聖竜様の代わりに
マイアさんとクリスラさんはアデリーナ様が職権で用意した部屋に泊まられました。私は勿論、自室というか、四人の共同部屋です。
ぐっすり眠ったのですが、気力と体力が満足する程に回復するには時間を要しそうです。そんな自己分析を、ベッドに横たわり上掛けに包まれながら目を閉じて行っていました。
つまりは、もう少し寝ていたいなと思うのです。おやすみなさい。
そんな私を邪魔したのは、突然の悲鳴。
あぁ、忘れていました。マリールが同室でしたね。相変わらず胸を揉み揉みされているのでしょう。
狙われたのはルッカさんでした。でも、悲鳴の声はマリールでした。……噛まれましたかね。
「ちょっ! 真っ裸で寝ないでよ!」
「えー、朝から汚されちゃった……。助けて、巫女さん。アダルトな雰囲気がダメだったのかな」
お前、汚されるも何も居酒屋でケツ触られて喜んでいたでしょ。それ以上汚れないからご安心下さい、この淫乱め。
「マリール、その人、吸血鬼だから離れた方が良いですよ。噛まれたら下僕化しますよ」
「は? 魔族がこんな所でノンビリ寝ないでしょ? ルッカ、早く服を着てよ!」
まあ、そんな反応になるでしょうね。一般的に凶悪と色んな話で伝わる魔族が、まさか竜の巫女になっているなんて思わないでしょうから。
今日のマリールの毒牙はシェラに向かいませんでした。だから、シェラはルッカにお礼と労いを言っていましたよ。シェラは我慢強いですね。まだマリールに毎朝、胸を触られ続けているのでしょう。
早く部屋を替えて貰わないと、何かの拍子で万が一淫蕩した雰囲気になった時に間違いが発生する恐れが有りますよ。伯爵家のお嬢様なのに良いのでしょうか。
「全く巫女さんの友達も同じくらいクレイジーね。見なさいよ、お外を。昨日から真っ赤なのよ」
ルッカさんはカーテンを両手で勢いよく開きました。冬に見る雪原の様に赤い粉が敷き詰められていました。薄暗いので光を反射して目がチカチカするって事は無かったです。
「昨日から降ってるのよね。ビックリしたけど、一晩経つと馴れるわね」
「そうですね。触れても何も起きませんし」
「だね」
もう触ったのか……。マリールもシェラも既に聖竜様をお忘れなのですね。可哀想に。
「……二人はこの神殿が何を奉っている処かご存じですか?」
私の問いにマリールは呆れた顔をしました。それは、もう呆れたと言うか「お前、大丈夫かよ」って顔です。
「ねぇ、メリナ。いつも変だと思っていたけど、今日もとびきりね。私達は巫女になりにここに来たのよ。知らないわけないでしょ。どういうつもりの質問よ」
はぁ。興味本意で唐突に聞いてしまいましたから、おかしなタイミングでしたかね。
「ここはお兄様を礼拝する神殿よ」
…………アホですか。
「歴史ある神殿ですよ? 何故によりによってマリールのお兄様なのですか?」
「何を今更。メリナは本当に物を知らないバカね。偉大だからよ。偉大だから太古の昔から、そう、生まれる前からシャールの民に慕われていたの」
現人神が誕生していましたよ。マリールの中にだけ。
「うふふ、ご冗談が面白いですわね、マリールは」
そう笑ったシェラも既にブラナンの影響を受けていまして、お金に礼拝するためにこの神殿に入ったと仰ります……。
「お金? そうね。お兄様は商人だからお金の神様でも有るわ」
おぉ、マリールに対する記憶の改竄が、自己解釈も混じって凄いことになっています。
「巫女さん、行くわよ」
「あら? 今日も外でお仕事ですか?」
「えぇ、魔物を殲滅しないといけなくて」
「毎日ご苦労様です。お二人に滑らかな金貨の輝きの救いあれ」
「……う、うん。心強い祈りをありがとう、シェラ」
本当にトンでもない事になっていますね。金満主義の方々には喜ばれそうな神殿が誕生しています、シェラの中にだけ。
「朝御飯くらい取って行きなさいよ」
