就任式
『主よ、もう戻っても良かろう』
ガランガドーさんの進言です。
それを聞き入れて、私は10日ほどの山暮らしを終えました。街中に入ってからは、魔力感知を駆使して、周りにアデリーナがいないことを確認しつつ行動しました。
無事に神殿まで辿り着いたのですが、今日は参拝の人が多い気がします。なので、薄汚れた私の格好がちょっと恥ずかしい。しかし、人が多いと隠れやすいのも事実で好都合でも有りました。
寮の自室でベッドに寝転びたい所では御座いますが、土だらけの体を清めるのが先です。部屋が汚れたら、同室の友人たちに迷惑を掛けてしまいますからね。
ということで、来たのは魔物駆除殲滅部。巫女さん業務領域に入ってからはダッシュでここまで来ました。ひょっとしたら、巫女の中にアデリーナへの密告者が居るかもしれないからです。
アシュリンさんは今日も机に向かって、仕事をしている風に見せ掛けていました。私は知っています。魔物駆除殲滅部は暇であることを。だから、ヤツはいつも仕事をしている風に書類を見ているに違いありません。
「メリナっ! 貴様までも業務を放棄するとは思わなかったぞ!!」
あら、相変わらずの怒鳴り声ですね。アシュリンさんの言葉から察するに、ルッカさんも来ていないのでしょう。
「すみません。諸事情有りまして、山に籠っていました。修行……そう修行みたいなものです」
「ふん! そんな言い訳はどうでもよい! 貴様、臭いぞっ! 早く水を浴びろ!」
いや、そんな事はないでしょう……? 私は念のために腋を上げて顔を近付け、服の上から臭気を確認する。
……大丈夫だよね? うん、臭っても微かだと思うのですが……。
素直に裏口にある水浴び場に向い、石鹸でゴシゴシ髪と体を洗いました。念入りにです。
最中、懐かしい記憶が甦りました。昔、着替えがなくてアシュリンさんの巫女服をお借りしたのです。ブカブカでしたね。
水浴びを終えると、アシュリンさんの仕業でしょう、着替える所に新しい衣服が置いてありました。それは黒い巫女服でして、意外に気が利きます。
誉めてあげましょう、この新公爵メリナ様が直々に。
遠慮なく袖を通すと、あら、私にピッタリ。アシュリンさん用の特大サイズでは無かった様です。
部屋に戻ると、机に向かって書類とにらめっこしていたアシュリンさんがジロリと私を見ました。
「ふん、馬子にも衣装だな。似合っているぞ」
何か一度聞いたことがあるセリフな気もしますが、何だったかな。
「ですよね。巫女となるべき私ですから、似合わないはずがないです」
「あ? お前、公爵としてラッセンに行くんだろ? それまでの期間限定だ」
「えー、行かないですよ。行かなきゃいけないんですか?」
「……ふむ。これは巫女としてでなく、人生の先輩としてのアドバイスだ。メリナ、お前は若い。こんな神殿で一生を潰すより、ラッセンで活躍した方が良いだろ?」
聞いた事もない街ですし、そこには聖竜様がいないのが最大の難点ですね。
「まぁ、良い。ゆっくり考えろっ! あと、これは私からのプレゼントだっ!」
可愛らしい箱を一つ頂きました。ガソコソと即で開封します。
「ったく、自分の部屋に帰ってから開けろよ! 剃刀とスライムジェルだ。よく剃れるぞ」
…………アシュリンさん、よく覚えているなぁ。これで私も蝶となれるのですね。空を舞う蝶のように、私は一つ自由を手に入れるのです。
「ありがとうございます」
「ルッカにも貸してやれ。あいつも、相当だったぞ。目を疑ったが、メリナもあれ程であれば悩むであろうなっ!」
あっ、ブラナンとの戦いの最中に作り出したルッカさんの体の件でしょうかね。ボーボーボーにしたのです。死体みたいに動かなかったので、あのまま裸で放置されていたのですが、そっかぁ、アシュリンさんには見られたかぁ。
しかし、私はあそこまであそこがボーボーボーではない!
なので、尊厳の為に、私は強く主張と反論を致しました。アシュリンさんは聞き流した感じであったのが大変に不満です。
「今から本殿に向かうぞ。着いてこい」
「えー、眠いんですけど。私、公爵なんで、下賎なアシュリンさんが命令しないでくれません?」
「あ? 神殿に世俗の関係を持ち込むなっ!」
立ち上がったアシュリンさんにガツンと拳骨を頂きまして、私は渋々、本殿に参るのでした。
拳骨は十分に避けられたんですよ。反撃も可能でした。でも、まぁ、アシュリンさんの言葉にもちょっとばかりは一理あるかなと思って受け入れたのです。
うふふ、私は巫女服に身を包んでいます。一人前の巫女になったみたいで、とても嬉しいですね。
特に巫女さん業務領域を出て、一般参拝の方々が私に頭を下げるのは、何とも言えない高揚さえ胸に感じました。でも、私は奢りません。ペコリと頭を下げて返します。
なお、手には剃刀とジェルの入った箱も持っています。大事な乙女の道具ですから。
「メリナ、その服の素材は私が採ったのだ! 感謝して良いぞ」
コウモリの羽でしたかね。何回かアシュリンさんが取りに行っているのを知っています。
「ははー、有り難き幸せ!」
「うむ! 珍しく素直だな! いつも、そうであるが良いぞ」
本殿に近付くほどに人々が増えてきて、前へ進むには掻き分けないといけないくらいになってきました。
そんな中、声を掛けられます。
「メリナ様! メリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロ様っ!」
それは帽子を頭にちょこんと乗せたニラさんの声でした。背後には、いつもの双子、あー何だったっけ、あの双子がいます。
「お久しぶりです。お元気そうで」
ニラさんも双子も血色が更に良くなっていて、特にニラさんの顔は丸みが増した様に見えました。女の子には伝えてはいけない感想かもしれないので、私は黙ってニッコリしていましたけどね。
「バカ、ニラ! 貴族様に何て声を掛けてたんだよ!」
「す、すみません。ご勘弁下さい。ブルノで御座います。こ、この度は大変におめでちゃき、日に拝顔しゃせて――」
おぉ、ブルノ! では、こちらがカルノですね! すっきりですよ。よく名乗りました!
