親愛なる友
誰も通らない寮の廊下を進み、私は一際立派な扉の前で深呼吸。魔力感知的に中には3匹います。
ルッカさん、フロン、そして、アデリーナ・ぶリュリュリュるリュナンです。
フロンの魔力の大きさからして、まだルッカさんは味わっていない。早くお食べになって宜しいのに。
私が魔力感知で分かるということは、向こうも私の存在を把握しているに違いありません。特に動きを見せない事からすると、入って来いということですね。
アデリーナ、貴女は私が怖くないのですか。
私はノックを丁寧に3回して、いつもの了解の返事を受けてから中へと入りました。
「メリナさん、お久しぶりですね」
アデリーナが先に仕掛けてきました。
重厚で艶のある木製机に向かって、彼女は座っています。魔族二匹は離れた所にある応接のためのソファーでのんびりしていました。
「え、ええ、お日柄も宜しく……」
「今日はそんなに佳日で御座いましたか? ところで、知っておられます? 巷で話題のブリュリュルリュ大王」
間違いなく、ご本人が目の前にいらっしゃいます。大王とは、また適した表現ですね。
吹き出すのを必死に堪えます。肩がピクピクしたのは不可抗力なので許してください。
いきなりの先制攻撃です。
「いやぁ、何のことやらで。私、思い立って山で修行致しておりましたので……」
だから、鋭い目付きは止めろっ!
私、また今から修行に戻りたい所存です。あいつが全面的に悪いはずなのに、何故か威圧されています。負けそうです。
しかし、予想に反してアデリーナは退いたのです。
「ふう。納得は行っていませんが、私の計画通りです。愚者どもは王国と新王に歯向かう何らかの者がいると、あの下劣で卑劣な映像を見て勘違いしました」
アデリーナが溜め息をついて、場の緊張感を和らげたのです。
……しかし、警戒を更に高める必要が有ります。
何を考えている、アデリーナ!?
私を不問にする気かっ!?
望むところです! 宜しくお願い致しますっ!
「それこそが私の狙い。この王位簒奪の混乱に乗じて、愚かな貴族は私に反する目的で暗躍することが容易に想像できました。しかし、そこに明らかな敵、彼らにとっては味方になるかもしれない存在があれば、動きが読みやすくなるので御座います」
分からん!
意味不明な独り言を止めろっ!
私は極限状態なんだぞ!
いや、ここはとりあえずの同意です。そうすれば、今日は乗りきれる気がします。美味しい夕食が待っているはずです。
つまり、ヤツは頭脳明晰な私を恐れて、敵対する事を避けていると見た! ならば、このメリナ、そこに生の望みを賭けるのみです!
「さすが、アデリーナ・ブリュリュリュルリュナン様です」
しまった! 口が滑った!
緊迫した自分の気持ちを抑えきれず、溢れる想いがぶりゅりゅ出てしまった!
「ちょっ、アディちゃんをバカにするんなら、私がぶっ殺すわよ」
「あん? 臭い口で喋るな。ルッカさんに喰われてなさい」
「あら、気にしてくれてありがとう、巫女さん。もうデリシャスに熟した感じでしょ? でも、飼い主のアデリーナさんの許可がまだ出ないのよ」
「アディちゃんは改心した私にぞっこんなの。残念でしたぁ」
そんな訳ないだろ。
私には分かります。フロンよ、ふーみゃんを撫でている時のアデリーナの眼と違うことに気付きなさい。完全にゴミとして扱われていますよ。視野に入っておりません。
アデリーナは豪華な事務机の上に肘を付き、両手を組んで立てています。そして、指を交叉させた、その上に顎を乗せて、黙って私を見詰めてきます。
何だか偉そうです。
何なんですか!?
私を射る様な眼差しをするんじゃありません!
「……ぶりゅ? メリナさん?」
その冷たい目を止めろって言ってんだよ!
「ひゃ、ひゃい? あれ、舌が上手く回りませんでした。……すみません。私、何か言い間違えました? ねぇ、アデリーナ・ブリュリュナン様、誤解です」
またもや、やってしまった!
焦らせるから悪いんです! 私はちゃんと言いたいんです!
そうだっ! 全てをガランガドーさんに負わせれば良いのです!
しかし、続く句を継いだのはアデリーナ。
「……まだ充足しないのですね、あなたは。宜しい。迎え撃つ選択肢も残しておりました。モジャメリナさん? それとも 、モジャモジャメリナボーボーボーさんに改名されますか?」
……な、何っ!?
モジャメリナだと!? それは蛾の話か!?
何故こいつは私の秘密を知っている!?
いや、私が一番最初に相談したのはこいつだった!!
迂闊! 不覚! 愚か! 失態!
