開店前
一夜経ち、私はパン工房の面々の前で今日のお仕事について語りました。
ここは毎朝のミーティングの場となっている二階の休憩所でして、階段の上ではありますが、遮るものがなく一階の状態もよく見えます。
今日のパン作りの準備が完了しているのですが、先程、私は今日もパンを作らない、いえ、パン作りでない仕事を伝えたのです。
「ご質問がある方は手を挙げて下さい」
すぐにフェリクスが反応します。
「俺達はパン職人なんだが、何故、居酒屋を始めないといけないんだ?」
「私のプライドの問題です。今日一日限定ですので、お願いします」
次にハンナさんの控えめな挙手が見えました。
彼女の傍にはいつもペーター君がいます。ペーター君は甥だそうです。彼の両親は既に他界されておりまして、ハンナさんが面倒を見ているとのことで、それを知った時は感動致しましたよ。
褒美としてハンナさんに金貨を五枚与えたものです。
「その……今すぐに、その店の隣の家を手に入れるって無理じゃないでしょうか? 手続きもわかりませんし」
私は黙って、床に置いていた箱をテーブルに載せます。かなりの重量なので少しテーブルが軋みました。
それから、私は静かに蓋を開けます。
そこには聖夜の功労金として得た、金貨約3000枚があります。と言っても、何枚かで纏まって紙に包まれていまして白い棒が詰まっている様にしか見えないと思います。
私は一本の束の紙を丁寧に剥きます。
うふふ、素晴らしい輝きです。お金ってたくさん集まると魅惑の光を出されますよね。魔法みたいです。
「こ、これ、全部が……金貨なんスか?」
デニスの驚きも無理ないです。私もこんなもの神殿に入るまでは見たことも有りませんでしたよ。
私は黙って頷き、次にハンナさんへと言います。
「金に糸目は付けません。一夜に限った賃貸でも構いませんので交渉をお願いします」
「へ……え? ……メリナ様……私……こんな大量の金貨を持って街を歩くのが怖いのですが……」
「ペーター君は、いつも、この束一本くらいは持ち歩いていますよ。大丈夫でしょう」
ペーター君には買い出しをお願いするので、必要だったんです。
さて、急にガタガタし出したビーチャはどうしたのでしょうか。皆の注目を浴びます。
「ボ、ボス……。また強奪してきたんですか……。こんな大金、重犯罪じゃないですか……」
また? 私が何を強奪したと言うのでしょうか。全く記憶に御座いませんよ。
小麦の件だとしたら、それは間違いです。記憶の奥底に沈んで風化するのを待たないビーチャの間違いです。
「何をおっしゃるかと思えば、ビーチャ、勘違いされております。これは私がシャールの聖竜様の神殿で頂いた全財産です」
「……そ、そうでしたか。前に連れていって貰ったあそこですか……。それは良かったです……」
聖衣とかいう私のボロ服を皆に嗅がれた恥辱の対価です。
「話を戻しますよ。宴は今晩です。皆さんは、パン以外の料理も作るのです。分かったですか?」
「いや、全然分かっていないんだが。……まぁ、いいさ。あんたの言うことを聞いて損をした事はないからな。俺はやるぜ。だが、昨日は休みだったから、パンは膨らませずに焼くな」
ほう。そんなパンの種類もあるんですね。捏ねてからの寝かせをしないで作るパンですか。楽しみです。
「あっ……俺、昨日、新しいパンを作ったんです……」
ビーチャが自分の鞄から大きな葉っぱに包まれた物を出してきました。
「あら、ビーチャ、休日も研究とは熱心ね」
ハンナさんが軽い調子で声を掛けました。でも、ビーチャのパン作りの基本的な腕はハンナさんよりもかなり上なんですよね。
この辺りの人間関係がフラットなのが、この工房の雰囲気の良さです。つまり、私の功績です、きっと。
ビーチャが出してきたのは、茶色と白の表面をした何かです。艶々してるなぁ。触るとプニッです。
「ここ数日、街中で小麦粉が手に入らないんです。……原因は知っています」
その原因は忘れなさい。
「それで、昨日は小麦を使わずにパンを作りました」
ふむ。小麦粉を変えるか、新鮮です。ビーチャにしては良い着眼点だと思いますよ。黒麦のパンとかも有りますものね。
「魚を使いました」
…………前言撤回です。どう発想すれば、そうなるのか不思議で御座いますよ。頭を切り開いて覗いて差し上げましょうか?
