エルバ・レギアンス
あー、しまったなぁ。扉の上に書いてあった文字っぽいの何て書いてあるんだろう。マイアさんに再確認するのをすっかり忘れてましたよ。
聖竜様の前で皆が集まった時に、何か言っていたと思うのですが、私は聖竜様を観察するのに全力で耳に入れてなかったのです。だって、ここには皆で来ると思っていて、私が知る必要はないって考えていましたから。
「どうした、メリナ? 流石にお前でも警戒するか」
歩みを止めた私にエルバ部長が後ろから声を掛けて来ました。
「あの子供たちの為にも早く解決したいと考えています。でも、ここに文字が有るんですよね。読めますか?」
「ん? これ文字なのか?」
ちょっ、マジで二度と天才などと自称してはいけませんよ。コリーさんは文字の可能性に賭けて瞬時で暗記しましたし、マイアさんは何とか系の表意文字かなとか言いながら訳そうとしていたんですよ。
「部長はやっぱりダメでしたので、ガランガドーさん、行けますか?」
『うむ。まずは扉を破壊してみよう。我が地獄の呻きでな』
いや、攻撃ではなく読めるかと聞いたつもりだったのですよ。まったく、ポンコツしかいませんね、このチームは。ガランガドーさんの技名センスは相変わらずで恥ずかしいし。それ、自分で考えているんでしょ。聞かされた人間が地獄の呻きを発しますよ。
「待て。私に任せろ」
エルバ部長は前に出ようとしたガランガドーさんを手で制して、扉の上を見上げます。同時に部長の魔力の質が変わっていきます。あっ、量もだ。
「ほんと、メリナちゃんは私をバカにするよね」
あっ、すっごい久々に出てきた可愛らしい系部長です! フロン戦以来ですね。
うんうん、見た目通りの幼さがとっても私の保護欲を刺激しますね。常にその喋り方を推奨致します。
部長はすぐに魔法の詠唱に入ります。
「貔貅を重ねる者たる我は、詩抄を継がんと其に質す。刻まれたる荼毒を黜ける汢。鎔笵に留まるのも懶いたる腫脹は叫ぶ。張らすのは――」
ふむふむ、中々の魔法ですね。部長の右手の指先にかなりの魔力が貯まっていきます。コリーさんが大猿になった時くらいには有りますね。見直しましたよ、部長。
部長は手を上へと伸ばします。いよいよ、魔法の発動ですね。私、期待して宜しいですか?
ピンと伸ばした指先がプルプルしているのが少し不安です。
あと、爪先立ちでどうされたのですか?
「うーん、届かないよぉ」
……私は脇の下に手を入れて、部長を高く持ち上げました。扉の上の文字を触りたかった様です。
文字の書かれた金属プレートに指先から魔力が入り、少し光を放ちました。
『残留思念魔法か』
「対象は精霊なんだよ。だから、少し違うかもだよ。うん、良かった。教えてくれた」
その後、元の口調に戻った部長が説明してくれました。
今の術でプレートに込められた魔力や魔法を司る精霊とお話をされたそうです。
分からない私のために、補足で書かれていた文字については装飾も兼ねた魔法回路の一種だとも言います。うん、全然分かりませんね。
強い威力の魔法を唱えると、たまに地面に魔法陣が出来ます。その魔法陣ですが、幾何学模様の他に、読めないですけど文字みたいなのがぎっしりと円く書いてあってグルグル回るんですよね。
賢い人はあれを昔から研究したり、調査したりしているんです。だから、この世界の文字はどこの国でも、魔法陣の文字がベースとなっています。もちろん、人が考案した文字ですし、魔法陣の文字形態も一様でないので、文字の種類は時間的にも距離的にも差異が発生するのですが。
確か、魔法陣の文字を組み合わせて、何らかの理論で並べると魔法回路とか言うのが出来て、魔道具になったりします。
恐らく、私が身に付けている転移の腕輪の内部にも同じものが組み込まれているのだと思います。
推測するに、その魔法回路を通じてエルバ部長は精霊とお話できるのでしょう。それで、マイアさんが解読しようとしたその魔法陣について、部長は直接的に精霊に尋ねたのだと思います。
結局のところ、この扉はブラナンが仕掛けた罠の一つでした。扉の先に足を踏み入れると一人一人が別の場所に転移されます。どんな場所に飛ばされるのかは運任せで、空気も天地も光もない虚空に転送される事も有り得たそうです。
何の策も取らないまま、昨日、ルッカさん達と飛び込んでいたら危なかったですね。
