交渉失敗
気持ち悪いくらいに汗がいっぱいの、慌て顔のパットさんですが、ようやく、その理由を話してくれました。
「王都とシャールの交渉の席で竜神殿巫女長のフローレンス様が暗殺されました。戦争再開の恐れがあります。すぐにメリナ様も捕らえられます。一緒にデュランへ向かいましょう」
巫女長が殺された!?
有り得るのでしょうか。かなりの猛者ですよ。……いや、王都にも人材がいるでしょう。アシュリンさんみたいな人が多くいるって、アデリーナ様が言っていた気がします。不可能ではないか。
ただ、昔からの付き合いがあるガインさんが平気な顔なのは気になります。
あっ、でも、ミーナちゃんの腕が蟹になった時に彼はナイフで殺そうとしていました。好々爺に見えて、実は冷血なお人なのかもしれません。
色々と疑問は残りますが、はい、巫女長は死んだものとして行動しましょう。ご愁傷様です。
ガインさんが黙っている所を見ると、生きておられたとしても、その流れでアクションして欲しいという暗示なのでしょうから。
「分かりました。指示に従います」
「ちょっ、何でメリナ様が捕らえられるのよ! 関係ないじゃない!」
ハンナさんがパットさんに食って掛かりました。服装で分かる身分差を越えての抗議ですので、私への想いが伝わってきましたよ。
「ハンナ、俺は知っている……。ボスは……ボス、あれ言いますよ。ボ、ボスは貴族街の倉庫を襲って、根刮ぎ小麦粉を力付くで奪ったんだ」
まぁ、白状しなくて宜しいのに。
無駄にデニスも震えだしましたよ。
「……巫女長っていう婆さんも共犯だった……」
一瞬だけ沈黙が場を支配しますが、すぐにパットさんが破ります。
「ビーチャ君だったかな。それは違うよ。メリナ様は次代の聖女様であらせられるのです。王都で驕奢を欲するがままの貴族達に庶民の哀れを体験させたいという篤い想いが溢れたに過ぎません。デュランの聖女が王に逆らうはずがありません。……その線で王都の治安省と話が付いています」
ほっ。強引ですが安心しました。ならば、巫女長の死は私のせいでは有りませんね。
「今回の主因はロヴルッカヤーナの再来です」
私とパットさんはルッカさんを見ます。ふむ、元凶がここにいましたね。
退治致しましょうか。中々、死なない存在ですが。
「王都側はシャールがロヴルッカヤーナを操り、危害を加えようとしていると判断しました」
「まぁ、見張りが増えたのは私のせいなの? サプライズだわ」
いや、まぁ、そうですよね。あの王都の軍に降り立った時、私は王とは対面しましたが一部の人間にしか顔が割れていません。
それに引き換え、ルッカさんは兵隊さんを見境なく襲いまくっていましたし、名前も大きく叫ばれていました。
やはり危険人物はお前ですよ。
「デュランへ転移を。フローレンス様の死を悼む気持ちは分かりますが、時間が無いのです」
パットさんが片膝になって必死な口調で言います。
容易い御用なので、私は従いました。工房の皆も一緒です。皆で手を繋いでの転移です。体を通して魔力が伝わるのでしょうか。複数人で転移する時は、いつもこうします。
さて、クリスラさんがお住まいの屋敷の庭に出ました。何人かの使用人が驚いていましたが、私の存在を確認して、それぞれの勤めに戻られます。ほぼ毎日、私は来ていますからね。皆さん、慣れっこです。
「決断の早さ、流石で御座いました」
パットさんが私に頭を下げられます。
「現在、クリスラ様が王に掛け合っています。しばらく、デュランにご滞在頂けたらと存じます」
む……。
これはパットさんに嵌められた可能性も有りますか。
クリスラさんが交渉に失敗、または、王都側に付いたら、私はシャールに対する人質となるのです。いえ、下手をすると、デュランは既に王都側に味方していて私の命を手土産にする可能性だって有ります。
考え過ぎかもしれませんが、シャールに飛ぶべきだったか。