コリーさんに説明を受けて、私が竜化してしまえば、蛾の件など関係ないと頭では理解しているつもりです。
しかし、人間である内は淑女で有りたいという私の願いはまだ残っていて、だからこそ、それは未だ悩みなのです!
「相当なんでしょうね。一切見たくはありませんが。メリナさんが構築したルッカの体ですが、とんでもなく剛毛でした。お病気かなと、この冷静な私が心配するくらいに。あれ? メリナさんって、もしかして、この病的レベルで毛が沢山生えてるのって思ったり……」
「そんな訳あるかっ!!」
あれは私の悪戯です!
しかし、真実など簡単にねじ曲げる事が出来る。それは一連の記憶石騒動で理解できております。
私は全身から汗を吹き出す。
「そうよ、巫女さん。剃るの大変だったんだから」
「うふふ、私、お尻を剃るのを手伝ったのよ。アディちゃんのだと思い込んだら興奮しちゃった」
死ね、魔族どもっ!
二匹で乳繰り合ってなさい!
このままでは、私の名前は更に長くなるのです。メリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロ・モジャモジャ・ボーボーボー・ジャングル・モスパンツとかにされてしまうのです。
後の世の学者とかに「モスパンツ? 何を意味するんだ? 調べてみるか」なんて思われながら、私の秘密が徹底的に学問されるのです! 絶対に嫌ですっ!
だから、終戦です。
これ以上の抗戦は犠牲が大き過ぎる。社会的に殺されます。
「もう、ビックリしますよね! ニースのタブリャン家の人が、アデリーナ・ブリュリュリュルリュナン・ザ・ゲリ様とか言うから、私も少し間違えてしまいました。本当にすみません、アデリーナ様! ニースのタブリャン家の人って愉快ですけど不躾ですね」
私は深くお辞儀します。顔を下にして目を隠していますが、しっかりと見開いております。
これで許されない場合、手は一つ。
ぶっ殺すしか有りません。
魔力を練る。
脅しでも有ります。この部屋には魔力感知が使える者しかいませんから、私が何をしようとしているか言葉無しで伝わるでしょう。
「まぁ、タブリャン子爵で御座いますか。うふふ、早速、メリナさんが密告してくれて助かりました。私を侮辱した罪は重いと思いますよね。ねぇ、メリナさん?」
「はい! 勿論です! 即行で首を落とすべきです! でも、私はアデリーナ様を侮辱した事は一度もないことをご承知願いますっ!」
必要以上に気合いを入れて私は答える。
「そう、斬首で御座いますね。でも、今の私は王。国民であるなら、誰に対しても慈悲深き存在なのです。うふふ。ゆっくり話を聞いて、誤解を解きましょうかしら。王国への上納金2割増しくらいから始めましょう。それから、年々上げていって、限界を見極めましょうね」
……子爵、ご愁傷さまです。
私は事実しか言ってませんから、恨まないで下さいね。
「もう。アデリーナさん、そこらにしましょうね。巫女さんを虐めちゃダメよ。巫女さん、安心して。アデリーナさんは例のクレイジームービーについては許してくれるって」
本当ですか?
信じて良いのかしら……。
あのアデリーナですよ? 人を填める事に関しては天才的なヤツですよ。
「ホントよ。アディちゃんに感謝なさい、化け物」
私はアデリーナ様を見る。
「まずは巫女への就任、おめでとうございます。一年経たずの就任式は王族にしか認められないのでして、かなりの特例で御座います。シャールの方々はあなたを手放す意思は無かったということですね。もちろん、私も相談を受け、その上で許諾したのではありますが、もしかすると、これはシャールが私への叛意を見せているのかもしれません。全く、メリナさんを手元に忍ばせるなんて、両刃の剣かもしれませんのに。私と同じ様に、ロクサーナ様は強気な賭けを好まれる方なんでしょう。しかし、退屈な話はここまでです」
アデリーナ様は立ち上がります。
「メリナさん、私はあなたを生涯の友人とします。泣いて喜びなさい」
……刑罰の類いなんですけど?
「えー、それは私だけで良いと思うよ、アディちゃん! ほら、私、色んな所を舐めるの得意だから、きっとアディちゃんも気に入ってくれると思う!」
わぁ、フロンも果敢ですね。それ、アデリーナ様が気に入るとでも思っての発言でしょうか。
「ルッカ、許可します。この色狂いをふーみゃんに再生してください」
「サンキュー! もう嬉しいわ」
逃げる素振りを見せたフロンをがっしりルッカさんが両手で肩を抑え、首もとでチュルチュル始めました。あんまり見て良い光景では御座いませんね。淫靡な感じです。
「さて、メリナさん。聖竜様の下へ向かいましょう。私からの褒美であり、友情の証しでもあります」
!?
アデリーナ様!!
私からルッカさんに頼んだら、渋った上で絶対に連れていってくれないと思うんですが、アデリーナ様なら間違いなくオッケーです!
