね」
まるで宣戦布告するような顔つきで、ミシェルは自信ありげに笑みを深くする。
「でも、もう作るもの無いんじゃないの?」
少し思い浮かべても日常で使う品々はほとんどがドルトン商会製だ。ミシェルも小難しい顔になって、「まぁね」と不満そうに零す。
「だから、本格的にドレスに参入したくてさ。せめて腕のいいデザイナーと針子を抱えられたら、エリーナ様専属にするんだけど」
「それは⋯⋯すごいわね」
専属のデザイナーなど、高位の貴族でもそうそういるものではない。だがミシェルとクリスが手を組めば大概のことは実現させてしまうから恐ろしい。
「楽しみにしていてね」
とミシェルが握る手を強くしたところで曲が終わり、もう一曲踊りたそうにしていたがクリスが近づいて来た。
「エリー、陛下のところへ挨拶に伺おうか」
ちょうど高位の貴族たちの挨拶が終わり、伯爵位の貴族たちが挨拶に伺っていた。ミシェルは「また後で踊ってね」と軽く手を振って離れていった。エリーナはクリスの手を取って、ダンスの輪から抜ける。
(やっぱり、クリスの隣が一番落ち着くわ)
まるで自分のためにあるみたいに、しっくりとくる。二人は高座に誂えられた王座の前まで進み、恭しく礼を取ったのだった。




