102 絵のモデルになりましょう
夏休みも終わりが近づいて来た頃。エリーナは再び着飾って絵のモデルになっていた。キャンパスに向き合って上機嫌で筆を動かすのはシルヴィオだ。絵のモデルなど二度としたくなかったが、シルヴィオが西の国の家族にエリーナの似顔絵を送ったところ、ちゃんとした絵で見たいとリクエストが来たらしい。
シルヴィオの家族ということは、王族。しかも両陛下であり、クリスも断れずこの日を迎えることになったのだった。クリスは渋い顔で、書斎に仕事をしに行った。
「なんで私の絵を送ったんですか」
つい恨み言が口をつくが、仕方がないだろう。
「僕がこの国で元気でやっている証拠に、仲のいい友達の絵を送っただけだよ。エリーナ嬢のだけ下書だったから、ちゃんと書いてって言われたのさ」
一度書いたことがあるため、今回は前回よりも順調に筆が進む。シルヴィオは一度筆を止めてエリーナの表情をじっと見つめると、にこりと笑った。
「なんか、変わったね。乙女の表情が出てるよ。恋でもしたの?」
「え?」
唐突にそう訊かれて、エリーナは頬が赤くなってしまった。自分でもどうしてそんな反応をしたのかわからない。
「へぇ、いい顔」
「ち、違いますわ! 恋をしたというより、今まで気づかなかったことに気づいたと言いますか、衝撃を受けたといいますか……」
脳裏にはラウルの顔がちらつく。そして小さくクリスの顔も。
「ふ~ん。意識し始めたってとこかな」
そう探るような視線を向け、シルヴィオは楽しそうに笑っている。
「シルヴィオ殿下は意地悪ですわ」
「そうだよ?」
第二王子は性格がいいと噂されていたのに、噂は当てにならない。
「ねぇ、クリス殿は最近どう? 相変わらず忙しくて相手をしてくれないけど」
「いつもどおりですわ」
「じゃぁ、エリーナ嬢はクリス殿のことをどう思ってる?」
その言葉に心臓が跳ねる。胸の奥がざわついた。エリーナは少し間があってから、ぽつりと呟く。
「いつも側にいて、大切にしてくれる人ですわ」
「へぇ……」
面白そうにニヤニヤと笑うシルヴィオにムッとしたエリーナは、意趣返しのつもりで訊き返す。
「シルヴィオ様はどうなんですか? 意中の方はいらっしゃいませんの?」
「僕? 僕はもう少し独り身を楽しみたいかな~。それこそ、結婚は運命的な出会いの下導かれると思っているしね」
その破壊力のある美しい笑顔で言われると、真面目に返す気もなくなった。王族にしてはずいぶん夢見がちな話だと思ったが、西の国は自由恋愛至上主義国だったことを思い出す。
「それで、まだ婚約者がいらっしゃらないんですね」
「まぁ、この留学が終わったら夜会漬けの日々だけどね。僕の国は自由恋愛が前提だから、さっさといい女を見つけて来いって母上に叱られているよ」
聞いているだけで強そうな王妃様だ。
「この留学で運命の人がいればよかったんだけど、あいにくお気に入りにはしっかり首輪がついているしな~」
そうじっとエリーナを見て言ってくるので、エリーナはそっと視線を逸らした。これは深入りしてはいけない話だ。エリーナもそれぐらいは分かるようになった。
「まぁ、彼は筋金入りだから挑む気も起らないけど」
ぼそりと口の中で呟かれた言葉はエリーナには届かず、軽く首を傾げる。シルヴィオは伝える気はないらしく、何でもないよと左手を振った。そしてシルヴィオは他愛のない話をしながら、休むことなく描き続ける。絵を描くのが好きで、描いていても疲れないというのは本当なのだろう。
「うん、いい感じだ。これなら母上たちも満足するだろう」
「あの、変なことを一緒に伝えないでくださいね」
心配しないでと軽く笑うシルヴィオを見ていると、逆に不安になってくる。
そして書斎にいるクリスを呼び、出来を見てもらうと素晴らしいですねと一言漏らした。小さめのキャンパスに描かれたエリーナは、上半身のアップで顔の細部が細かく捉えられている。自分で見ていて恥ずかしくなってくるほど瓜二つである。
その後シルヴィオとクリスと三人でお茶をし、西の国のお菓子を食べながら談笑した。相変わらず二人の会話は寒々しいが、それもお遊びじゃれ合いのうちだ。エリーナはクスクスと笑いながら、二人の話に耳を傾けていた。この二人は意外と気が合っているようにも見える。
「あぁ、そうだ。最後に渡さないといけないものがあったんだ」
そう言ってシルヴィオは付き人から一通の封筒を受け取り、クリスに手渡した。クリスは差出人のないそれを受け取り、いぶかしそうな表情を浮かべる。
「僕からのプレゼント」
そう楽しそうに、意地悪な笑みを浮かべているシルヴィオを一瞥して、クリスは封を開けて手紙に目を走らせた。すぐに表情が強張り、バッと顔を上げてシルヴィオを睨みつける。
「どういうことですか、これは」
「そのまんまだよ。お見合いのお知らせ。いい子を紹介してあげるからさ、そろそろ身を固めたら?」
手紙の内容にエリーナは固まって、呆然と呟く。
「お見合い……?」
ざわざわと一際胸の奥が騒がしくなる。
(当然よね、クリスだっていい年だもの……。いいことだわ)
いつかはそういう時が来ると思っていた。大切な家族に等しい人だ。幸せになってほしい。
(でも、なんで寂しいの?)
その答えはまだ出ない。重い心を抱え込んだエリーナの耳を、二人の言葉が通り過ぎていく。
この想いに、名前はまだない。