しかも、聖竜様も愛する私が来たいと言ったなんて聞いたら、照れて、拒絶するような事を仰るかもしれません。
その辺りを全部引っくるめて理解して、アデリーナ様は進言してくれたのですね!
サイコー! ブリュナン、サイコー!
貴族様の派閥みたいな物があるなら、私は断然ブリュブリュナン派に入ります!
ルッカさんに襲われたフロンの体の震えが収まると、彼女の体が縮み、現れたのはふーみゃんでした。アデリーナ様は大切にそれをお抱きになられました。
「ほんと、ダメでちゅよ、ふーみゃん。人間の姿になったら、ふーみゃんはクズ中のクズでちゅからねぇ。処分したくなりましゅよ。困ったちゃんでちゅねぇ」
はい。同意です。
ゲップまでして満足げなルッカさんが魔法を詠唱し、私達は聖竜様の下へと行きました。
気付けば、聖竜様は目の前にいらっしゃって、私は巨体を見上げるのです。
『メリナよ、ブラナンは討伐したのか?』
いきなり、私をご指名で尋ねて来られました。光栄にも程があるというか、今晩、ベッドに入って眠りに着くまでの妄想の内容が決定しました。むふふしちゃいます。
「はい。メリナは聖竜様の意に沿ってブラナンを倒しました」
『そうか。ご苦労であった。ところで、ヤナンカという魔族は見なかったか?』
情報局長の魔族とかいう存在だよね。見える前にガランガドーさんが消滅させちゃったんだよなぁ。
「既にこの世から消えました」
『……そうか……。うん……それが良いかな……』
聖竜様は少しだけ寂しそうに言いました。
『メリナ、大変に感謝する。見合った返礼を考えた結果、我も覚悟を決めた。本気で雄化の研究に入ります』
え?
「聖竜様、今まで本気じゃなかったんですか?」
『えっ? も、もちろん、本気だったよ。本気だったけど、真の本気を出すってこと。ビックリしたなぁ、もう』
「宜しくお願い致します」
僭越な私の突っ込みにも真摯に答えて頂き、私は深々と礼を申しました。
『あっ、そうそう。メリナちゃん、巫女になったんだね。おめでとう』
何と砕けた言い様でしょう。聖竜様は気が早い。もう熟練夫婦みたいに喋ろうと言うことですか? ちょっと、メリナは照れてしまいますよ。
返答の言葉を悩んじゃうなぁ。ワットちゃんとか呼んで良いのかなぁ。
「スードワット様、ありがとうございます。アデリーナです。ブラナンは死にました。しかし、彼の想いは私の中に多少なりと残っております。彼は考えておりました。地の魔力を上手く管理すれば、人間、魔物、魔族、獣人、このバランスを今よりも最適化できるのではと。私も同じく、そう思慮致します。ですので、その地の魔力に関する管理方法を私に教えて頂けませんか?」
私がモジモジしておると、アデリーナ様が何だかどうでも良いことを言いました。
『……ごほん。ブラナンの娘よ、それは出来ぬ』
「何故ですか?」
口調は柔らかいのに、鋭くアデリーナ様は尋ねます。
『地の魔力を操る権能を我はある人間に与えた』
「……それがメリナさんか……」
アデリーナ様の恐らくブラフに、聖竜様は大きく頷きます。素直過ぎるのか、人間の些細な考えなどどうでも良いのか。もちろん、後者ですよね、聖竜様!