「これを通ってもブラナンの所へ行けないんですね?」
「いや、一人は確実に行けるらしい。罠にするなら、同じ扉をたくさん置けばよいのに中途半端だな」
『うむ。しかし、到達する見込みが薄い場合、侵入者は別の手段を探そうとするであろう』
まぁ、そうですね。これが十個もあったら面倒なので、全部無視すると思います。二個くらいなら微妙だなぁ。
しかし、ここに扉は一つしかなく、そして、一人なら確実にブラナンに届くのですか。ふむ、それならば問題ないです。
「他には何か有りましたか?」
「入った後、3つ程の試練があるそうだ」
「試練ですか?」
うん? 自分を殺しに来る人間に対して試練? 何だろ、侵入者を敵として認めていない奢りみたいな物を感じますね。
「あぁ、すまない。私の言葉が悪かったな。精霊の言葉はそうであったが、あくまで術式が試練に関するものを利用しているのであって、ブラナンの意図は知らん」
『主よ、選択肢は二つ。扉の先へ進むか、破壊するか』
「ガランガドーさん、答えは決まっていますよ。私を愚弄したヤギ頭を十分に痛め付け、更には、哀れな被害者達に対して懺悔させるのです。だから、前へ! ですよ」
私の決意は揺るがない。かなり忘れがちになるけども、ちゃんと覚えています。
獣人の子供たちよ、それから、私が知らない王都の人達よ、もうすぐに苦しみから解放して差し上げますからね。
「分かった。私も覚悟を決めよう。マジでな。……メリナ、互いの幸運をエルバ・レギアンスに祈っておくか」
お前、まだ自分を崇めているのかよ。自分でその珍妙さに気付きなさいよ。
「え? 部長も奥に進むんですか?」
「何だ? えっ……マジで行かなくて良いのか?」
「えぇ、来ては欲しいですよ。でも、先ずはガランガドーさんを吸収して、私一人で行きます。で、そこから転移して部長を呼びに戻りますね。必要なら、他の人も連れてきます」
「……何かズルをしている気分になったな、マジで」
「愚かなヤギ頭の用意した策などザルで御座いますよ。試練とかいうのも正面から当たる必要もありませんからね」
『うむ、主よ。我が全てを焼き尽くそうぞ』
「はい。聖女決定戦の筆記試験系なら怒りのブレスを四方八方にお願いします」
あの時の焦りは、今思い出しても汗が浮き出るくらいに不快でした。
『杞憂で終われば良いのであるが、主よ、その転移の腕輪は可能な限り控えることを忠言する。道理は不詳なのであるが、使用の度に主の魔力が増幅しておる。魔力の臨界点を越えれば、突然の精霊化、主の崩壊が起ころうかと我は危惧する』
「それは聞けないです。私が倒れればマイアさんが何とかします。その予定です。アデリーナ様も『骨が砕けようと、仲間が倒れようと、前進しないといけません』って言っていましたが、その通りです。誰かが自らを犠牲にする覚悟で突破口を作らないと、何事も打破できないのです」
「……了解した。マジで今日はお前を見直す日だな。あっ、違うぞ。お前を弟子にしたい気持ちは常に持っていたからな。評価をより高めただけだ」
「しかし、エルバ部長、私には既に師匠と呼ぶ者がいまして」
マイアさんの夫であるゴブリンの師匠の事です。何も教わっていませんが。そして、私が勝手に呼んでいるだけで、彼は一度も自分のことを師匠と言っていません。
「別に師匠が複数いても良いだろ」
「さっきの可愛い言葉モードで教えてくれるなら考えないでも無いですよ」
少しは強そうだったからです。
「あー、あれかよ。さすがはメリナだな。あれは私であって私でないというか、あれがエルバ・レギアンスそのものだ。今はほぼ思考が重なって私自身としても良いが」
これは嫌な予感がします。制止しなければ、また長い自分語りが始まりますよ。
「それでは行きますよ、ガランガドーさん」
『御意』
わざわざ雰囲気のある言葉で返しましたね。そこは「はい」で良いでしょうに。全く、妙なプライドだけはあるのですね。
私はガランガドーさんを体内に吸収します。
『そこの人間は若返る呪いに掛かっておる。少しは話を聞いてやっても良いかと思うが、どうだろうか、主よ』
いや、後日で良いです。
「行ってこい、メリナ!」
「はい。でも、安全を確認したらすぐに戻りますからね」
私はドアを開き、中からの眩しい光で目を細めながら足を進めました。




