相変わらず冗談が
私が戦闘をした部屋の外、倉庫の敷地の大部分を占める空間には小麦粉がたくさん積んでありました。私が期待していた以上の量で、袋に入った物が山盛りです。
それらが何がしかの法則で、綺麗に整理されて保管されています。倉庫なのですから、当たり前ですよね。
ビーチャが捕らえられていた場所は会議室みたいな部屋だったのかもしれません。他に事務所だとか、兵隊さんの休憩スペースみたいな部屋も御座いました。
パンはちゃんと見付けましたよ。会議室っぽい部屋の前室に置いてありました。ビーチャの汚い財布まで小棚に入っていました。
のんびり出来ているのは魔力感知で兵隊さんが全員倒れているのが分かっているからです。私が回復させた人も転んだ状態のまま、すぐに顎を蹴り上げて意識を奪っています。
だから、安心です。
彼の服がビリビリ破れていたので、逆さにしたテーブルを乗せて上げています。お腹を冷やすこともありませんし、アレも見えませんので、こちらも安心ですね。
さて、小麦粉は全回収しました。
倉庫は空っぽです。いえ、入り口付近に、巫女長がどうにか為さった、何人もの兵隊さんが倒れていますね。
うーん、巫女長の収納魔法は素晴らしいです。あんなにあった小麦粉の山がもう消え去っています。100個どころじゃないですよ、たぶん1000個、2000個って量でした。
それを飄々と片手に吸い込んで行ったのです。これで、工房の方も小麦粉不足を訴えることは無いでしょう。
「さぁ、帰りましょうか、巫女長様」
「えぇ、メリナさん。」
私は返事をしないビーチャを見ます。
さっきから体をガタガタさせて、碌に働きもしません。そこで倒れている裸の男に対応するのはあなたの役目だったのですよ!
「どうしました? 工房に戻りますよ」
「ひゃ、ひゃ、ひゃぃ。おりぇ――」
シャンとしなさい!
私は力を込めて足で床を大きく踏み込む。
ドスン! と音ともに埃が円を描くように舞います。
その威嚇で、少しだけビーチャは正気を戻しました。
「お、俺、見てないです! 見てないんです!」
……ビーチャは嘘が下手です。
「何を見たのですか?」
「…………」
汗が吹き出すビーチャ。
「言え」
私は心を込めて頼みます。
「ド、ドラゴンの頭…………ボスが変わったんです……」
ん?
あれか、戦闘の最後の方ですが、ガランガドーさんとお喋りした様な気がしますね。あの竜さんがお手伝いしてくれたのかな。
「詳しく言いなさい」
私、ドキドキしています。もしかしたら、夢が叶うのかもしれません。
ガランガドーさんの体を奪え、いえ、頂けるかもしれません! 本当は白い竜になりたいのですが、とりあえずは竜になって、聖竜様と既成事実を作って、それから白くなれば良いかな。
しまったなぁ。
今となって思えばですが、ガランガドーさんっぽい声が『これは俺の体だ』って言っていたのですから、『そうですね。じゃあ、あなたの体は私の物ですよね』って返せば良かったじゃない!
くぅ、メリナ、かなりの失態ですよ!!
シャールのお城の塔を破壊した時くらいの失敗です! ……なら、大したことないから、もっと重大なミスですっ!
「あ、いえ、そ、それだけです……」
くそぅ、ビーチャじゃダメか。
「ねぇ、メリナさん。やっぱり竜の気配がしたのは正しかったのね。でも、小麦粉が先よね。その後に二人で考えましょう。私、楽しみだわ」
そうですね! 流石、巫女長さまです。
「はい!」
倉庫の前には人だかりが出来ている気配がありました。多数の怪我人が出ているから当然です。野次馬が集まっているのです。
このまま出て行くと、また私が狂犬だと、今度は王都で噂される可能性があります。やったのは、巫女長さまです。誤解され損です。
なので、私は倉庫の壁を殴って大穴を開け、そこから脱出しました。
薄暗い所から日光の下に出たものですから、目が馴れるまでに時間が必要です。その間に、私は頭の上で両手を組んで、うーんと背伸びをします。久々の運動は気持ち良かったです。
「メ――ボス! 早く逃げましょう! は、速く!」
兵隊さんの前でも同様でしたが、私の事を名前で呼ばないビーチャが進言しました。
はい。その通りですね。ここには、もう用が有りません。
しかし、やはり気になりますね。
「どうして私の名前を呼ばないのですか?」
「……あ、あいつら軍人でしたよ……。後で仕返しが来るかもしれません。誰が聞いてるか分からないので、俺は用心をしてるんです」
……おぉ、そうですか。しかし、私、ビーチャの名前を連呼してしまいました。早く言って頂ければ対処できましたのに。
しかも、巫女長さまは私を名前で呼びまくりだから、意味の無い配慮ですよ。
「俺は良いんです。ボスが来る前に、自分の名前を正直に言いましたんで。……まさか、こんな突撃をするなんて思ってなくて……」
