詠唱句の解析
「貴重なお話、ありがとうございました」
ひとまずお礼を言います。マイアさんの言葉は理解しきっていませんが、私は礼儀正しいですからね。ほぼ聞き流しで、何の役にも立ちそうにありません。
「喜んで頂いて私も嬉しいですよ。では、時間軸の多元性、及び、その空間軸との差異並びに同等性についても語りたいのですが、宜しいですか?」
宜しくないです。それについては、今晩眠る前に一人でぶつぶつ呟いていて下さい。シャマル君も寝付きが良くなると思います。
「竜化の魔法を教えてください。私の精霊さんと体を交換しようかと思っているのですが、違う手段も持っておきたいのです」
「ん? 交換ですか? そんな前例は知らないですよ。精霊が宿主を媒介して出現したのは見たことがありますが……」
まぁ、そんな素晴らしい事もあるのですね。でも、考えようによっては、獅子身中の虫みたいです。元の人はどうなるのでしょう。消え去ってしまうのでしょうか。
もしも、その様な精霊さんが身に付いていたら、恐怖ですね。恐ろし過ぎて、すぐに他人に譲ります。そうですね、師匠に渡しましょう。
「竜化の魔法ですが、魔法としては存在しています。しかし、詠唱句は各人に合わせた物としないとなりませんので、絶対に成功するとは限りませんよ。あと、ワットちゃんには私が教えたっていうのは秘密ですからね。メリナさんを手伝ったとなると、怒られそうです」
マイアさんは本当に凄いです。大魔法使い、ありきたりで陳腐な異名ですが、デュランの方々が信仰するのも分からないでもないです。本当に年配の方は違います。無駄に長生きしていません。尊敬しますよ。
「まずはメリナさんの精霊さんを確かめたいです。そこから竜化の詠唱句を考えていきましょう。その転移の腕輪で、リンシャルのいた楽欲の間へ向かって下さい」
「ミーナも行きたいよ」
ミーナちゃんも先程の難しい話の時は黙っていましたが、今は元気です。
先程の語りは睡眠魔法の一種かと思いましたよ、まったく。強烈な効果でした。
さて、楽欲の間か……。
マイアさんの申し出に私は少しだけ躊躇しています。何故なら、主であるリンシャルが消失した状況で、あの空間がまだ残っているのか不安だったからです。次代の聖女となってデュランの書物庫の書籍を読ませて頂いた時も、時間の流れが違うから便利というクリスラさんの提案がありましたが、怖くてそこへは転移しませんでした。
ただ、そうではあるけれども、マイアさんは何の憂慮もなく行けと仰ったのです。私は彼女を信じて、それに従いました。
私達三人は魔力に満ちた、でも何もない空間に転移しました。
「わぁ、メリナお姉ちゃん、本当に天才! どこにでも行けるの? いいなぁ」
「ミーナも聖女になれば可能ですよ。私が推薦しましょうか」
マイアさんが言えば、間違いなくデュランの聖女になれるでしょうね。っていうか、なれなくても、宗教的には聖女を越えた何かになりそうです。
「さて、メリナさん、魔法の詠唱をお願いします」
ぐっ。そうでしたね……。
正直に言うしかありませんね。
「私、実は詠唱魔法を独力で使えなくて、いつも精霊さんに協力をお願いしているのですが、それで宜しいですか?」
「宜しいですよ。それは珍しい術式みたいですね」
では、やりましょう。
魔力消費が大きくて、途中で体がへたるかもしれませんね。その場合は休憩を貰いましょう。
マイアさんがペンと紙を出して、メモの準備が完了しました。それを見ながら、私は過去に唱えた魔法を思い返します。
まずは、聖竜様を少しだけ傷付けた火炎魔法です。あの時と同じ文句に沿って、心の中でガランガドーさんにお願いします。
一瞬だけ間があったものの、私の体は独りでに動き出します。
『我が御霊は聖竜と共に有り、また、夢幻の片傍に侍るべき者なり。我は乞う、暗れ塞がる深淵に潜みし物憐れなる臥竜。故国も旧里も優河の彼岸に追いやりし、口惜しき輝きとともに果てたる紅雲。高磯撃つ自今と鉛金。旗鼓と柵原は幽玄なる辰星。削落の終世に木場も墜ち、威風荒れつつ于飛せん。紅き屑粒、冥き火雀。貫く其は限りも知らぬ、竜の嘶き』
全貌が確認できないくらいの魔法陣が出現し、そこから炎が勢いよく吹き上がりました。そして、ズバンッと天高く貫きます。聖竜様に向けた時よりも巨大な炎の柱です。
もしかしたら、コッテン村くらいなら全域を焼き付くすのではというサイズです。
体内の魔力が大きく失われた感覚がします。しかし、私はまだ立っていて、あの聖竜様に放った時よりも自分が成長していることを実感致しました。
これなら、続けて、もう1発行けそうです。私は炎が消えるのを待ちます。
次に王都の兵隊さん達を少しだけ足止めした氷結魔法。
『我は夢幻の片傍に侍るべき者にして、薄墨の応具に補閥せん者。我は乞う、飄然とした泰平の力点を。涼陰を越え、冷罵を乗し、凍星を墜とす。その遅明の果てには寥廓たる苛酷なる氷晶、否、至心の傍白は銀地を象り、全景と掩蓋の隠伏は煩瑣とす。其は晦冥に空劫さえ齎す雲鬢の妖姫の指顧であり、或いは換えて、死竜の嘆き』
床に氷が出来て、そこを起点に次々と氷が奥の方へ生み出されていきます。一瞬で絵本で読んだ凍った湖みたいな風景になりました。
あれ?
