王の魔法
続けてクリスラさんが説明してくれます。
打ち合わせも兼ねた何回目かの会食で、シャールの使者代表である巫女長が血を吐いて倒れました。それも瓶から注がれた飲料を口にした瞬間でして、明らかな毒殺です。
他の王国内の都市代表もいる中での出来事で、彼らは巫女長への心配よりも他の皿は大丈夫なのかと大混乱になりました。
これは、ガインさんとパットさんが今朝早くに工房に来て教えてくれた事件ですね。
パットさんに後の些事を任せて、クリスラさんはすぐに王に真相解明のための調査を依頼しに行きます。しかし、そこで王は否の回答。
クリスラさんの目的としては、それだけでなくシャールとの交渉が破綻しないように圧力を加える事だったのですが、王は停戦の破棄の意思を見せます。
それはシャールだけでなくデュランという、王国内でも一二を争う裕福な二大都市と王都が戦争することを意味します。
……そっか、クリスラさんは今回はシャールに付く予定だったのですね。
しかし、民が傷付く戦争は避けるべき物。王様に翻意を促すクリスラさんに魔法が襲います。ただ、その時は気付かなかったそうです。
その魔法の効果でクリスラさんは静かに身を引き、自室に戻ります。そこで、何故か私への憎悪を募らせ、戦意を高めます。
次代の聖女に推した恩を忘れ、王都に反逆し、デュランの輝かしい過去と未来を潰す小娘。リンシャルやマイアさんに対する不遜。必ずこの手で殺してやると決意されていたのです。
目を開けていても閉じていても、この私が高笑いする姿が浮かびます。冷静になれば有り得ない事と分かるのですが、その時のクリスラさんは興奮の余り、その幻に殺意をぶつけていたそうです。
そして、先程の王城の前庭での騒ぎ。
クリスラさんは私と闘うために部屋を出ました。そこで、デュランの神獣とされるリンシャルに勝利の祈りを呟くと、この鍵が光り、そして、正常心を取り戻したのです。
心の中でリンシャルがクリスラさんに言いました。『王に意識操作の魔法を掛けられていた』と。『僕に祈ってくれてありがとう。助けるよ』とも。
クリスラさんの傍には彼女の見張りも兼ねた護衛兵が王命で付けられていましたが、リンシャルの宝具の効果で、クリスラさんの魔力が感知的には著しく低下します。
その異変に護衛兵は動揺。彼らは一義的にはデュランの聖女の命を守ることを指示されています。今朝に巫女長が毒に倒れた事を知っている彼らは同じく聖女も狙われたのではと勘繰ります。もしそうであるなら、彼らとしては任務失敗。デュランとの重要な関係を考慮すると、戦争になったとしても一族郎党死罪です。
リンシャルはクリスラさんにしか聞こえない言葉で続けます。
『立ち止まって聞いて欲しい。精神魔法は大きく二種あるんだ。一つは体、特に脳に作用する物質を体内に生成する術。興奮、鎮静とかの単純な効果を出す魔法だね。戦意高揚や睡眠の魔法なんかが入るよ。もっと複雑な効果が欲しい場合は記憶に関わる魔力に働き掛ける方式の魔法にするんだ。君が王に掛けられたのが、これ。だから、僕は君の体内の魔力を他の空間に移して発動しない様にした』
スッゲー長いセリフですし、クリスラさんもよく覚えていますね。そんな事を私、正直に伝えました。
「神獣リンシャル様、私どもを叡知の極みに運ぶ方のお言葉ですので」
と、怖さも感じる返答を微笑みと共に頂きました。うん、私、早くイルゼさんに聖女の地位を譲らないといけませんね。クリスラさんには悪いですが、背筋が凍るほどキモいです。
クリスラさんは「異変の結果、この体では戦闘には参加できない」と周りの護衛に伝えます。それは彼らも同感で、何もなくて戦闘が行われる可能性が少なく、また、クリスラさんが逃亡する恐れも少ない、ここ、王城の地下室に案内したのです。実際には魔力隠蔽で戦闘力には変わりがないと仰います。
「ありがとう。聖女さん、あなたは敵ではないのね?」
ルッカさんが訊きます。
「王国の仇敵ロヴルッカヤーナ、いえ、聖女ロルカ、昔の読みでロゥルカの方が良いのでしょうか?」