そして、語って下さいます。
はっきりと申されませんでしたが、私の幼い頃の話だと思います。
聖竜様は大昔からこの地下に住まわれています。地中深くに位置する此処は、聖竜様の意思もあって、訪れる人はほとんどいません。
数年前まで、ルッカさんくらいだそうです。聖竜様が存じ上げない者がここまで到達したのは。
そんな中、突然に幼女が転移で出現しました。しかし、彼女は衰弱し、息も鼓動も止まる寸前。
聖竜様は長く生きているので、子供が哀れに朽ちていく姿も見慣れています。憐憫の情に欠けている訳ではないのですが、それも運命と見守ることを選択されることが常と仰います。
突然の来訪者に驚きつつも、聖竜様は目を閉じて静かに幼女の最期を待ちました。
やがて幼女は力尽き、動かなくなりました。聖竜様は亡骸を見詰めます。
そこで気付いたのです。幼女が精霊毒を喰らわされていて、その術式の特徴から古き友である魔族の仕業であることに。
全ての生き物は大なり小なり精霊の力、簡単に言い換えると魔力で以て生命活動を維持しており、精霊毒は他の精霊を入れることで、その動きを阻害する物です。
ザリガニの獣人ニーナちゃんの場合には、獣人化の進行を止めるために、マイアさんが新たな精霊を与えていました。
恐らく、同じ原理なのでしょうが、与える方法や与える精霊の種類などで、薬にも毒にも成り得る術なのだと思います。
話を戻して、件の幼女は毒となった精霊に魔力を吸われ続けていました。だから、体の機能が阻害されて弱っていたのです。
聖竜様の古き友は悪人では御座いません。少なくとも昔はそうでした。魔族だけど人の命を奪うような真似はしなかったと記憶されていました。
何らかの事情があったかもしれませんが、魔族の不慮の事故である可能性も排除しきれず、聖竜様は自分の精霊を分け与えました。それがきっとガランガドーさんです。
聖竜様は古竜で、よく分かりませんが、自身も元は精霊なのですが、長く現世に留まることにより、生物の様になっていたのです。だから、精霊を宿すことが出来ていたのです。
しかし、幼女の魔力は回復しません。次に聖竜様は魔力を増やし続けるために、最も大切にしていた地の魔力を操る権能を渡しました。
それにより魔力を自在に扱い、失った魔力を恢復できるだろうと考えたのです。その後、その幼女はすくすくと育ち、立派な少女へと成長しました。
与えたのだから返せない。
その娘が死ぬまでは、取り返す気もない。
聖竜様はそう仰い、アデリーナ様は黙ります。なので、次は私と聖竜様との会話の続きです。
『メリナよ、巫女となったからには、これからも宜しく頼む』
「はい! 何でもします! 異教徒を百万人殺せと仰るなら、実行致します!」
『うーん、そんな野蛮な事は言わないよね。しかし、ブラナンの件、あらためて誠に感謝する。フローレンスからもそなたの活躍は聞いておる。ちょっと近くに寄るが良い』
あら、何かしら。
今日の聖竜様は積極的です。
聖竜様の厳かな顔がスーと私に近付き、私の頬に鼻を当てられました。
な、何ですかっ!?
皆の前でこんなハレンチなボディータッチなんて!!
私、妄想だけで妊娠しちゃいます!
『我がまだ地上に居た頃の人間の風習だ。親愛と感謝の表しである』
はい。
……感無量です。私は一筋の涙を流しました。
色々と有りましたが、この瞬間の為に私は頑張ってきたんですね。聖竜様からこれ程までに想われているとは私は幸せです。
『それで、メリナちゃん、我、その箱の中身が気になるかなぁ。甘いものかな?』
「あっ、剃刀です。お下の処理に使う予定です」
『……あっ、そうなんだ……。ごめんね、デリケートな話を聞いちゃって』
「あっ、いえ。大丈夫です」
少しだけ粗雑な会話でしたが、それでも、私はまだ感動の余韻に浸り続けます。
しかし、私の心の震えを邪魔する人間がいました。アデリーナです。
「長話ありがとう御座いました。要は、メリナさんがお持ちなんですね。了解しました。では、親愛なる我が友人のメリナさん、それを私に下さい」
アデリーナ、お前、絶対に友達出来ないと思いますよ。私の涙の意味とか全く分からないでしょ?
「嫌です。私は聖竜様への愛を深く感じている所です」
「はい。そうですね。それはそれとして、どうやって取り出せば良いですか? 腹を殴れば吐き出しますかね。殺せば簡単みたいですが」
貴様……。
お前程度の体術で私に敵うとでも思っているのか。光の矢さえ気を付ければ、私は楽勝です。
「メリナさん、勝負しましょう。私が勝てば、その地の魔力を操る何かを譲りなさい」
「私に一切利益ないじゃないですか?」
「有ります。モジャメリナよ、聞きなさい。夏になれば、巫女服も衣替えです。袖が無くなります」
「……それがどうしましたか?」
「下着を着けようとも、腋は見えるようになります」
だから、どうした?
「モジャメリナ、あなた、脇毛が凄いわよ」
!?
どういう意味だっ!?
戸惑う私はルッカさんを見る!
「えっ、巫女さん、そこもナチュラルなままなの? ワイルドね」
「ま、まさか、そこも皆は剃っているとでも言うのですか……?」
「剃らない女性って初めて見たレベルで御座います」
くぅ!!
こ、これは!!
都会人、恐るべし!!
「ワイルドモジャさん、あなたが勝てば、その衝撃映像の公開を取り止めにしましょう。なお、公開予定日は明日です」
既に存在するのかっ!!
そして、その呼び名は何だ!?
「今すぐにぶち伸めしてやります! 掛かって来いっ!」
そして、驚愕の事実に勘付き、私は戦慄する。
私が負けた場合、聖竜様から頂いた何か大切な物を奪われるだけでなく、メリナ・ザ・ワイルドが全国に放映されてしまう事に。
『あー、二人ともね、ここ、我の居室兼ベッドルームだから、他でお願いしますね』




