秘酒、そして雪
ルッカさんは自然な感じで私の隣に座り、お茶を飲みます。しかし、それはアデリーナ様がふーみゃんの前に置いた物です。決してルッカさんの為の物では御座いません。
「お久しぶりね、アデリーナさん。お変りない?」
見事に慣れた感じで馴染んで来ました。流石は長く生きている魔族です。様々な経験で培われたと思われるコミュニケーション能力を披露してきましたね。
「あらら、猫さん。だいぶデリシャスな感じになってきたわね。私、ハッピー」
しかし、その経験も礼儀と言うか遠慮には反映されていないのですね。全く……部署の先輩である私が常識を教えないといけませんか。
「ルッカ、戯れ事はそれくらいで宜しいですか。メリナさんの報告を聞き、私は大変に機嫌が良いのです。……お酒でも如何かしら?」
アデリーナ様は余裕で御座いますね。
うふふ、それではお言葉に甘えさせて頂きましょうか。
「ダメよ、アデリーナさん。あなたも酔った巫女さんが大変なのは覚えているでしょ? 昨日も私、タイアードだったんだから」
ルッカさんはそう言いますが、お前に私は止められない。
アデリーナ様の背後に見える瓶が並んだ棚に意識が向かっていたのですが、視界の端に眼光鋭いアデリーナ様が写っていました。
……何だ? 甘言で私を騙そうとしていたのか。
「どうされましたか、アデリーナ様?」
殊更、私は優雅に振る舞います。先手必勝とばかりの正拳突きも良いものですが、まずは様子見を選択したのです。
「いえね、少し気掛かりな事が有りまして」
……何だ? 考えなさい、メリナ。私は何か間違いを犯しているのか? 怒られるのはもう嫌です!
そうだ!!
ガ、ガランガドーさん、いらっしゃいますか?
私、唐突にちょっとピンチなんです。
アデリーナ様は一体何を気にされたのか、分かりますか?
……ルッカ、ルッカですか! 奴の手がお汚ない状態なのですか!?
『お酒は毒です。もう二度と飲みません、が発動していない』
……アデリーナに掛けられたと思われる呪詛か!?
確かに、今、私はあの呪いを口にしませんでした。克服しているようです。しかし、それはお酒様への思慕がヤツの呪いの力に勝っただけの話! 愛の勝利なのです!
「……お、お酒は毒でしゅ。もう二度と飲みま……ぇん」
ど、どう? 不自然ではないですよね?
「あら、そうなの? じゃあ、メリナさんは水で宜しい?」
「良くないです。毒を喰らわば皿までと言いますし、アデリーナ様のご健康も考えて、瓶ごと頂きますよ」
我ながら見事な返しです。これでアデリーナ様も「まあまあ、なんて健気な娘なのでしょう。ブラナンをぶっ殺す前祝いを差し上げましょう」と仰る事でしょう。
「そう? そこの上から二番目の棚の瓶は全部、中身が毒だからメリナさんがお飲みなさいよ」
……普通にそんな所に飾るなよ。見た目一緒だから、私が間違えて盗る、じゃない、こっそり毒味したら大変な事になるじゃないですか!?
ラナイ村でのあの苦しみを思い出しましたよ!
「どれが良いですか? お取りしますよ、この私が、直々に、メリナさんの為に」
チッ……調子に乗るなよ。
死地に立った私と高みから見下ろすだけのお前、どちらが本当に強いか確かめてみますか?
とは言え、どれが良いかと尋ねられましたので、一番美味しそうなお酒を選ばせて頂きましょう。二番目の棚は全て毒物と言うことなので、そこは除外です。
私は目を凝らす。んー、ラベルを見てもよく分かりませんね。産地とかが書かれているのだと思いますが、オシャレな崩し文字なのも読み辛さ満点です。
あれ? あの瓶だけ魔力が豊富――って、ガランガドーさん、あれ、ブラナンの魔力じゃないですか?
『うむ、そうだな』
やはり。……アデリーナ様は既にブラナンの支配下なのでしょうか。いや、でも、魔力を瓶に入れる必要は無いですよね。
私の視線の遣り先に気付いたのでしょう。アデリーナ様が口を開きます。
「うふふ、メリナさん、それは自白剤入りですよ。王家の秘酒。ブラナンの魔力を溶け込ました逸品です。メリナさんも飲まれたでしょ?」
そんな悍ましい物を、一体いつ飲まされたと言うのか!? あっ、グレッグさんが襲われて助けた日か。神殿に戻ってきて、この部屋で御馳走になったのです。
…………やはり、こいつは敵?