マリールのその申し出に、確かにその通りだと私もルッカさんも思いまして、食堂へと向かいました。
相変わらず美味ですねぇ。朝から調理したお肉なんて王都では味わえませんでしたよ。茹で卵の殻を割るのも久々です。
「ルッカさぁ、裸は良くないと思うのよ、私。胸の形が悪くなるって聞いたことあるよ」
「まぁ、ありがと。気を付けるわ。私からもアドバイスを上げるね。あなたは気を付ける胸が無いのを気にするべきね」
ルッカさん、ダメです。マリールは十分に気にされています。喧嘩になります。
「あん? なまい――」
「まあまあ、マリール。ルッカさんは頭が足りない人なんで許してやってください。マリールの後輩ですよ」
「あ? メリナが言うなら許してやるわよ。でも、いつか礼儀を叩き込まないといけないわね」
シェラは以前と同じで、煩い会話に我関せずで黙々と食事を進めていました。
聖竜様を忘れただけで通常運転の毎日が続くのかなぁ。混乱なんて無さそうです。私の魔物駆除殲滅部にしろ、マリールの薬師処にしろ、ほぼ聖竜様とは関係のない部署でしたから。
「まぁ、メリナさん。お久しぶり。また眼鏡談義に花を咲かせましょうね。アシュリンも少しは落ち着きましたか?」
副神殿長です。食堂の扉がたまたま開いたタイミングで、通路を歩く副神殿長と目が合いまして、向こうから話し掛けてくれました。
しかし、珍しい。朝の新人寮に何をしに来られたのでしょうか。
「アデリーナさんに新人教育の提案をしに来たのですよ。私もうっかりしていました。今まで巫女見習いの教育は部署での現任訓練だけだったのですが、どこの部署もちゃんとした教育をしていないんですもの」
……確かに。私なんか初日は先輩と殴り合いしかしてませんしね。あっ、ルッカさんもだ。そもそも業務も入ってから何ヵ月もしていませんよ。
しかし、私、興味が有ります。副神殿長の聖竜様は何に変わったのかが。
訊いてみましょう。
「良い提案ですね、さすが副神殿長です。皆が信奉する――あれ、皆が信奉する……。副神殿長、すみません。畏れ多くも、我々が信奉するあの方の名前をど忘れしてしまいました。お教え願いませんか?」
眼鏡か、眼鏡だろ?
「まぁ、メリナさん、聖衣の巫女と異名を取る貴女がそんな有り様でどうするのですか。しかし、その様な基本的な事を忘れるのはご多忙だからかもしれませんね。休暇が必要も大切です。オロ部長やアシュリンに相談するのですよ」
「すみません、しかし、どうしても思い出せなくて。お教え頂けませんか?」
くそ、小言を喰らうとは予想外。
「分かりました。男根ですよ」
…………副神殿長!!!
良いんですか!? いえ、明らかに良くないです!!
男根を崇拝する巫女たちの集団が街中に立派な社を構えて、日々祈ってる状況になってしまいますよ!
余りに酷い答えに無言となった私達を前にして副神殿長は真面目な顔です。そのままアデリーナ様の所へと向かわれたのです。
どの様な提案が為されるのか、私は怖くて知りたくないです。でも、唖然としたアデリーナ様を想像して笑みが溢れました。
「……お兄様は男だから、有るわよね。でも、それを教育? え? 副神殿長、疲れてるのかな?」
マリールも流石に事態を上手く飲み込むことは出来ませんでした。
やっばいです。部屋で聞いていた時は、ブラナンの影響は無害かもとか甘く考えていましたが、副神殿長という高い地位にある方が、あんな物を拝もうと動き出すなんて大混乱が巻き起こりますよ。一刻も早く止めなくては!
私達は副神殿長が去ったのを見計らってアデリーナ様の執務室に入りました。
クリスラさんとマイアさんは既におられまして、アデリーナ様は朝から疲労を隠さない顔をしていました。
「……早く止めましょう。恐ろしく、悍ましい教育プランが副神殿長により実行されようとしています」
「はい!」
私は元気良く全力で返事しました。




