新しい人類の叡知
メイドさんがいないので、次策として私はクリスラさんを探します。
しかし、彼女も魔力感知では引っ掛からずです。この塔にはいらっしゃらない感じですね。
部屋に戻って、そこの窓から中庭を見ます。誰か知った人がいないかなぁという目論見です。
その人に暗部の事務室みたいな所に連れて行って貰い、メイドさんにお願いしないとならないのです。
私はデュランで、とても美味しいドラゴンのステーキを頂きました。思い出しただけでも涎が溢れます。
その肉はとても良かったのですが、私の目的はそれでは有りません。
ドラゴンを生け捕りにして欲しいのです。
そして、その体と私の体を交換する術がないか研究したいのです。
あっ! あの人、知ってる!
私は、服は豪華だけど顔は冴えないおっさんが庭に佇んでいるのを発見しました。
アントニーナの股間を確認したおっさんです!
その節はすみませんでした。私、まだ直接謝っていませんでした。『ボーボーだぞ』はサイコーで御座いましたから、そこも誉めないといけませんね。
私は転移する。
「お久しぶりです! ボーボーの人!」
背後からの声掛けは、ボーボーの人をひどく驚かせてしまったらしく、彼は腰が砕けたように座り込んでしまいました。
それから、ゆっくりと首を回して、私を確認します。
「こ、これは次代の聖女様……何用でしょうか? …………遂に私の命を奪いに来たのですか?」
そんな訳ないじゃないですか。
まぁ、目の下に隈まで作って、疲れた様子ですね。
「聖女決定戦での件、感謝しております。……はっきり言えないのが申し訳ありませんが、素晴らしいご活躍でしたよ。特に、あの名言は私の心を震わせました」
「……そ、そうですか」
「クリスラさんから褒美は頂きましたか?」
「はい……。望んだ出世と荘園を頂きました……。身には過分な程……。まさか、こんな事になるとは……」
交渉の時には相手が到底飲めない条件をまず提示するテクニックが有りますが、きっと、それを実行して、思いがけずにそのまま要求が通ってしまったんでしょうね。
「良かったですね。他意はないと思いますよ。ご安心ください」
「他意が有るのですか!?」
いや、無いって言ったんですけど。
あぁ、ひどい疑心暗鬼に陥っているご様子ですね。
「何を恐れているのです? 我々は……うふふ……共犯みたいなものかな?」
最後は周りに聞こえないように囁いて言いました。ボーボーの人は真顔のままで私を見詰めてきます。正直、気持ち悪くなってきました。
さっさっと用件を終えて、去りましょうかね。
「暗部はどこですか? ちょっと用事が有るんです」
「!? 暗部……。限られた人間しかコンタクト出来ないと言う、デュランの暗殺部隊……。そんな物の実態を知るはずがない私に、尋ねるなんて……。これは完全に脅し……。思い返せば、家内が昨日、何もない所で転んでいた……。あれも、奴等の仕業か……。くぅ、何て様だ……。この私が、私が……」
とても呟いています。
しまったなぁ。人選を間違えました。完全にお疲れモードの方ですよ。
しかし、彼がこうなった一因として、僅かにですが、私にも責任があるかもしれないと思います。
「リンシャルを恐れているのですか?」
「リン、リンシャル様を呼び捨てに! あぁ、もう耐えきれない!」
ボーボーの人は、疲れた人がよくなってしまう何重にもなった瞼を大きく開いて叫びます。
「無惨に殺されるくらいなら死んでやる! くそ! なんで、私はアントニーナのあんな物を見てしまったんだ! あれが私を狂わせたんだ。私の罪は一体何なんだ!?」
……ちょっと面白いかも。
セリフでなくて、唇の端に泡を作りながら、必死な姿が。あんな物ですものね、とんでもないですよね。あぁ、でも、私も少しだけあなたが哀れにも感じますよ。
しかし、騒がないで下さい。疑われます。
私の願いが叶ったのかもしれない。彼は急に静かになりました。
「……助けてぐだしゃ……い……。うぐ、ぐっ……」
泣き始めました。
完全に病んでおられます。喜怒哀楽が激し過ぎます。喜と楽が抜けていますが。
私はなるべく柔らかに、微笑みを作るように話し掛けます。
「マイアさんとリンシャル、あなたはどちらを強く信じますか?」
この人はリンシャルによる死を怖れているのでしょう。しかし、リンシャルはもう居なくなったと言っても信じない。
「勿論、マイア様です……」
宜しい。では、行きましょうか。
私は彼を連れて、マイアさんの部屋に転移する。風景が一変します。
「また来たんだな。今度はおっさん? 流石に僕でもおっさんには悪戯できないんだな」
師匠、いきなり放言ですね。私もそんな悍ましい光景は見たく御座いません。
「ゴ、ゴブリン……。私はこいつに食べられるのですか? はっ! 妻を襲わすのですね! 何たる非道……。ひ、ひ、非道。ヒッヒッヒッ」
ボーボーの人もキテます。もう心が潰れそうです。一緒にいる私も、何もしてないはずなのに心に罪悪感を抱いてしまいます。急ぎましょう!
