マイアさんの嘘
☆マイアさん視点
メリナという娘が私を永遠の檻から救出して二ヶ月ほど。暴走する精霊リンシャルを無理矢理に顕現させて打ち倒すという前代未聞の偉業を成し遂げたあの時と比較しても、彼女の魔力は大幅に増えている。
恐らくはあの転移の腕輪が絡んでいるのだろう。あれの制作者はフォビ。二千年前に大魔王討伐のために手を組まざるを得なかった変態野郎で、当時の最強の戦士で、私の次に優れた魔法使い。
あの時代、自由だったワットちゃんは彼を背中に乗せて、世界中を旅していた。そう言えば、ワットちゃんも無理してるなぁ。いやぁ、成長して心身ともに竜らしくなったのかな。
転移の腕輪は転移以外の効果を付与していると見えた。お節介が過ぎるフォビのやりそうなことだ。
一般的な転移魔法は、体内の魔力までは転移できずに置いてきてしまう。そのために、転移先には魔力が豊富な場所を選んで回復を早めてやらないと、最悪な場合、体の機能が停止して死んでしまう。
転移物の物質情報をコピーして、転移先に複製するためであろう。だから、原理的に魔力は付いて来れないし、コピーミスや転移元のデリートミスが発生することもたまにある。
王国の仇敵と呼ばれていた魔族ルッカの転移魔法は、それとは別系統の物で、恐らくは空間切り取り系。剣を何もない所から取り出していたのも確認したから、そういった空間制御に長けた精霊の力を持っているのだろう。
フォビの作った腕輪は確かに術式は空間制御系だった。しかし、巧妙に隠された魔力回路もあった。ワットちゃんの手前で分解するのは躊躇ったから、代わりに頭にしっかり刻んで、後日ゆっくり考えた。間違いない。
あれは空間制御をしながらも、魔力の吸収と補充を瞬間的に行い、魔力酔いとその回復を術者に認識させないまま成長を促す道具だ。
フォビの意図は与えた人間の魔力を上げ、いずれ、私を救出させる事だったのだろうか。認識させないのは道具の有用性に気付いて、要らぬ諍いや争奪戦争が起こらないようにという配慮。
代々の聖女に受け継がれていたから、幾人かは気付いていたかもしれない。しかし、専ら、私やリンシャルとの面会で使っていたみたいだから、魔力の増大を、腕輪の力ではなく、私達からの影響と信じていたかもしれない。
メリナは転移魔法を気軽に使っていた。性格的に転移という高位魔法の使用を自重しないし、その能力の高さから自分が他人に利用される事も恐れない。宗教的にも私を憚る必要が無い。そんな彼女だからこそ、あの魔力の成長速度なのか。本人は気付いていないみたいだったけど。
その魔力の増大の行き着く先は、メリナの竜への変化。
私はこの現象が人間の住む空間で起こることを危惧していた。あのまま転移魔法を使い続けていると、いずれメリナの体内の魔力の密度が臨界点を越えて、精霊が顕現できる濃度になっていたはず。
だから、私は敢えて楽欲の間、空間に魔力が豊富な場所を選び、精霊の顕現を促した。最悪の場合、メリナとその精霊をここに閉じ込める。
ベストではない。しかし、人類、いえ、生物を助けるためには、これが最善。
実際に現れた精霊は私の想像を絶する物だった。ワットちゃん以外の古竜種に出会った事はあるけど、ここまで禍々しいのは初めてだ。
「ミーナ、腕輪を嵌めましたか?」
「う、うん」
良し。距離も取ったし、装着も完了。
すぐに私が行動しなかったのは、無意識にメリナに期待したためかな。
もしかしたら私の最善を越える最高の最良を彼女が実現するかもと淡い希望を抱いてしまった。
『グアアアアアアァァァァ!!!』
黒竜は完全に体を構築し、大きく咆哮する。空気の振動は並の風魔法よりも強くて、かなりの距離を取ったはずなのに、体を吹き飛ばされるのではというくらいで、私は体を張ってミーナを守る。
「メ、メリナ……お姉ちゃん……」
体以上に幼い精神の彼女はか細い声で呟く。
「大丈夫。ミーナ、これまで教えた通りに願い、転移するのです」
そう、これでお仕舞い。目論み通り。
ミーナと私はここから離脱する。
黒竜と同じ精霊であるリンシャルも出る事が叶わなかった、この空間に邪悪な竜を閉じ込める。
これが、転移して私を訪問する度に魔力を増大させていたメリナを観察して出した結論。哀れな彼女には悪いけど、これが最善!
邪悪な精霊であるなら、封印すると心に決めていた!