私もまさかです。あのビーチャが涙を流したのです。
「大丈夫ですよ。店長さんが小麦粉をくれるって言ったんですから。怒られませんって」
「ほ、本当ですか……? 三級市民の俺なんて、裁判も無しで剣でグサッじゃないですか?」
「大丈夫ですって。もしも、ビーチャが怒られたら、私が怒鳴り返しますよ。本気ですよ」
これで、やっとビーチャは落ち着きました。服の袖で顔を拭きます。
「メリナさんはお友だち思いですね。良いことですよ」
「はい! ビーチャが心配しないように店長にもお礼を言っておきましょう」
倉庫の前の人混みを避けつつ、私はパン屋に向かう。
その途中で、パットさんと店長さんが並んで、こちらに歩いてくるのが見えました。
「あっ、丁度良かったです。店長さん、小麦粉をありがとうございました。好きなだけ頂きましたよ」
ペコリと私は頭を下げる。
「あ? あっ、そうかい。それは良かったね」
店長は素っ気ないです。でも、口調が優しくなっています。チラッと煙突の付いたパン屋の建物を見たのは何だったのでしょうか。
「あっ、パットさん。忘れていました。あのパンをお渡ししないといけませんね」
私はパットさんがデュランの公館用に買ったパンがある事を思い出しました。肉包みパンに埋もれて忘れていました。
「それはメリナ様と皆様でお食べください。私どもの方は明日から、お店に届けて貰いますので結構ですよ」
おぉ、店長、良いお得意様を手に入れられたのですね! 店がより大きくなりそうで、私も嬉しいです。
「……パトリック様、こちらの獣じ、いえ、娘さんとお知り合いですか?」
「勿論! 大事なお方ですから、くれぐれもお願いしますよ! 絶対にお願いしますからね。我らの聖女様からのお達しなのです」
店長さん、目を大きく広げて驚いておられます。私に横柄な態度を取られていた事を思い出したのですね。
でも、勘違いは誰にでも有ります。そもそもアデリーナ様、あっ、様も勿体無いな、アデリーナの手紙が悪いのです。
なので、許しますよ。
「あっ! フローレンスさんじゃないですか!? えぇ! 何でこんな所で! あっ、メリナ様を引き留めにですか! ダメですよ。メリナ様はデュランの宝なんですから。もう竜神殿は辞められるって、ご本人が決められてるんですよ」
パットさんが叫びます。
そうだ。巫女長とパットさんは冒険者仲間だった時代があったのですね。馬車の中で同じパーティだったガインさんから聞いた事があります。
あと、聖竜様の神殿を辞めるなんて言った事は無いですね。
「まあ、嫌ねぇ、パット君は。私にはそんな厚かましい事なんて出来ないわよ。ねぇ。私はね、あそこに見える、パン屋さんの倉庫から小麦粉を頂戴するのを手伝っただけですよ」
巫女長は先程の倉庫を指差します。うん、本当に立派な倉庫です。
「え……?」
奇妙な声を上げたのは店長でした。もしかしたら、お忘れなのかもしれませんね。
「店長から『力付くで良いなら持っていけ』と優しいお言葉を頂きましたので、あそこから根刮ぎ、小麦粉を貰いました」
「え?」
今度はパットさんでした。そのまま言葉を続けられます。
「フローレンスさん、相変わらず冗談がきついですよ。あそこって、軍管理の倉庫じゃなかったですか? 徴税した小麦粉の内で最上級の品を一旦あそこに置いて、更に検品するんですよ」
「あらあら、そうなんですか?」
巫女長さまは微笑みながら返しました。
ビーチャの膝も笑い始めます。
「え、フローレンスさん、本当の話なのですか……。えっ、ええ? 店長、本当なんですか?」
「いえいえ! 私が申したのは、こちらの倉庫でして……」
店長さんが指で示したのは私達が工房と思った建物でした。いえ、パン工房で合っているのですが、実は倉庫が別室にあったそうなのです。
もう、店長ったら、おっちょこちょいなんだからぁ。ひょっとしたら、人生、棒に振りますよ?
……重犯罪ですよね……。
私、店名言ったかな。いや、でも天才パン職人とか名乗っちゃったしな。あっ、ビーチャなんか身バレしてるんじゃないのかな。
ヤッベーな。「次代の聖女で、天才パン職人、そして聖竜様の御遣いであるメリナ、逮捕される」って、皆に噂されますよ。
私は頭をフル回転させます。そして、解答を得ました。
「もう、嫌だなぁ。冗談ですよ。ほら、私達、小麦粉なんか持ってないでしょ?」
その言葉にパットさんと店長さんの顔が多少緩む。それを見ながら、私は巫女長とビーチャの手を握りました。
「でもぉ、もしかしたら、何故か、ご迷惑が店長さんに行ったりするかもしれません。不思議ですよね。でぇ、その時は――次代の聖女のピンチなんでパットさんが全力でお助けをお願い! さようなら!」
転移しました。油断させてからの逃亡成功です。