「師匠、すみません。遊んでいる暇は無いのです。マイアさんは奥の部屋ですか?」
「そうなんだな。君が前に連れてきた女の子と一緒にいるんだな」
ミーナちゃんですね。蟹の腕を手にし、高い魔力も持つ将来要望な逸材です。
「ありがとうございます。シャマル君とノエミさんは?」
「外に行ったんだな。剣の練習をしてるんだな」
……あの平凡なお母さんであるノエミさんがですか? いえ、シャマル君の遊びに付き添っているだけでしょう。
私は、もはやブツブツ呟くだけの物体になったボーボーの人を引っ張って、マイアさんを鉄扉の向こうに訪ねます。
「あっ、お姉ちゃん! 見て、ミーナの腕!」
まぁ、お元気そうです。腕もちゃんと人間のものですね。
私がスマイルで応えようとした瞬間、ミーナちゃんの両腕が白く輝き、でっかい蟹の手に変わったのです。とっても強そうです! 地面に着くのではないのかというくらいに巨大ですよ!
「ビックリした? でも、えへへ、えい!」
もう一度光ると人間の腕に戻りました。
スゲー! どういった理屈なのでしょうか。これなら、全ての獣人が救われます。聖竜様の願いをバンバン叶えて、私への信頼がぐんと今以上に急上昇して、結婚となりますね。それって、とても興奮しますっ!
体が熱くなる程にその光景を見詰めていた私を冷ましたのは背後から聞こえるボーボーの人の声でした。
「ヨゼフ君はもう帰りたいんだー。お母さんはどこかなー」
誰だよ、ヨゼフ君! ダメー、ボーボーの人、戻ってきてー!
現実逃避、幼児退行、その辺りの何かがボーボーの人を襲っています! 一刻を争います! これは師匠の笑えないゴブリンジョークのせいだと思います。
「メリナさん、そちらの男性はどなたですか?」
あぁ、マイアさん! そこにおられましたか!? よくぞ訊いてくれました! 哀れな男をお救い頂きたく存じますのです。
「ほ、ほら、ボーボーの人、あなたが信仰するマイア様ですよ!」
「えー、マイア様? うっそだー」
お前、おっさんが子供言葉を使ってもイラつくだけなんですよ!
「殺すぞ、ゴラッ! ちゃんと見ろ! 死にたいか!?」
私、少しだけ汚い罵りをしてしまいました。それだけに効果有りです。
彼は意識を戻します。体がガタガタ震えているのはご愛敬。ふぅ、元通りです。
「マイア様は復活なさってます。これも聖女クリスラ様など一部の人間しか知らない事実です。あなただからこそ教えたのです。だから、秘密ですよ」
「し、信じられない……。よ、よ、ヨゼフ君は――」
だから、ヨゼフ、誰だよ!?
「メリナさん、私から説明しましょう。ヨゼフ、あなたの名前ですね。私はマイア。今から二千年前に大魔王と戦い、封じた者の一人」
言いながら、マイアさんは無詠唱で何らかの魔法をボーボーの人に掛けました。精神魔法の一種でしょう。ボーボーの人の顔に現れていた緊張が取れ、目付きも常人のそれになります。
「物質的な証拠も必要ですね。これを」
彼女は懐から何やら出してきました。それをボーボーの人に渡します。
「二千年前に私が用いていた家の鍵です。もう存在していないと思いますが、その地下室に集めた宝物が御座います。今、私の記憶をあなたに託しました。場所は分かりますか? 地形が変わっていなければ良いのですが」
ボーボーの人はこくんと頷きます。
そして、言います。
「今、私の頭に溢れる知識はマイア様の叡智の一端でしょうか……?」
「全てではないです。ヨゼフ、あなたの容量をオーバーしますからね」
マイアさん、記憶転写みたいな物も使ったんですね。いえ、 もしかしたら、禁忌とされる記憶操作かもしれません。どちらも高度なもので、伝説上でしか出てこない魔法です。さすが、伝説の魔法使いですね。
「……な、何と畏れ多い……。浅薄な私を何故選ばれたのか……。あぁ、幸せです……。ですが、この知識を引き継いでいく重圧に耐えきれるのでしょうか……」
「全てを後世に残す必要はありません。酷な言い様かもしれませんが、ご自身で考え、お好きになさってください。私は、先程までのあなたを助けたかっただけで御座います。リンシャルちゃんも、新たな人類の叡知となったあなたを襲わないでしょう」
ボーボーの人、静かに泣きながら立ち尽くします。おっさんの涙は、特に感動しないです。早く終わって欲しいです。
「おじちゃん、これ」
ミーナちゃんが自分のタオルかな、そんな布切れを渡します。素直に受け取り、顔を拭くボーボーの人。鼻水なんかも付着したと思いますが、一向に構わないミーナちゃん。
「……ありがとう、お嬢ちゃん。もう大丈夫。ありがとう」
んー、何でしょうか。
私、小さな子供に人間性で敗北した気がします。次代の聖女である私がです……。




