嗤う女
メリナ対パウサニアスの戦闘開始前に戻って
☆銀髪の戦士パウサニアス視点
渾身の一撃を受け、崩れ落ちたアシュリンを見詰める。
アシュリンとの模擬戦は久々だった。今は倒れているが、技の切れは以前よりも増している。シャールの地でも鍛練を欠かしていない様で安心した。
この程度のダメージでは死なないことはよく知っている。しばらく眠っているが良いさ。
近衛兵時代のアシュリンは、先王の孫娘アデリーナの危機を助け、それが故に、自子に王位継承させたく彼女を疎んじていた現王に憎まれた。アシュリンは異動の末に数年に渡る過酷な任務を負わされ、結果、精神を病んで療養。更に「聖竜の呼ぶ声がした」と言うアシュリンの幻覚を理由に除隊させられた。
竜を崇めるというシャールの神殿でアシュリンはアデリーナと再会した。彼女と親交を深め、今は仲良くやっているようだ。
俺が護衛を外されたタイミングで、アデリーナの父母の事故死という不幸が発生したことをアシュリンは気にしていたのかもしれない。
だから、俺に代わってアデリーナを守ろうとしているのか。本人は絶対にそんな事を口にしないが。
あの事故以来、王都は優秀な軍人を失い続けている。雑多な兵が何人居ようと、たった一人の奇才が戦況を変えると言う現実を恐怖と感じている連中がいるのを知っている。
奴等に恭順しない者共を閑職や僻地に追いやるのは当然の摂理なんだろうさ。いつ自分に牙を向いてくるのか分からないのだからな。遠ざけたいと思って不思議じゃない。
本人が強欲だから、他人も奪いに来ると思い込んでいるに違いないもんな。
まぁ、その連中の親分が今の王なのだから時代の流れだと思うしかないか。
俺は出世すればするだけ苦労も増えることを知った。
だから、今で満足だし、正直なところ、限界だ。これより忙しくなったらストレスで死ねるぞ。
国と王都、民を守るだけなら、他にも選択肢があった。それこそ冒険者にでもなって気儘な生活というのも良かったのではと、この歳になって思う。
まぁ、冒険者になっていたらなっていたで、軍に入って偉そうにふんぞり返りたいものだと思っていたんだろうがな。
さて、王都に歯向かうアシュリンは制圧した。本人には弁護してやると言ったが、ここまで大騒ぎして無罪放免など有り得ぬ。
だから、情報局と取り引きして逃がす。
貸しを越えて借りが出来そうだが、そうなればロヴルッカヤーナの首で帳消しとしたい。それで足りなければアデリーナの首か……。
アシュリンの目的は何だったんだ? 訊いても答えなかったであろうが、お前、そこまでバカだったのか。
……いや、シャールからの使者、竜神殿の巫女長が暗殺されたという噂が流れていたか。
その弔いもあるのか……。
まぁ、良い。やることは同じだ。何にしろ、今日の魔族狩りの失態に関して情報局を責め立てる演技でもって、シャールにアシュリンを送り出す。
……ついでに、俺もシャールで一日くらい休息するかな。アシュリンと共にナウルの誕生日を祝ってやるのも一興だ。
その為にはアシュリンの愛弟子とかいう女を早々に伸さなくてはな。
物陰への転移魔法は見事。特別に登録された者でない限り、魔法の発動を許されない王城のアンチマジックシステムを上回る技量。
しかし、残念ながら娘の魔力総量は俺には遥かに、いや、アシュリンにも及ばない。
障害物越しではあるが、体の一部に魔力が欠損した部分も有った。情報局が秘密裏に扱っている吸魔に侵されているな。
それは民の魔力を吸って王城の維持に使う、治世の為の道具。優れた魔力感知能力をもってしても識別が難しい魔物だ。
情報局のコントロールで王都特有の奇病とされていて、俺も最近になって実態を知ったヤツ。経口摂取で体内に入れるのが連中の遣り口とも知った。
吸魔は体内に潜んで徐々に魔力を失い、寄生主はゆっくりと最期を迎える。王都の街区を離れた場合には、即座に生命維持に必要な魔力さえも吸い取り、殺す。
哀れな娘よ。不用意に他人からの貰い物を飲み食いしたんだろう。
お前はもう死んだも同然の体だ。
俺が視線をやると、接近戦に不利な長髪の女が歩み、途中で立ち止まる。