『逃がす訳がなかろう』
黒竜は長い尾を振る。床石を削り飛ばしながら向かってくるそれを、私は魔法障壁で防ぐ。
衝突の瞬間、障壁から漏れ出た魔力が鋭く光るが押し止めることに成功した。
「ミーナ、早くっ!」
「で、でも、怖いよ……」
くっ! やはり幼子では咄嗟の判断に無理があったか。
せめてミーナの命だけは確実に助けたいと思っていたのが裏に出た。
「大丈夫ですよ。私がちょいちょいと魔法を使って、メリナさんを助けます。ミーナには早く戻って、お茶でも用意して欲しいのです」
「う……うん。分かった……」
この間にも、黒竜の尾は左右から、または上から襲い掛かる。それは鞭の様にというよりは、その太さから丸太で強く打ち付けられているみたいだ。
障壁の軋み音がひどい。もう崩れる。
ミーナの気配が消えた。最悪は脱した。黒龍に人の世界へ行く手段は無くなった。
安堵と同時に私は魔法を詠唱。
「我は幽谷に棲まる、徒死すべし瑣尾なる踔然。謁するは、美しき肺肝を天倫とす犠牛。夷滅を弄び囀る四端の凶徳。央央と、また夭夭と、竦竦と。立極は――」
『遅い』
黒龍の言葉で、足元で光り回るアンチマジックの魔法陣に気付く。
詠唱句から私が発動しようとした、氦核粒子線魔法と判別されたか。一撃で仕留められればと期待したのに。
ならば。
私は無詠唱魔法を唱える。精霊は摂亀。対大蛇・ドラゴン特化攻撃魔法。
紅い雷光が迸り、黒竜を襲う。鱗を食い破り、体を突き抜けて、更に曲がり戻って背後からも貫く。何度も繰り返して、最後には何も残らなくなる筈。
『なかなかの手練れであるな、弱き者よ』
黒竜は体中から血を吹き出しつつも喋りかけてきた。余裕が癪に障る。
……傷が修復されていくのが見えた。
くっ、メリナの異常な回復魔法を与えていた精霊だけはある。
『次は無いのか?』
摂亀の魔法は消された。アンチマジックか。
『少々、中のメリナが騒ぐのでな。後で喰らおうかと思ったが、早々にヤツの魂を味わう時間が欲しい。もう終わりにしよう、弱き者よ』
黒竜の口が開く。恐らくはブレス。
浄火の間でメリナの思考を読んだ時に、見えたあの莫大な威力の火炎魔法。いえ、恐らくは火炎魔法に見えてしまう物質崩壊魔法。原子を構成する陽子も電子も中性子もバラバラにしてしまう程のエネルギーを与える術……。
黒竜は口を開けたまま、思念で私に続ける。
『お前も過去には思考を盗み読んでいたのであろう? ならば、我に勝てぬことは承知していたと思うがな』
そう。読んでいただけでない。操作もしていた。私は豊穣の間、浄火の間で霊体だった時、住人たちの思考を弄んでいたのだ。
『愚かなり』
私は拳を握る。視線は光る竜の口の奥。
私は負けた事はない。まだ手は有る。有るはずっ!
『無い。怯えろ』
光の玉が竜の口の前に出る。後はアレを私に向かって放つだけ。生殺与奪は黒竜に握られたまま。
私がこんな無謀な闘いに臨むのか? 疑問が残った。
二千年前にはフォビもカレンもいた。今回は前衛がいないにも関わらず用意していなかった。過信? この私が?
その時、膨れ上がる魔力を、黒竜の遥か上に感じた。
(我は願う、嬉戯に臥せる吼噦に。合わせて、夜光に寂々と煌めく蝲蛄の揮耀なる刃を祈りつつ。涵養の休錘を――)
私は頭に浮かんだ詠唱句にニヤリとする。そして、黒竜の切断された頭が床に墜ちる。
肉食獣のくせに長い首。ドラゴンの弱点を私は知っていた。
艶やかに甦る自分の指示。メリナが訪れる前から私は記憶操作を自分に掛けていた。
想定済み。ミーナには黒竜の遥か頭上に転移し、そこで教えた魔法を唱えるように言っておいた。
その上で自身にはミーナが元の世界に転移するように命じていたと記憶を操作。戻すトリガーはミーナの魔法の発動。
しかも、授けたリンシャルの魔法の他に、ミーナ自身の精霊も掛け合わせる合成魔法。アンチマジックや精霊の相性に由来する耐性にも対処した。
全ては精霊が人の意思を読み取れる事を知っていた私の意図通り。
敵を騙すなら味方からの応用、自分をも騙していた。ミーナの意思を読み取られていたら第二案へ移行だったけど、上手くいった。
「……メリナお姉ちゃん、大丈夫?」
転移で私の横に現れたミーナの顔を見ない。メリナはあなたが今、黒竜と共に殺したのだから。
「……戻りましょう。メリナさんも先にお戻りだと思いますよ」
「う……うーん」
現実を教えるのはもう少し大きくなってから――。
甘かった……。
黒竜は光に包まれ、復活する。
『グハハハ! 小賢しいが誉めて遣わす。弱き者なりの工夫だな』
「ミーナ!」
私は転移を指示するが叶わず。既に彼女は後方に吹き飛んでいた。
私の顔にも彼女の血が付く。回復魔法を唱えるが間に合ったか?
『さぁ、怯えろ。命を乞え、弱きも――』
最後まで竜の言葉は聞こえなかった。
何故なら、再度、竜の頭が墜ちたから。
ミーナ? 魔力感知で判断。
いえ、死んではいないけど、気絶したまま。
『な、何だっ!? 何をっ、弱き――』
また墜ちた。
二回目は私にも見えた。黒い壁の様な巨大な平たいものが処刑人の斧のように竜の首を切断した。
……メリナさん?
竜は復活する。しかし、即座に断頭。
誰も喋ることも動くことも出来ず、ただただ竜の頭が床に当たる音だけが響く。