「昔はね、これを王様が貴族に振る舞っていたそうですよ。自白が目的でなく、知られずに意識を操るために。怖いですね、メリナさん。そう思われませんか?」
「はい。そんな物を私に飲ませるアデリーナ様の根性が怖いです」
今は相手も警戒しているはずです。まだ殴り付けるタイミングではない。
「アデリーナさん、先に言っておくわよ。巫女さんに何かしようって言うなら、私は巫女さんに付くわよ」
ルッカさんが有り難いことを仰いました。これで戦闘になっても、罪悪感なく、アデリーナ様の光の矢に対する盾としてルッカさんを使用できます。
「この酒を作ったのは情報局。今はもっと簡単に意識操作できる道具が作られたらしいから、倉に眠っているのだけどね。ブラナンに抗おうとする者がいる中で利用しようとする者がいる。人間って本当に浅ましい生き物だと感じますよね」
アデリーナ様はルッカさんの言葉を無視して、自分の言いたい様に続けます。
「メリナさん、どうやって呪縛を解かれたの?」
呪縛? 王様が指輪から出した魔力は一つに纏めてポイッとしましたが、その後に変な声が頭に響いたのですよね。あれが呪縛か。それくらいしか思い当たる点がないです。
「……巫女長がポンと私の頭を叩いて解除しました」
たぶん、そうです。
「へぇ、さすが精神魔法のエキスパートですね」
巫女長はそうなんですか……。危険人物度が更に高まる情報です。
小麦粉事件の後に神殿を訪れたビーチャが巫女長の魔法によって狂ったように謝罪していたのが脳裏に浮かびました。思い返せば、あれも凄まじかったですね。
「しかし、そんなに簡単だったので御座いますね。拍子抜けです。ブラナンを倒すにはまず意識操作の対策が必要だと思っていたのですが、そうですか……勝機が近付きましたね、メリナさん」
ここで、にっこりアデリーナ。
勘違いされているかもしれませんが、私だけでなくお前も戦力に数えますからね。最前線には共に行くんですよ。
「先に意識操作されていたから耐性が付いていたのかしら。メリナさん、私のお陰だと感謝しても宜しくてよ?」
恩を無理矢理売りに来ました。かなりの押し付け具合です。
「今からブラナンを倒す為の相談をするんだけど、アデリーナさんも来る?」
ルッカさんの誘いにアデリーナ様は笑みで答えました。
「じゃあ、巫女さん、宜しく――って、お外、真っ赤じゃない!? 何よ、これ?」
ルッカさんもようやく異変に気付きましたか。私もお酒様に意識が行って忘れていましたよ、その赤い雪。
「血祭りの前祝いって、そこの王家の人が言っていました。祝福に感じるらしいですよ。怖いですよね」
「えー、アンビリーバボーね……。一応、持っていく?」
「触るの気持ち悪いじゃないですか。ルッカさん、お願いしますね」
「メリナさん、あなたなら大丈夫ですよ。早く取ってきなさい」
「何が大丈夫なんですか? アデリーナ様が取ってきて下さい。可愛い巫女見習いである私達に無理をさせるんですか?」
「薄汚い仕事は私には性が合わないというか、あなた方に合っていると言うか、表現が難しいですね」
揉めている間にふーみゃんが窓際に行って、小さな前足で窓を開けました。
赤い雪という異常な物なのに、不思議と魔力は少ないですね。
「まあまあ、ふーみゃん、ダメですよ。また、おかしくなっちゃいますからね。おかしいのはメリナさんだけで良いんですよ」
暴言を吐きながらアデリーナ様がふーみゃんを抱えます。
「みゃー」
まぁ、可愛い。そうですか。そんなにその赤い粉が欲しいのですね。差し上げますね。
私は窓枠に積もっていた粉を指で摘まむ。
うん、何の変哲も無いです。何でしょうね、これ。
「巫女さん、もう行くわよ。ハリーアップよ」
ルッカさんが呼ぶので近寄りました。アデリーナ様もふーみゃんを抱いてスタンバイオッケーですね。
「で、どこに行くんでしたか?」
軽い疑問を口にします。
「聖竜様の所よ。巫女さんは本当に緊張感がないわよね」
いつも、さも当然の様に分からないことを言いますね、ルッカさんは。
「聖竜って何でしたか? 羽の生えた蜥蜴のくせに聖とか名乗るなんて生意気ですね」
私の言葉にアデリーナ様もルッカさんも目を大きくして驚かれました。お二人にとって大事な何かだったのでしょうか。アデリーナ様の表情が変わるのはお酒の席と私を怒る時以外では珍しいです。
質問の答えを頂けないまま、聖竜とかいう大それた名前の魔獣の所へ向けて、ルッカさんが皆を纏めて転移の準備に入ります。
んー、ブラナンを殺すんでしたよね。その聖竜とかいうのを味方に付けるのかな。武力で脅して従えば良いのですが。叶わなければ、時間が勿体無いので、チャチャと息の根を止めるしかありませんかね。
腕が鳴りますよ。




