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褒美

 私は暗い神殿の中を歩いて寮へ向かう。人気(ひとけ)のない中庭は、とても静か。ここの中庭は庭というか大部分が中央にある池が場所を占めていて、歩けるのはその周囲だけ。

 月が浮かんでいるけど、それが水面にも映し見えて、神秘的な感じ。その上で聖竜様の神殿にいると思うと感慨深いわ。



 寮の明かりはだいぶ減っている。皆、眠りに入る頃合いなのね。でも、私の部屋はまだランプが付いていた。もしかして、私を待ってくれていたのかしら。悪いことをしたわね。いえ、違うわ。あの襲ってきた男たちが悪いのよ。



 部屋に帰ると、シェラもマリールも起きていた。私がノックして入ったら、シェラの嬉しそうな返事が聞こえてきたの。


「すみません、帰りが遅くなりました。お二人とも心配をお掛けして申し訳ありませんでした」


「お仕事、大変でしたの?」


 シェラは寝間着にもならずに私を迎えてくれていた。


「えぇ、今日は森の方へ先輩と行っておりました」


「そうですか。それにしてもこんな時間までとは、メリナも大変ですね」



 私はマリールの方に視線を遣る。そして、彼女と目が合う。


「あんたねぇ、二日続けて、私を寝不足にする気なの?」


 二日? あぁ、そうか。マリールは昨晩も起きていたのね。私が靴の臭いを嗅ぐ現場を張るために。

 でも、嫌みに聞こえるけど、私を心配してくれていたことが分かる。


「マリールさんの胸の成長を阻害し、大変申し訳ありません」


「なっ!」


 すみません、素直に謝れませんでした。



 シェラが真剣な顔で私に言う。


「……メリナ、袖口に茶色の染みが付いていらっしゃいます」


 言われて私も確認する。返り血か。外では暗くて気付かなかった。でも、シェラはこれが何なのか、分かるの?


「女性なのに、はしたないですよ」


 優しく、そう言ってくれた。ただ単に私に注意してくれただけなのか、この汚れの原因を認識してなのかは、その言葉からは判断できなかった。まさか、貴族のお嬢様がこの錆色から血を連想することはないわよね。でも、彼女の目は今までになく深刻な雰囲気を醸している。


「すみません、森で汚したようです」


 血生臭いことは言わない。だって、余計な心配を掛けちゃうし、私が野蛮だと確信されてしまうわ。新しく生まれ変わったのよ、私は。この竜の神殿に来て。



 扉がノックされる。それにシェラが応えた。良かった、染みの話はここで終わりよね。

 扉の向こうから出てきたのはアデリーナ様だった。後でシミ抜きをしなくちゃ。



「メリナ、少しいらっしゃい。他の二人は早く寝なさいね」


 笑顔だ。笑顔だけに怖いよ。いえ、笑顔でも真顔でも、この人は怖いよ。


 シェラもマリールも私と同じ思いをしたようで、アデリーナ様の言葉に従う。



 夜の廊下は敢えて暗い照明を使っているようで、先はよく見えない。トイレに行くのに出るくらいしか、皆、用は無いので、これで良いのかもしれない。


 そんな中をアデリーナ様はどんどん先行していく。そして、立派な扉の前で止まった。


「ここは私の執務室なのよ。メリナ、入りなさい」


 寮には似つかわしくない、重厚な扉をアデリーナ様は開く。黒い系の木材で出来ていて、とても高価そうなのが素人の私でも分かります。王家の方の部屋だからでしょうか。



 私は皮張りのソファに座らされた。廊下ほどではないけど、仄暗い。もっとギンギラギンにして欲しい。アデリーナ様の表情が見えなくて不安になっちゃうわ。でも、見えない方が良いのかもしれないか。


 アデリーナ様は足付きのグラスを二杯持って来られて対面で座られる。そして、トクトクと、これまた立派なボトルから赤い液体を注いでいく。それから、グラスの一本を私にやった。


「緊張している、メリナ?」


 もちろんです。嫌な予感しかしません。


「まぁ、飲みなさい。それは上等なお酒です。普通の貴族なら領地を売り払っても足りないくらいの高価な逸品ですよ」


 余計に緊張しますよっ!

 それでも飲まない訳には行かない。まごまごしていると、更に追い討ちを掛けられてしまうわ。


 余りの値段に震える手を抑えて、ガラスのグラスを口に運ぶ。一滴でも金貨百枚分とかするのよね。絶対に溢せないわ。



 まずっ。


 お酒って、こんな味なの。もっと果汁感があるのかと思っていたわ。全然、甘くない。領地を売っても、こんな味なら後悔しか残らないわよ。

 小さい頃に夜の度に咳が出ていて、お母さんが果実酒をくれていた時以来のお酒だったけど、あれの方が甘くて美味しかったわ。確か蜂蜜よ。蜂蜜を入れたら、このアデリーナ様のお酒も飲めるんじゃないかな。



「どうイケてるでしょ?」


「はい、癖になりそうです」


 アデリーナ様が勧められたものを、クッソッ不味いですなんて返せる勇気はなかったです。

 でも、水が欲しいわ。許されるなら、自分の口の中に水魔法を使いたい。



「さてと、もう遅いから短く行くわよ」


 おぉ……。来ましたか。何でしょうか。

 ドキドキします。私は静かに頷く。


「先程、門兵より連絡がありました。メリナ、五人の不埒な者に襲われたのですね?」


「……はい」


 撃退しました。死傷者が一杯出ています。

 でも、流石に連絡が早すぎるわ。シャールの兵隊さんは仕事熱心なのね。


「状況も簡単に聞いています。メリナが無事で良かったです。初報の段階では危害を加えられていないか心配でしたから」


 これは、たぶん、私を落ち着かせる為の前置きの言葉。次に言われることに我慢できず、私は唾を飲み込む。


「よくやりました」


 えぇ、そうか、まだ、私を気遣った言葉が続くのか。


「このお酒はその褒美です」


 私の口には合いませんでしたが。


「次も期待しています」


 ……期待? 私、殺人しているんですけど。

 巫女として、まだ、ここに居ていいのでしょうか。出ていけと言われるとばかり、思っていました。


「他の巫女から色々言われるかもしれませんが、私はメリナが正しいと思いますよ」


「……巫女として良かったのでしょうか?」


 堪えきれず、私は言われるであろうと思った事を訊く。なのに、私の疑問にアデリーナ様はあっけらかんと答える。


「いいんじゃない? メリナがそうしたかったのでしょう? とりあえず、今日の話は私の力で握り潰すわよ。もし他に漏れてメリナが責められることがあれば、そいつを握り潰して上げる」


 頼もしいけど、やっぱり、怖いです。


「大丈夫。他の巫女さんからは特に言われないわよ。アシュリンの同僚って伝えれば、『あぁ』ってなるから」


 納得の理由です。でも、そうなのですか、私もあんな感じでこれから見られる訳ですね。


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