思った以上に幼いな。まだ10代半ばくらいのその娘は細く、到底、闘いの為に鍛えたという体ではなかった。
距離を詰めて来ない事からしても魔法使いタイプ。
師匠であるアシュリンの身を心配して、上から降りてきたのだろう。
突如出来た、王城をも優に超す高さの氷の造形物の上部にはもう一匹、魔力的に判別して、恐らくは魔族がいた。
約1ヶ月半前だ。シャールを攻めた王の陣地が伝説の魔族ロヴルッカヤーナに襲われ、近衛兵が襲われた。
情報局から、その魔族が王都に現れたと報告が有ったのが昨日。
だが、奴等の事だ。それよりも数日早く局は把握していたはず。貴族向け小麦粉貯蔵庫が襲われた日が怪しい。
俺は今日の昼過ぎに魔族討伐の依頼を情報局から受けた。街中での暴動や外壁の破壊など、奴等が想定した以上の騒ぎになり、一般の貴族や役人に隠しきれなくなったからだろう。
情報局のお偉いさんが俺に頭を下げたのは、久々に溜飲が下ったぞ。
その出動準備中に、王城前庭での異変と、それに続く乱戦。
まさか宮廷魔術師長まで魔族に操られているとは思わなかった。切り捨てずに制圧するために部下を三人も失った。
あの魔族には恨みもある。それが俺の逆恨みであると言われたら、そうかもしれん。
ロヴルッカヤーナは、近衛兵時代に俺が世話になった、狼頭の獣人ザムラスを喰って人間にしやがったんだ。シャール近くでの野営地における、あの時の出来事だと後で聞いた。
獣人に対する差別が激しい、この王都で近衛兵まで成り上がった実力者ザムラスは、魔族の影響を調査する目的で情報局預かりになり、俺が知った頃には解剖されて、土の中で眠っていた。
情報局がやった事は王都の繁栄には必要だったんだろう。そう思ってやる。
そりゃ、個人的な蟠りはある。だが、王都に忠誠を誓う身である俺の怒りは、元凶の魔族に向くしかない。
それに、王国と臣民を守る義務を負った軍人として、あの魔族は仕留める。内乱を再燃させたくない。タイミング的に、シャールが逆らった裏には、復活したロヴルッカヤーナの存在があると思うしかないからな。
アシュリンはそう思わなかったのだろう。俺にも守りたくない輩もいる。しかし、一部の連中が目障りだからといって、自分の使命、そして、軍の誇りを捨てる訳には行かない。
俺は今からの戦闘に気持ちを切り替える。
「魔族には容赦しないが、お前は人間か?」
どっちだ? 女の魔力の色は黒に近い灰色。鬱陶しいことに、微妙な感じなんだよな。
「そうだと思っていたんですが、精霊という説も出ております」
武術に優れたアシュリンを殴り倒したばかりの俺を目の前にしても声色が普通。それに、ブラフにしてもバカバカしい返答だが、その余裕からして、それなりの場数は踏んでいると見た。
「ふざけるのは止しておけ。信じるとでも思っているのか。……名前は?」
情報局からロヴルッカヤーナの傍にはメリナという娘がいると聞いた。経歴を聞いたが、情報無しとの答えだった。有り得ない。
意図的に隠しているか、情報局に入り込んだ敵方に抹消されているのだろう。
先の内乱でロヴルッカヤーナに味方した二都市が怪しい。シャールなら竜神殿の調査部、デュランなら暗部か。
アシュリンが関与しているなら王都内のアデリーナ擁立を画策する派閥の仕業も有り得る。
「ノノン村のメリナです」
聞き慣れない村だが、ロヴルッカヤーナの関係者とされる娘の名と同じ。
「そうか。俺はパウス・パウサニアス・ポーリオだ。大獅子の団の部隊長をしている」
お前の命を奪う男の名だ。覚えておけ。
「王都最強の男だ」
だから諦めろ。負けて当然だからな。俺は敗北を知らない。
俺は言い終える前に火炎魔法を発動する。そして、その火を追う形で突進する。
卑怯ではない。むしろ恐怖を与えないままに終わらせるのだから感謝して欲しいくらいだぜ。
透明な何かが出現。無駄な抵抗をと思ったが、俺の魔法はそこで消えた。相殺されたようだ。
中々やる。優れた魔法使いという評価に間違いは無かったみたいだ。
俺は止まらない。
「フッ!」
短く吐いた息と共に拳を振るう。
なっ、避けられたっ!?
だが、まだだぜ!
