冒険者の人
さあ、魔法の練習よ。
清浄魔法というか、脱臭魔法を習得するわよ。私のブーツのために。今も刻一刻と危機が迫っているの。
街からここまで長く歩いたんだから、きっと中は蒸れている。今の状態が続けば、このブーツが臭い始めてしまうと私の勘が働いている。
そんなことは許されない。それは、とてつもなく無慈悲で無惨なことよ。
あっ、今はブーツを脱いでおこっと。
私は直に伝わる草と土の感触の中、アシュリンさんによって汚れが落ちた靴に向かう。
…………何だっけ、アシュリンさんが唱えたのは。
「わ、我は請い願う。縁深い山の中。連ねる雲が……ひ……雲雀が食べて、白がどうたら」
ダメだ。ダメですよ、アシュリンさん!あんなの一回で覚えきれる訳ないじゃないですか。
所々のキーワードしか思い出せません。
これじゃ、危ない人じゃない。裸足で目の前の靴に何か独り言放ってんのよ。私なら近寄らないわよ、そんな人がいたら。
靴もアシュリンさんの魔法でマシにはなっているけど、相変わらずの悪臭よ。確かめて損したわ。
ここは自己流が一番ね。それがいいと思う。アシュリンさんも自分の精霊があると言ってたもん。きっと私にもいるはずよ。だから、アシュリンさんの真似は良くないわ。
いつも通りに念じてみましょう。
『私は願う。
目の前の靴さん、きれいになって。
特に臭いよ。臭い。どっかに行ってお願い』
出来た? 見た目が変わらないけど、どうかしら?
私は靴を拾って確かめる。
くっさー! うん、くさいわ。
さっきと変わらないじゃない。
いや、でも、さっきのアシュリンさんの魔法で臭いの系統が変わった後だから、成功している可能性もある。これは誤算だったわ。靴の片側だけを魔法実験用にして、もう片方は比較用にそのままにしておけば良かった。
私は靴の前で立ち尽くす。
とりあえず、水で洗ってみるか。アシュリンさんが言う事が正しければ、日干しにすれば臭いが消えるんだよね。
水を出すのは簡単。
『私は願う。
水よ、水。靴にどちゃーって掛けちゃって』
靴の少し上から水が溢れた。うん、いつも通り。中に溜まった水を使って、私は手でゴシゴシする。タワシが欲しいところだけど、持ってきているはずがない。
あとは、その辺で日光に当てておけばいいよね。今日は陽射しがいいから直ぐに乾くかな。
私は裸足のまま、木陰に座って一休み。
その間にも何人かの冒険者っぽい人が森に入っていくのを見た。
みんな、袋を持っているから、何かを採りに来てるのかな。草刈り鎌とかナイフ程度の小さな武器しかないから、薬草系の採集でしょうね。
「お前、何をやってるんだ? 人待ちか?」
私の前を通り過ぎようとした冒険者の一人から声を掛けられた。短い金髪で、首から下がる銀色のネックレスのチェーンが少し軽薄そうな印象を与える。でも、全体的には真面目な雰囲気かな。
「えぇ、そうです。それと、魔法の練習をしていました」
私が答えると、その若い冒険者は笑う。
若いっていうか幼いかもね。でも、私と同じくらいか。
「お前、膝を抱えて座っているだけじゃないか。どんな修行だよ」
今は休憩中なのよ。って、確かに二度しか試してなかったわ。魔法の練習を続けると体が重くなるのよね。特に失敗すると気落ちもあってか、より酷いの。
私はその冒険者の靴を見る。
汚い。私の古い靴よりも年季が入っている。
私はひらめく。
「ちょっと良いですか? 私に協力して頂けませんか」
「あっ? 俺は今から仕事なんだよ。時間がないんだ。ギルドから依頼を受けたばかりでな。すまんな」
即で断られた。
「どんな依頼ですか? それに協力したら、私の願いを聞いて貰えないでしょうか?」
「足手まといにならないならな。角兎を狩るんだ。死にはしないだろうが、キレイなお顔に傷が付くかもしれないぜ」
あぁ、兎狩りね。倒すことよりも見付ける事の方が手間ね。
でも、いいね。兎なら森に深く入らなくても良さそう。アシュリンさんよりは早くここに戻って来られるか。
私はブーツを履く。それから、古い靴を皮袋に戻して肩に掛けた。
「では、行きましょう!」
意気込む私を男は制して言う。
「おっ、一緒に来るのか? なら、まずはお前の願いとかを聞いてやるよ」
おぉ、助かるね。
「では、靴を脱いで、その臭いを嗅いで下さい」
「……なんで?」
いいから素直に従いなさい。