いや、でも、シャールの神殿に皆を預けるようとしても、アデリーナ様が煩いかもしれません。特に男性陣については、シャプラさんの時の様な巫女候補だと言い張る強弁できませんし。
「クリスラさん、王都にいるのですか? 転移の腕輪は返していませんのに」
一番の疑問をぶつけます。不自然な回答ならパットさんは敵です。手刀で首を落とします。
「はい。常日頃から転移魔法の詠唱可能者を幾人も各地に配置しております。時間は掛かりますが、中継を何回も繰り返すことで、転移の腕輪に匹敵する神に等しい転移距離を実現しております」
……本当でしょうか……。しかし、嘘とは限らないか。良し、信じましょう。
私は手に込めた魔力を和らげる。
続いてガインさんが真剣に私へ言ってきます。
「……メリナ、王都は本気や。余裕があるなら、もう一度転移するんや。ほんで、他の知人も全て連れて来た方がえぇ。王都は前回の雪辱のためにも関係者を皆殺しにしてくるで」
これも従いましょう。私が王都に戻る事もシナリオの一部なのでしょうから。
しかし、私に王都の知り合い? フェリクス以外だと、あぁ、ヤギ頭とかか。
彼は意外に賢いから、自分で何とかするんじゃないかなぁ。王都の人も底辺の獣人たちに労力を割くよりも優先する事がありそうですし。例えば、シャールの関係者を炙り出すとか。
「こいつらの家族も連れて来なあかんで」
あっ、なるほど。
ご家族を使って、敵対者を揺さぶるのは有効ですね。王に従わなければ仲間の家族を殺すと脅されると、私も罪悪感を持ってしまいます。
でも、それに従うはずが有りませんね。死を犠牲にしても勝利は掴むべきなのです。
……しかし、気分が悪くなるのは嫌です。障害は出来るだけ排除しておきましょう。
「工房の皆様、王都にご家族や大事な方はおられますか?」
私の言葉に手を挙げたのはビーチャです。恋人がいるそうです。生意気です。
ハンナさんはペーター君だけ、モーリッツは独り身でした。この方々は他に連れて来たい人はいないとのことでした。
やや遅れてデニスも口を開きます。しかし、病身の母親がいるし、既に別の家を持っている兄弟も幾人かいて、皆を避難させることは出来ないと言うのです。
ふん、この私に不可能は御座いません。全ての人を助けて差し上げましょう。
「……メリナ様……行くのですか?」
「パット、お前らの聖女様は人助けもできへんのか? 聖竜様を見習わなあかんで」
おっと、ガインさん、その通りです!
そうです! 聖竜様は昔話の中で人々を何回もお助けしているのです。私は聖竜様の巫女の一人で、そして、将来は伴侶なのですから迷う必要はないのです!
「ビーチャ、デニス、行きますよ! ルッカさんもお願いします!」
工房に再転移です。
すぐに行動に入ります。
「ルッカさん、上空から状況を確認して下さい」
「オッケー。でも、何をしたら良いの?」
「私達を襲ってくる人がいたら、噛み付いて僕にして下さい」
敵を防ぐだけではありません。白昼堂々と吸血鬼が出現する訳ですから、周辺は大混乱に陥るでしょう。その隙に私達は任務を遂行するという攻防一体の素晴らしい案です。
「あら? ナイスアイデアね」
ほら、ルッカさんも吸血鬼の本能を隠そうともしていません。
彼女は転移魔法を唱えて消えました。鷹のように天高くクルクル回り飛んでいることでしょう。獲物を探しているのですから、全く同じ感じですね。
「では、ビーチャから行きますよ! その恋人の場所に案内なさい!」
「は、はい!」
私達が勢いよく工房を出た瞬間に矢が放たれました。迫り来るそれを、私は咄嗟の判断で避けたのですが、残念ながら、すぐ後ろのビーチャに突き刺さりました。
ゴスッて、凄い音がしました。弩かな。
私は即座に昨日の酒場に転移。
ビーチャの喉仏に刺さった矢を抜いて、回復魔法です。
生きていました。人間はなかなか絶命しないものなんですね。今回ばかりは、矢尻が完全に後頭部まで貫通しているし、身動きしないからダメかと思いましたよ。