俺は女を転倒させる為に長く黒い髪を引っ張る。その後は膝を顔に入れて、終わりだ。
――くっ! 指先に魔力、腹狙いか! 小賢しい。
俺は髪から手を離して間合いを取り直す。
只の魔法使いだと思っていたが、格闘もそれなりに出来たとはな。少しだけ驚いたぜ。
ロヴルッカヤーナとの対戦を控えている今、余計な手傷は避けたい。
「遅いな」
事実だが、はっきり言うことで女の戦意を削る意味もある。
瞬間的な速度で圧倒しているのは拭いきれないだろ? 抵抗を止めろよ。
しかし、効果無しか。アシュリンと同じくバカなんだろう。目にまだ光がある。
俺は距離があるものの、拳を振るい、そこから炎を出そうとする。特大のヤツだ。お前では相殺できない――突っ込んで来ただと!?
彼我の差が分からぬ愚か者がっ!!
俺は本気で殴りに行った。女は何を思ったか軍人の俺に対して拳同士の力勝負を挑んだのだ。
当然ながら、俺の拳は女の指を破壊した。
…………おかしい……。指だけだと……?
しかも、明らかに変色した女の拳が瞬時に元に戻る。
そういうことか。
「無詠唱での回復魔法か……。厄介だな」
しかも、あの回復速度。自分が傷付くのを恐れずに殴ってくる訳だぜ。
くくく、狂犬とは、よく表現したものだ、アシュリンよ。
魔族だな。本気で殺ろう。
「今日はナウルの誕生日だったらしい。早く終わらせたい。悪く思うなよっ!」
音を立てずに、しかし、鋭く抜刀。
魔剣ヴィーナフィーラ。別名は滅魔の剣。
切れ味、頑丈さもさることながら、再生能力に優れる魔族であっても斬られた者は回復魔法を受け付けなくなる。
しかし、瞬間、娘の体から黒い魔力が溢れる。明らかに異常な量。魔族としても並のレベルじゃない。
俺は危険を察知して、後ろへ跳ぶ。
クソ、初撃から剣を使うべきだった。
「爆発的に魔力が増えたか。その魔力の色、やはり魔族だな」
「そんなお下劣な存在では御座いません。ところで、ナウルという者に興味が有ります。誰ですか?」
下劣? 云わんとする意味は分かるが、何かズレた返答だ。
しかし、ナウルに言及するか。
「ほう……。このタイミングで、その話とは脅しと受けとるぞ。俺のナウルに手を出すつもりか?」
俺の家族だ。絶対に許すべきでない発言だな。
「まさか。私が手を出したいのは聖竜様だけです」
魔族め、ふざけた返答で俺をからかっているのか!? 顔まで赤らめやがって! 人間の感情を真似しましたってか? どんな変態だよ。
ナウルに何をする気なんだ?
今のは頭に来たぜ。
死を認識できないまま死ね!
俺は最高速度で剣撃を繰り出す。苦し紛れに腕を掲げたが、無駄だ。
切断。多少の固さはあったが、この魔剣の前では無効。
が、また避けるだと?
その上で魔力の放出を感知。相打ち狙いを警戒して、俺は追撃を止める。
「ほう、いい動きだった。しかし、これまでだ。うむ、赤い血に骨の断面。確かに魔族では無く、人間の物だな」
喋りかけて様子を探る。プライドの高い魔族なら激昂して本性を現す確率が高い。
もちろん、魔剣の効果で腕の再生は無い。だが、吹き出す赤い血、それは人間か低級の魔族の証拠。高位魔族は血を必要としない。魔力を巡らすことでその代わりとするからだ。
魔力の質が異様に魔族に近い人間?
