101 先生とディナーを一緒にしましょう
観劇を終えたエリーナは、落ち着いた雰囲気の個室があるレストランに来ていた。シェフは西の国で修行をしたらしく、西の国の料理を味わうことができる。二人は丸テーブルを挟んで向かい合っており、劇の余韻に浸っているエリーナは幸せそうな表情で果実水を飲む。
劇は騎士と姫の恋愛物語で、どこかで聞いたことがあると思えば南の国の王女と騎士の話をモチーフにしたものだった。もちろん、ベロニカの立ち位置である悪役令嬢も出てくる。さすがにダブル悪役令嬢は濃すぎるためか、悪役は一人だけだった。
劇ではいろいろと脚色されていたが、ストーリーもよく悪役令嬢もしっかりと毒々しい言葉を吐いていた。
「明日、ベロニカ様にこの劇を知っているか聞いてみるわ」
「ベロニカ様は、ぬるいとおっしゃってセリフを書き換えるかもしれませんね」
「当然よ。私なら、二人がかりで王女を罵倒するわ!」
と意気込むエリーナに、ラウルは、ん?と表情が固まった。
「まさかエリー様、ベロニカ様と一緒に王女に向けて悪役令嬢劇場を……?」
すっと目を細めて硬い表情になったラウルは、子どものいたずらを叱る教師のものだった。ラウルも簡単には教師のくせが抜けない。
「ち、違うわよ! 少しお話をしただけよ!」
それに気づいたエリーナは慌てて、言い方を変えて笑ってごまかす。
「それならいいんですが……」
とは言いつつ信じていない顔をしていたが、そこで料理が運ばれてきたため会話を一時中断する。少しお酒もいただきつつ、新鮮でおいしい料理に舌鼓を打った。そうしていると、ラウルがふと思い出したように口を開く。
「そういえば、昔エリー様は騎士が出てくる恋愛に憧れるって言ってましたよね」
「よく覚えているわね」
エリーナの記憶にもあるが、それはまだラウルが家庭教師をし始めた頃の話だ。熱心にロマンス小説を読みふけるエリーナに、どんな恋愛に憧れているのかとラウルが興味本位で訊いたのだ。
「まぁ、まさか恋愛への憧れではなく悪役令嬢の研究のためとは思いませんでしたけどね」
その後街へ本を買いに行った際に、絡んできた貴族の知り合いにすばらしい悪役令嬢語録で啖呵を切ったのは鮮明に覚えている。
「そうだけど、騎士ものが好きなのは本当よ? 王子様系も王道だけど、忠誠を誓うシーンはぐっとくるわね」
「そうですか、それはいいことを聞きました。ではその路線でいきましょうか」
にこりと笑って、ワイングラスを傾けるラウルに何を考えているのかと身構えるエリーナ。だいぶ自然な感じに戻れてきたが、ふとした瞬間に警戒心を持ってしまう。
「なんか、先生大人気ないです」
ちょっとしたからかいのつもりだったが、それすらもふわりと優しく微笑まれて包み込まれる。
「大人気なくもなりますよ。ずっとこうやって一緒にいられる時を待っていたのですから」
その言葉に、エリーナは目を丸くして肉を切るナイフの手を止め、思わず訊き返す。
「え、いつから待っていたの?」
「さぁ、いつからでしょうね」
だがラウルは答えを笑みの奥に隠し、教えるつもりはないらしい。
そして話はラウルの生活へと移っていき、まだ使用人たちから坊ちゃまと呼ばれることや、両親が元気過ぎるので家督を変わってほしいことをぼやいていた。エリーナは小さく笑って話に耳を傾ける。今まではラウルの身の上には極力触れないようにしていただけに、聞けることが嬉しい。
困り顔ながらもどこか嬉しそうなラウルだったが、ふいに表情を翳らせて「でも」と言葉を続けた。
「実は弟がいるんですが、一向に連絡が付かなくて……。復位のことも知っているかどうか」
「え、弟がいたの?」
貴族家で一人っ子は珍しいため、兄妹がいるのはおかしくないが今まで聞いたことがなかったため、さすがに驚く。
「はい。二つ下の弟なんですが、自由奔放な性格で爵位が無くなった際喜々として荷物を纏めて旅立ったんですよ……たまに手紙が来て帰って来ていたのですが、去年からパタリと連絡がなくて」
「それは心配ね」
「いえ……あいつの身は心配ではないのですが、何かやらかしたんじゃないかと」
詳しく聞けば、ラウル以上に知識欲が強く世界を見てくると単身旅をしているらしい。様々な国を回り、各国の有力者と顔をつないでいるそうだ。その一方で危ない橋もわたっているらしく、人に迷惑をかけていないかが一番の心配なのだ。
「それは大変ね。弟さんは先生に似ているの?」
「外見は似てきましたね。性格は、羨ましいぐらい自由です」
「へぇ、会えるのを楽しみにしているわ」