「いつも通りで良いですよ。お二人もお元気そうで何よりです。ところで、この騒ぎは何ですか?」
「メリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロ様の巫女就任式ですよ! 絶対に私も見たいんです!」
ん?
私はアシュリンさんを見る。
「ガハハ、黙ってビックリさせようと思っていたんだがなっ! そう言うことだ、メリナ!」
更に進むと、見覚えのある男性にも話し掛けられます。
「おぉ、巫女様! 巫女様! 私で御座います! 覚えておられますか!? 東部騎兵第十六分隊長マンデルで御座います!」
あぁ、変態のね。
荒くれ者を退治したときの検分で、お世話になりましたね。
「巫女様! 私、やはりあの時に馬に同乗して密着し、巫女様の体の柔らかさと体温と匂いを堪能すべきだったと、今も後悔しております!」
貴様、その今の発言を後悔しなさい。
マンデルは一緒にいた奥さんらしき人に髭を引っ張られていました。当然です。
奥さんに会釈をして、私は通り過ぎます。
本殿に入り、一般の方とは別の入り口から中へと進みます。
そして、私は一人で待たされた後に、知らない巫女さんに呼ばれたのでした。
私の着古した服が聖衣として展示されていた、あの本殿横の大部屋に立派な赤い絨毯が引かれ、私はそこを悠然と歩みます。
王都で巫女長が奪った小麦粉の山は無くなっております。
両脇にはびっしりの観衆。その前に何人かの巫女さんが後ろ向きに並んでいて、彼らが飛び出ないように監視しているようです。
進んだ先にはシェラとアシュリンさんの祖母に当たる、現シャール伯爵であるロクサーナさんが立っていました。
本当に枯れ木みたいなお婆さんなので、椅子に座れば良いのにとか私は思いました。
その横には巫女長、更に横の一段下がった所には副神殿長が控えています。眼鏡がキラリです。
その光の奥底では、男根への未練があるのでしょうか。私、歩きながら、そんな事を考えておりました。
「メリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロよ。そなたを聖竜スードワット様の御心に沿い、聖竜の巫女としてここに認める。これは聖竜歴2006年濃緑の月、竜神殿長ダバン・サラン・シャールに代わり、前神殿長ロクサーナ・サラン・シャールの承認による」
かすれ声ですが、しっかりとした声量。
若いときはイケイケな武闘派だった名残りが有りました。
次いで、巫女長が私へ歩み寄り、両手で巫女さんの白い帽子を私に被せてくれました。そこで歓声も上がります。控えめな感じで、本来なら厳かにしないといけない場なんだろうなあと感じ取られます。
「おめでとう。これでメリナさんも本当の仲間ね」
小さな声で巫女長が祝福をくれました。
「色々と期待していますからね」
「はい。変わらず精進致します」
儀式は恙無く終わりまして、私は巫女服のまま表に出ます。時間も経っていることもあって、ニラさんが出待ちしていたくらいで、簡単な会話を終え、私は寮へと向かおうとしました。
早く剃刀を試したいのです。
そこに明らかに貴族風の立派な格好の恰幅の良い人と、その従者がやって来ます。人の目を気にしていたのかもしれない。そんなタイミングでした。
「お麗しきメリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロ様。本日の祝儀、誠に晴れやかな門出に相応しき物で御座いました」
細身の従者は私に傅いてから、そう言いました。
「アデリーナ・ブリュリュナン様との件、何か御座いましたら、我が主人がご協力したいと申し出致します」
聞き間違いではなく、ぶりゅりゅって言いました! くはっ、アデリーナ様、哀れですね! 爆笑で御座いますよ!
笑いを噛み殺していると、主人と呼ばれた人間も笑みを浮かべた後に一礼して、また従者の方が喋ります。
「ニースのタブリャン家で御座います。聖衣の巫女様、末長きお付き合いを」
うんうんと頷いた私に満足された二人は去って行かれました。
言いたい。今のアデリーナ・ブリュリュナンを本人に告げたい。
私のその思いに応えるかの様に、新王が寮に戻っていることを私の魔力感知が教えてくれました。
『覚悟を決めたか、主よ』
ガランガドーさんは戦闘前の様に呟きます。
えぇ、行きますよ。何かあったら、全てをガランガドーさんの悪辣な行為だったと主張しますから。良いですか? 私は知らなかったとしますからね。
『主よ……全力で止めたい……』




