114 温かい想いに気づきましょう
ルドルフに素直な想いを伝えてから一週間後、ローゼンディアナ家にはミシェルが訪れていた。怒涛のイベントラッシュにエリーナの気は休まらない。リズに少し愚痴れば、「クライマックスなので仕方がありません」と返ってきた。
そのリズは数日前から学科の実技実習が行われており、侯爵家で侍女としての卒業試験を受けているらしい。その結果が上位の者は卒業パーティーで、侍女として仕事が与えられ箔がつくそうだ。絶対に卒業パーティーは生で見たいため、死ぬ気で頑張ると言っていた。
と、リズのことを考えて現実逃避をしていたエリーナの顔を、ミシェルがじっと覗き込んだ。二人はサロンでお茶をしながら雑談をしていたのだ。カイルがクリスと商談をしており、ミシェルは付き添いで来ていた。
「ねぇ、僕の話聞いてた?」
「いえ、考え事をしていたので」
「だ~か~ら~。エリーナ様なんか変だよ。何があったの。商人の目はごまかせないよ!」
会ってクリスとカイルが出て行くなり質問攻めにされたのだ。それを最初は躱していたものの、徐々に面倒くさくなって思考の空に飛んで行ってしまっていた。
ごまかそうとするエリーナに対し、ミシェルは剣呑な表情で目を細める。これは相手をどう切り崩そうか思案している顔だ。
「エリーナ様……好きな人できたでしょ」
一切オブラートに包まず、ミシェルは直球で勝負をしてきた。エリーナはある程度覚悟していたものの、体当たりを受けたような衝撃を覚えて「うっ」と小さく呻く。ついで顔に熱が集まってきた。心も体も嘘をつけない。
その様子からありありと答えがわかったミシェルは、溜息をついてつまらなそうに顔を歪めた。
「一歩遅かったかぁ……どうせクリス様でしょ」
「ちょっ、どうして!」
なぜそこまで分かるのと、見透かされているようで怖くなったエリーナは少し腰を浮かせた。前のめりになって、緊迫した表情をミシェルに向ける。
「やっぱり。さっきのクリス様を見るエリーナ様の目を見たら分かったよ。気づきたくなかったけどね」
吐き捨てるように言うミシェルは、ふてぶてしい。いつもの可愛さのなかに忍ぶかっこよさがなく、ただ不機嫌な少年がそこにいた。十八になっても、彼はまだ幼く見える。
「待って、そんなに分かりやすいの?」
「さぁ。見る人が見たら分かるんじゃない?」
とうとう返答が投げやりになっている。
「てことは、僕が卒業パーティーのエスコートに誘ってものってくれないよね」
「う、うん……申し訳ないけど」
ルドルフと同じような状況なのに、あの時のような重苦しいものがなかった。それはひとえにミシェルの人柄によるものだろうが、ここまで違うかとエリーナは目を瞬いていた。それに、ミシェルはあまり残念そうには見えない。
頬杖をついてジト目を向けてくるミシェルは、恨みがましく唇を尖らせた。
「悔しいなぁ。これが商売なら大赤字だよ。まぁ、後悔はしないけどね」
そしてコロッと表情を強気な笑顔に変えて、頬杖を外してプリンクッキーに手を伸ばす。
「すでにエリーナ様の生活の大半は僕が作ったもので溢れているし、僕はこれからもエリーナ様にふさわしいものを作り続ける。僕が作ったものでエリーナ様を笑顔にできるんだ」
そう言ってミシェルはプリンクッキーを口に放り込んだ。
「これは、クリス様にだってできないことだと、誇りに思っているよ」
ニコニコと裏のありそうな笑みを浮かべているミシェルの言葉は、職人としてのもの。その言葉のとおり、今やエリーナの生活を彩るものはミシェルが開発したドルトン商会製のものばかりだ。特に布団と枕は手放せない。
「あとは、ドレスも手掛けられたら最高なんだけどな~。さすがの僕も、ドレスのデザインや裁縫は無理だからさ」