クリスラさんはルッカさんの問いに答えずに返します。
「今は魔族のルッカでいいわ」
「神獣リンシャル様は聖女を犠牲にしてもデュランという都市を守っていました。時に聖女を殺すことも躊躇いませんでした。しかし、それさえも結果的にはデュランを王都の完全な支配下に入らないようにという配慮。王都の騎士と密かな恋仲にあった聖女は凄惨に殺されもしました」
あの日記の人かな。私、怖くなって「読むな」って表紙に書いたんです。
「……聖竜スードワットの遣いである魔族ルッカ、あなたはリンシャル様を利用して何をしようとしたのですか?」
クリスラさんに薦められてデュランの書庫で沢山の本を読みました。その中の一葉に『吸血鬼ロゥルカヴァリューナは神獣リンシャル様の魔力を吸うと共に、本人の汚れた魔力をリンシャル様に混ぜた』とあったのを記憶しています。
しかし、リンシャルは500年前に暴走したルッカさんが産み出したと本人が言っていました。そこに意図は無い様に思うのです。
「うふふ、私の正体はコリーさんから?」
「えぇ。コリーはメリナさんからお聞きしたと」
そんな話もデュランに向かう船の中でした様な気がします。暇でしたから。
少しの沈黙のあと、ルッカさんは口を開きます。
「……聖竜様は人間を愛している。だから、餌になることを心苦しく思っている。これで、分かる?」
「分かりません。知勇に優れた聖女ロゥルカ、愚かなる後継にどうぞ教えをお願い致します」
「んー、じゃあ、イージーに言うね。近く、王都は滅びる。多くの民が死ぬ。聖竜様がそれを良しとしないから、私もそう動く。リンシャルも暴走しつつだけど、そう動いていたと理解して良いわよ」
ルッカさんの返答にクリスラさんは涙を流しました。さっきから、ちょっと本当に恐怖です。大丈夫ですか、聖女様? お酒でも飲んで情緒不安定にでもなっているのでしょうか。
「ありがとうございました。……あぁ、神獣リンシャル様を一時でも疑った私は聖女の資格は御座いません。メリナさんに一刻も早く譲位したいと思います」
「要らないです。あと、私は全然分かりません」
「巫女さん?」「メリナさん?」
ほほ同時に二人が私の名を呼びました?でした。
「聖竜様の愛する人間って私の事ですか?」
「バカね。ストゥピードよ。今のは人間全体の話よ」
二回もバカって言われました。でも、私はバカでは有りません。
「ですよね。でも、そうお思いなら聖竜様自身が解決すれば良いじゃないですか?」
聖竜様はよく「人間には関与しない」って言っていました。でも、それって今の話と矛盾しています。
「この王都は聖竜様のテリトリーじゃないの。精霊の一種である古竜の聖竜様では、体が維持できない。それに敵は聖竜様の昔のフレンドだし。優しい聖竜様には迷いがあるわね」
「私は聖竜様から、そういった事をお聞きしていません」
「……あなたは人間。今となっては、すっごく疑問があるけど、あなたが人間だと思ったから、聖竜様は言わなかったのよ。あなたが死なないようにっていう配慮」
私はうっすら涙が浮かびました。
あぁ、私も聖竜様に心配されていたのですね。それは愛されていたという事に違いありません。今は雌同士ですが両想いです。早く雄になって下さいね、聖竜様。
「でも、王都の人を救って聖竜様は何か得するんですか?」
「……さあね」
「聖竜様からの直接の言葉なら従いますけど、ルッカさんの言葉だとなぁ。徒労に終わるのも嫌ですし、ここは王都を全滅させて、後に聖竜様を崇める人に入れ替えませんか?」
「巫女さん、たまにクルーエルよね」
クルーエル? また分からない外国語を……。
「王都にいる人は全部、ルッカさんの下僕にしたらどうですか?」
「グッド! グッドよ、巫女さん。私、興奮しちゃう」
「デュランも王都の民の救済を進めます。リンシャル様のご意向との事ですので」
えぇ、王都の民はお任せしましたよ、ルッカさん、クリスラさん。