「小麦粉と似た白肉の魚を使いたいと鯰を用意して、捌いて、血を洗い流しました。それで、肉をグチャグチャにしてからパンと同じ様に塩を入れて、よく捏ねました。粘りが足りなかったので卵白も入れてます。焼いたのがそれです」
いや、もう、何それの世界ですよ。あなただけの満足感ですよ。デニスもフェリクスも困った顔をしているじゃないですか。
「ボス、食べて下さい」
ビーチャは頭を下げましたが、私は試食要員との認識なのですね。……再教育が必要です。
しかし、その前に部下の努力には応えないといけません。私は鼻を押さえつつ、その魚のパンを口に入れる。
!?
うまっ!!
ひゃー、これ、何でしょう!?
プリプリしてますし、一切れじゃ物足りない、癖になる味わい! パンよりも塩を多目にいれてますね!
全くパンじゃないけど、これは売れますよ!
来ましたっ! これで、あのボケどもを見返すことが出来そうです!
「素晴らしい。これを作れるだけ作りなさい」
私は二本の金貨の束をビーチャに渡す。
「一本は魚の購入費です。もう一本は褒美です。受け取りなさい」
「あ、ありがとう御座いますっ!」
深く頭を下げるビーチャに私は満足します。
「……シャプラはどこに行った?」
無口なモーリッツです。火傷を恐れずに熱湯でパンを捏ねると言う根性をお持ちの男です。そして、どことなくシャプラさんも気にされていて、心根が良いのも知っております。
「デュランの支店をお任しました。後で今日は売るものが無いのでごゆっくりしてもらう様に話しておきますから」
「……そうか……分かった」
皆が動き出しました。私は階段を下りていく部下達の背中を頼もしく見守ります。
「メリナ様、金貨100枚で快く家を売って下さいました……」
「種無しパン、順調に仕上がっている」
「ボス、魚のパンもモーリッツに手伝って貰い、順調です」
お昼前には各自から報告が入ります。極めて満足です。相談事項も有りません。
宜しい。次の指示を出します。
店舗の内装、卓、お酒、各種食品の用意です。
ビーチャとモーリッツには魚のパンを引き続き作って欲しいと頼みます。
「メリナさんよぉ、即日の開店はやはり厳しーんじゃないか?」
「無理かどうかは私が判断します。全力で遂行しなさい」
フェリクスめ、諦めは早いのですよ。順調なんです。あの淫乱吸血鬼とクソ親父の店から全ての客を奪ってやるのです。
奴等に一銭も入らないように頑張るのです。そして、私の偉大さを思いしり、水溜まりがいっぱいの路地に頭を付けて、私に向かって謝罪するのです。そんな光景を望んでいます。
夕方には大半の準備が完了しました。一見客に渋る業者には、金貨の力と私の武力で対処しました。
「メリナ様……出来るものですね」
ハンナさんが一日で作り上げた私のお店を見ながら呟きます。
華やかな雰囲気を出すためにと思ったのですが、少しゴテゴテし過ぎましたかね。魔力式の照明電灯が色んな光を出しながら輝いています。
「はい。ありがとう御座います。ハンナさん、厨房は任せました。以前の職が飲み屋でしたよね」
「えっ? ……はい、頑張ります」
ふむ、拒絶の言葉は出されませんでした。私のチャレンジ精神が彼女にも分かってきた様ですね。
「あれ? お嬢ちゃん、今日も来たのかい? 大きいお姉ちゃんだけでも良かったんだよ?」
私よりもルッカを選んだ、あのクソ親父です。薄汚い面のくせに、店の外観を確認していた私に語り掛けて来やがりました。
「……デニス、ビーチャ、こちらの不逞な輩を追い払い下さい」
私の命令に二人は豹変したかの様に攻撃的になります。
「ああ!? お前、誰に口聞いてんだよ!? 殺すぞぉ!! あぁ? 殺すぞっ!!」
「てめぇ! その腐った口を二度と開けなくしてやろうか!? メリナ様はヤベーんだぞ! 具体的には言えないけど、スッゲーヤバイんだぞ!! 一咬みでお前なんかお陀仏なんだからな!」
これ、ビーチャ、脅しと謂えど、私を野犬みたいに言ってはなりません。
しかし、これで開戦です。蹂躙開始です。
自分の店に逃げ帰るクソ親父を見ながら、私はニヤリと笑います。
金銭感覚としてはマニラやリオのスラム街に60億円くらいを持ち込むイメージで設定しています。
なお、魚のパンは、もちろん、蒲鉾です。