「さすがにそこまでは……」
「まぁ、これから何があっても、僕はエリーナ様のためにものを作り続けるよ」
そう胸を張るミシェルを見たエリーナは、一度紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせた。ミシェルは気丈に振舞っているが、寄せていた好意を断られたのだ。傷つかないはずがない。
(もし私がクリスに断られたら……)
少し考えただけで胸がズキリと痛み、悲しみに襲われる。エリーナは表情を引き締め、背筋を正して真剣な目でミシェルの視線を受けた。
「あの、ミシェル……貴方の気持ちに応えられないのは、心苦しく思っているわ。でも、ミシェルの幸せを願っているから」
「気にしないでよ。そんなこと、言わなくていい」
エリーナが頭の中からなんとか言葉を捻り出していると、ミシェルは言葉を遮った。そして呆れたような、ちょっと馬鹿にしたような表情を作る。
「エリーナ様は、恋愛初心者なんだから、そんな高等技術使おうとしなくていいの。エリーナ様は、自分に正直にいればいいんだよ。僕は、好きなものに一生懸命なエリーナ様を好きになったんだからさ」
そう照れたように微笑むミシェルは少し大人に見えて、エリーナは口を閉じて頷いた。
「あ、でも卒業パーティーで一緒に踊ってくれるよね。三回くらい踊って、縁を強く太くしておかないと。クリス様に切られないように」
そう冗談めかして軽口を叩くミシェルに、エリーナはくすくすと笑い声を上げた。この距離感が心地よい。
そしてほどなく上機嫌のクリスとげっそりしたカイルが戻ってきて、ミシェルはカイルと共に帰っていった。帰り際にカイルがエリーナを難しそうな顔で見てきたため、気になってクリスに問いかける。
「ねぇ、カイルさんと何を話したの?」
カイルの様子から、どうも自分に関係がありそうだと察したのだ。それに対してクリスはおもしろそうに喉の奥で笑って返す。
「卒業パーティーのドレスに合わせるアメジストをね。今までで一番大きなものにしたくて、ちょっと無理を言ったんだ」
エリーナは今持っているアメジストのネックレスを思い浮かべ、さぁっと血の気が引いた。今持っているのだってなかなかの大きさと品質だ。何十年に一度掘り当てられかという代物と聞いている。それを超えるものを、あと一か月と少しで用意させる。
「クリス……それは悪魔の所業だわ」
さすがに引いたエリーナが顔を強張らせて呟けば、クリスはツボに入ったのか笑いを噛み殺していた。
「しかも、最高級のカットまで要求したから、もう魔王だと思うよ」
「魔王って……洒落にならないわね」
「一部では僕のことをそう思っている人がいるみたいだし、そこは期待に応えないと」
一部のうち一人はサリーである。エリーナはサリーが時々クリスのことを魔王様と呼んでいることを知っていたため、なんとも言えない微妙な笑みを浮かべた。
「じゃぁ私は何? 勇者?」
物語で魔王と言えば勇者がいる。言ってから魔法使いでもいいなと思った。そしてクリスは含みのある笑い方をして、愉快そうに答える。
「エリーは僕が大事に育てたお姫さまだよ。それで、取り戻しにくる勇者を追い払って楽しんでる」
「ひどい魔王ね」
「魔王だからね」
リズムよく言い合った二人は同時に噴き出すと、笑い合う。エリーナは笑うクリスを見て、胸が温かくなるのを感じた。
(こうやって一緒にいられるだけで、こんなに楽しくて幸せになるのね)
以前ミシェルは好きという気持ちについて「胸が温かくなって、その人が幸せなら自分も幸せで笑っていてほしいって思う」と言っていた。その気持ちに気づいたエリーナは、どんどん深みにはまっていく自分に戸惑いに似た表情を浮かべたのだった。