「……なんか、会わせたくなくなりましたね。エリー様を取られそうです」
ワイングラスを置いて拗ねた声を出すラウルに、エリーナはくすくすと口に手を当てて笑った。大人なラウルが子どもっぽいしぐさをすると可愛らしい。
「何ですかそれ」
「エリー様と話していると、ますます他の男と会わせたくなくなります。醜い嫉妬ですね」
「先生も嫉妬をするのね」
「当然ですよ」
そう言われて、熱のこもった瞳を向けられるとなんだかくすぐったい。同時に、満たされるような心地よさもある。その不思議な気持ちに内心首を傾げつつ、エリーナはナイフとフォークを置いてナプキンで口を拭った。食事の後はお楽しみのデザートだ。
「今日のデザートは、エリー様に喜んでほしくてシェフにお願いしたんです」
その言葉と同時にデザートが運ばれ、目の前に置かれた。エリーナの視線が奪われ、目を丸くしている。
「え、かぼちゃ?」
お皿に乗っていたのは掌に乗るくらいの小さなかぼちゃで、どうにもデザートには見えない。かぼちゃといえば焼くか、蒸すか、煮るか、スープだ。戸惑いを浮かべて凝視しているエリーナを見て、ラウルはいたずらが成功した子どものように嬉しそうに声を弾ませた。
「これは、西の国にあるかぼちゃプリンですよ。今回は器も小さなかぼちゃを使ってもらいました」
「え、これプリンなの?」
緑色の小さなかぼちゃは蒸されているようで、深い緑色をしている。よく見れば、上部に切りこみがあり蓋のようになっていた。期待に胸を膨らませて、エリーナはへたをつまんで開ける。かすかに、甘いバニラの香りが漂った。
「わぁ……おいしそう」
中にはぎっしりと濃い黄色のプリンが詰まっていた。飾りとして中央にホイップクリームとかぼちゃの種があり、見た目もすばらしい。だが、プリンは味だとエリーナは心してスプーンを指し伸ばす。
とろり
スプーンを差し入れれば思いのほかやわらかく、言われなければかぼちゃが入っているとは思えない。楽しみすぎて口元のにやけが押さえられなかった。そしてパクリと口の中に運んだ瞬間、ふわりとかぼちゃの甘みが広がり後から卵が追ってくる。食感はエリーナ好みの柔らかさで、生クリームがふんだんに使われていた。
「かぼちゃってこんなに甘いのね」
自然な甘さで優しい気持ちになる。エリーナの表情がとろけ、見ているラウルも満面の笑みだ。さらにホイップクリームをすくって一緒に食べれば幸せとまろやかさは二倍。かぼちゃの種を一緒に食べれば、カリッとした食感がアクセントになり香ばしさが甘みを引き立て、スプーンを伸ばす手が止まらなかった。
カラメルソースが好きなエリーナのために、普段は紅茶用のミルクが入っているミルクポットにカラメルソースが用意されていて、かけて食べれば苦みが合わさって味の変化を楽しめる。その調子で気づけばニつをペロリと食べきっていた。もちろんお土産用もある。
「エリーナ様の笑顔は、見ているこちらまで幸せになります。だから、ずっと守りたくなるんですよ」
そう甘い声で、心地のいい言葉をかけられればエリーナの頬に朱が指す。それをごまかすようにエリーナは三つ目のプリンに手を伸ばし、黙々と食べ進めるのだった。
そして帰りも優しくエスコートをされ、馬車でもおもしろい話を色々と聞いた。穏やかな笑みを浮かべて話をするラウルを見ながら、エリーナは漠然と考える。
(ラウル先生と結婚する……なんだか現実味のある話ね。それなら、クリスも安心するだろうし……)
他の誰よりもローゼンディアナ家と親しいラウルなら、結婚してもいい気がした。
そして送ってくれたラウルは馬車からエリーナの手を引いて下ろすと、その手にそっと口づけた。昔も同じようにしてくれたことを思い出し、変わらないラウルの想いに胸が温かくなる。
すっと顔を上げて灰色の瞳を向けたラウルは、魅惑的な笑みを浮かべていた。そして愛おしそうに言葉を紡ぐ。
「エリー様、愛しています」
その言葉と表情にエリーナは心臓が止まるかと思った。かぁっと頬が熱くなり、赤くなるのがわかる。口をパクパクと動かすが、言葉は出てこない。それを見たラウルは、幸せそうにくしゃりと笑いエリーナの頬を撫でた。
「本当に、可愛らしく愛おしい」
そして、何食わぬ顔でエリーナの手を引いて玄関まで連れていき、クリスに挨拶をした後帰っていった。エリーナは処理能力を超えた愛情表現に、始終ぽーっと意識を飛ばしており、クリスに何があったのと訊かれても何も答えられなかった。
その後気づけば湯あみと着替えを済ましてベッドの上であり、「重症だわ」と呟いたのだった。