……笑えるくらい不幸な奴だな。この先も誤解されて生きて行くんだろうさ。
悲惨過ぎるから、俺とアシュリンとで面倒を見てやるよ。
戦闘不能な傷を負った女に俺は伝える。
「魔剣だ。それも特上のな。魔法ではダメだ。救急措置を取らなければ失血死するぞ」
剣を使うのは非情な判断であった。しかし、必要だった。
「中途半端な実力では命を落とす。腕が無くなったが、それを幸運だと思え。お前は明日から戦場に立たなくて良い」
これはアシュリンの弟子を切った俺の自己弁護かもしれない。
しかし、娘は途中で切り落とされ、血が止まらない片腕さえも構えて、戦闘態勢を取り直す。
まだ戦うのか? 狂っている。
「止血くらいしろ。死ぬぞ?」
「大丈夫です」
「狂犬か。言い得て妙だ。アシュリンの弟子というのも信じてやろう。その構えは王都の近衛兵のものだな。足捌きは為っていないが」
だから構えを解け。殺せばアシュリンに恨まれる。
だが、娘は無視を続ける。
ここで俺は違和感を持った。
「それだけの出血をして、戦意が衰えず、あまつさえ、顔色も変わらないか」
人間じゃないのか? 俺の知識の範疇なら魔族でも無いはず。あれだけの魔法を使うなら、血なんて体内から捨てるはず。
女が先に言った精霊? いや、そんなはずは無い。惑わされるな。精霊が人間の世界に出現するなんざ、古竜種くらいだぜ。
少なくとも精霊が、それよりも下等な存在である人間の姿になる必要がない。精霊鑑定の一環で召喚された俺の精霊がそう言っていた。
俺の動揺を見透かすように笑みを浮かべる女。一方的な俺の展開だというのに、その余裕はおかしいだろ。
「ここで笑えるのか、化け物め……」
女は構えた腕を逆にする。あえて、切り落とした左腕を前にしやがった。
意図は何だ? 不気味なヤツめ。
時間稼ぎだとしたら伏兵か。俺は頭上の気配を探る。もう一匹の魔族は?
しかし、先に女が放出された魔力に阻害された。俺がこの程度の距離の敵を把握できないだと。
……そう言うことか……。
「体から魔力を出していたな。その血は幻術だろ? 俺も焼きが回ったか」
女は優れた魔法使いだ。
そして、俺も戦士としては歳的に衰え始めているのかもしれないな。色々と経験を積んで、優しくなり過ぎた。アシュリンが愛弟子とかぬかしたのもあるが、生かしてやろうなんて思ったのが、らしくない。
俺は足に力を込め、土を蹴った。
女の目の動きを確認しながら駆ける。そして、俺を追う視線の逆へ体を小刻みに動かす。俺の激しく、そして速い動きに、俺の魔力が付いて来れずに空間に残る。
普通の相手なら何が起きたか認識もできないが、魔獣の様に動体視力に優れたヤツなら俺が何体も出現したように見えるだろう。
俺が飛び出し、女を殺すまではほんの一瞬。心臓が一拍する時間にも満たない。
どんな猛者でも全神経を使って俺のブレる動きを注視するしかない。
俺は大きく一挙にフェイントを入れ、女の意識を片側に寄せる。途端、女の魔法の発動を予期した。
喰い付いたっ!
俺は加速して逆を突く。音をも置き去りにする。
そのまま接近し、剣を腹から胸の奥へと刺し込んだ。
勝ったな……。
さすがに俺の全速は追えなかったか。
すまんな、アシュリン。お前のお気に入りを殺してしまった。
しかし、この不安は何だ……?
……腕を切った時との感覚の違い……。堅さが無かった。
血と脂と汚物を垂らしながら、鈍く光る剣。それらを確認し、頭を上げた俺に対し、無言でニンマリと嗤う女。
っ!?
死んでいないだと!?
「貴様っ!! 俺の剣は竜の首さえ切断できるのだぞ!!」
その言葉は、ただ単に俺の自信を表しただけ。この信じられない現実が変わるわけでない。
剣を押す。動かない!
抜こうと力を込めるも無駄。ヤツの力に敵わない。
ヤバイ!!
「うふふ、で、ナウルさんって誰ですか?」
「死んだら教えてやるよっ!」
腕を掴んで来やがった!
俺は全力で殴る。俺の拳で女の頬に痣が出来るも、すぐに元に戻る。
「何者だっ!?」
「巫女見習いであり、天才パン職人です」
「ふざけるなっ!」
殴っても蹴っても女は離れない。
掴まれた腕が握り切られるのではないかというくらいの力で締められる。
俺は女の首に手を掛け、全身全霊の力を込める。
弾力も体温も普通の肌で、俺は女が失神することを淡く期待した。
が、予想通り、女は平然と腕を掴んだまま。
腕に鋭い痛みが走り、女に動きが出る。
血を腕に掛ける?
俺がその行為の目的に気付いた時は、もう遅く、女の体内にいた吸魔は俺の心臓に移り定着した。
乱れる鼓動と痛む胸。
足を踏ん張るものも女に顔を殴られ倒された。
薄れる意識の中で見たのは、落ちた腕を拾い、割れた壺を糊で修理するかの様に、無言で元の位置に付ける女。
傷跡も残さず、その回復魔法の効力は俺が知る限り、王都に匹敵する者はいない。
アシュリン……貴様、こんな者を隠しているなら、こそっと教えておけよ……。曲がりなりにも、俺達は愛し合う夫婦だろ。