私の詠唱魔法ってこれだけかな。
うん、たぶん、二つだけです。他にも行けそうだけど、マイアさんが必要なら唱えましょう。適当にガランガドーさんにお願いすれば良いですね。
「うわぁ、凄い! メリナお姉ちゃん、凄いよ!」
ミーナちゃんがニコニコです。そこまで喜んでくれると、私もニコニコになっちゃいますよ。
「……ちょっと信じられないレベルです……。リンシャルとの戦闘でも手を隠していたと言うことですか……。全盛期の私やカレンでも勝てたかどうか……」
間を置いて、マイアさんの呟きが更に聞こえます。
「私の目に狂いはなかったって事か……」
首をぶんぶん振ってから、マイアさんは私に言います。
「『夢幻の片傍に侍るべき者』があなたの精霊の名前ですね」
「そうなんですか? 自称は『死を運ぶ者』でしたよ。でも、あれですね、プププ、申し訳ありませんが、恥ずかしさ爆発ですよね」
本当、ドラゴニックジョークは理解できないです。アシュリンさんの『鉄の拳』並のものですよ。
「……さっきの魔法の威力を見たら、笑えないのですけどね……。どんな意味かを考えましょう。まず夢幻とは?」
あっ、分かりますよ。
「冥界です。これも本人が言っていました。ちなみに本名はガランガドーさんで、黒い竜です。アデリーナ様の漆黒の心並みに黒かったです」
「…………あなたの中のアデリーナさんが可哀想ですね。ガランはリュマイック語系の古語で破滅です。ガドーも恐らくリュマイック語系亜流のグァドゥー、闇を現すものと思います」
つまり、破滅の闇か……。ダサっ。
もっと、こう、素晴らしい名前を付けましょうよ。清流の如くの調べとか。その方が私の精霊に相応しいです。名は体を表すって言うじゃないですか。
「つまり、メリナさんの精霊は、冥界の端っこに住んでいる破滅の闇で死竜って事ですね」
強烈! そして、辛辣ですよ、マイアさん!
改めて冷静にそんな分析をしたら、ガランガドーさんが赤面しながら泣いてしまいますよ。
ガランガドーさんは色々と病んだ感じです。自己愛が曲がった感じで強すぎるのではないでしょうか。友達がいなかったのかな。その意味でもガランガドーさんがとっても心配です。
「メリナお姉ちゃんの精霊さん、凄く長い名前」
えぇ、しかもカッコ悪いんですよ。
マイアさんは無視して、言葉を続けます。
「気になるのは『御霊は聖竜と共にあり』『薄墨の応具』『雲鬢の妖姫』です。これって、メリナさんの事?」
「ですねっ!」
私の魂は聖竜様とともに有りますものっ! 絶対にそうです! 御霊の部分は百億分の一くらいでガランガドーさんの事かもって思いましたが、残りの確率で私の事だと思っていました。私と聖竜様の運命ですから。
「一個ずつ考察していきましょう。薄墨はメリナさんの魔力の色かな。で、応具はお供えを受けるに相応しい者を意味します。メリナさん、何か心当たり有りますか?」
「分かりません。ただ、私ほど気高い人間だとそういった事も有るのですね」
「はぁ?」
はぁ? って、マイアさん、思っきり素で仰りました? いえ、私も言い過ぎでしたよ。でも、それでも傷付きます!
「こういったタイミングでの冗談は好きでは無いのですよ。真面目にやりましょう。私の考察を邪魔しないで下さい。とりあえず、実感無しですね。次に、雲鬢。これは髪の毛が美しい女性の事です。メリナさんの髪の毛、艶々で黒くて長いですものね」
「えぇ、最近は三日に一度くらい髪を洗えています」
「髪の先まで魔力が詰まっていて素晴らしい質です。妖姫……これは何でしょうか。妖艶を意味するのか、妖しの類なのか……」
何ですか、私をそんな化け物扱いするのは許しません。もちろん、妖艶さです。私、見ようによっては色っぽいかもしれませんし。
私は腰をグネグネしてアピールします。
それを見ていたミーナちゃんも腰をグネグネさせています。
マイアさんは額に人差し指を一本置いて佇んだまま、黙り込んでしまいました。視線は下向きで動きません。
何かを考えておられているようで、邪魔をしたら、また怒られますね。
だから、放っておきましょう。
私はミーナちゃんと魔法の氷の上を滑って遊ぶ。
うわぁ、ミーナちゃんは運動神経も良いのですね。バランスを取るのが上手ですし、氷の上でも高くジャンプしています。
私も負けませんよ。
しばらくして、マイアさんが両手でパンパンと合図をします。遠くまで氷の上を滑っていた私達に戻ってこいっていう事でしょう。やっと考えが纏まった様ですね。
「結論ですが、メリナさんは人間ではない可能性が高いです」
えぇ!!
じゃあ、竜ですか!? やったー!
竜化の魔法からズレまくりだから不安でしたよ!
「具現化した精霊……」
えー、聖竜様と同じ感じですか!?
やったー!
「かな? でも、うーん、人間の体には違いないんですよねぇ。内臓からすると、間違いなく人間なのよねぇ」
小首を傾けるなぁ! それから勝手に私の体の中を透視しないで!
断言しなさい。私は精霊で、聖竜様と同じなんです。




