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パン屋の前

 突然の奇行の理由を私はビーチャに聞きました。彼は転げたまま、汚れた服を払いもせずに答えます。


「あそこの門の先からが貴族街です。庶民は入れません」


 ふむ。確かに王都に来た時もそうでしたね。あの時は、意外に偉いパットさんが何とかしてくれたのです。

 しかし、今、彼はいません。


「俺が門番に突っ込みます! 揉めている間にメリナ様なら忍び込めますよね?」


 ふぅむ。

 私が本気を出せば、貴族街と庶民の街との間にある石壁を拳で破壊することで、問題なく入れる気がします。

 いえ、あれくらいなら壁をよじ登る事も可能です。ビーチャの犠牲は必要ないでしょう。


 色々と考えた結果、私はデュランの聖女決定戦で見せた様に、空中に転移しての突破を選びました。楽だからです。


 座った状態のビーチャの襟首を掴み、まずは(そび)える壁の遥か上空に転移し、情けない声を上げるビーチャを無視して、着地場所を探します。出来るだけ人目に着かない所を。

 転移先に障害物があってもトラブルというか、命の危機になるかもしれないからです。


 瞬時に路地裏を選び、再転移。

 これを必殺三角跳びと名付けましょう。誰も殺していませんが。


 本当はへルマンの焼き立てパン屋本店近くに移動するのが理想なのですが、転移しても落下速度は維持されますからね。探しているうちに手間取って、スピードが出ては困ります。ビーチャが両足骨折しないようにという配慮なのです。

 私はなんて優しいのでしょうか。正しく、聖女です。


 ……最近、思い始めたのです。聖女って、何だか淑女みたいで素敵な職業だと。いえ、聖竜様の巫女を否定する訳ではないのですよ、勿論。


 でも、巫女って言うと、どうも響きが微妙なんじゃないかな。辛い修行とか謎の荒行とかやってるイメージもあって、私には合わないかもと思っちゃったり。



「メリナ様……今のは……?」


「ただの転移魔法です。さあ、貴族街ですよ。本店に案内しなさい」


「……凄いっす。凄いっすよ、メリナ様! ほら、あの鳥みたいに高く俺は飛んだんですね!?」


 ビーチャが指差す先には確かに黒い点みたいな物が浮いていました。鷹みたいな鳥でしょうが、そんな事はどうでも良いのです。


 おい、早くしなさい。ささっと小麦粉を入手して、戻ったらデュランに今日の分のパンを売りに行かないといけないのです。



「メリナ様、本店に行ったことが無いので場所が分かりません!」


 お前、キリッとした顔でよくも言えましたね。工房で誘った時に言いなさい。しかし、私は許します。

 無能な部下でも使いようです。ここで断罪しては、いずれデニスやフェリクスも切り捨てる事になるのです。

 どうでしょう、私はそこまで非情になれるのか。いえ、フェリクスの生まれてくる子の事を思うと、ここは温かい慈悲しか取りようがないのです。

 いつかビーチャにも適した仕事が見付かるでしょう。それまで我慢です。


 ……んー、何か今の思考は、アデリーナ様みたいに上から目線って感じで嫌だなぁ。

 私っぽく有りませんでしたね。反省しましょう。謙虚にです。

 ビーチャも数日前までの粗暴な男では無いのです。ならば、私もそれなりに対応すべきでしょう。それがレディーです。



 それに、ここまで来れば簡単ですからね。

 私は街行く人にパン屋の位置を聞きました。ほら、すぐに分かりましたよ。


「流石です! メリナ様! 貴族様であっても物怖じせずに声を掛けられるとは!」


 五月蠅い、黙りなさい。ペーター君くらいの子供に訊いただけでしょう。



 とても品の良い子供に教わった道を辿ると、王都に最初にやって来た時に馬車から見た通りに出ました。


「ビーチャ、もうすぐで着きます。オレンジの屋根の家が連なった所だった筈です」


「メリナ様……俺、こんな格好で入って良いんですか……」


 ん? 普通の麻の服でしょう?

 何も気にすることはないと思います。こいつ、図体の割にビビりですね。


「全然大丈夫ですよ。私が若い頃など高級服飾店に巨人女を連れて、肩車で走り回ったものです。そこまでしても入店禁止になりません」


 たった三ヶ月ほど前のことですけどね。あと、アシュリンさんは背が高いけど巨人って程ではありません。大袈裟に言ってみました。見栄です。


「凄い! 俺もメリナ様を肩車して突っ込みます!」


 いきなり、後ろから私の股に頭を突っ込んで持ち上げられました。


 ちょ、ちょっと。恥ずかしいから止めなさい。

 私は耳の横から拳を頭に突き刺そうとした所で、動きを止めます。流石に、それは即死するのではと。

 ならば、手が地に着くほどに大きく体を後ろに反らし、そのままの勢いで足による首投げか。大道芸みたいな技ですが、頭から落とさなければ死ぬことも無いでしょう。



「メリナ様、俺、感謝してます! 毎日、楽しいです!」


 私は動作を止めます。


「……続けなさい」


「俺、毎日、仕事して家に帰るだけで、何のために生きてるか分かりませんでした。体を壊したらクビにされて路頭に迷うんだろうなとか不安もありました。でも、メリナ様が来て変わりました」


 何か感動的な事を言おうとしてるのは分かりますが、それを遮っての首投げなんて、やり難いじゃないですか。


「デニスやハンナも言ってましたよ。メリナ様のお陰で、仕事をやらされてるんじゃなくて、やっている気分になったって。俺、(かび)を生やしてしまいましたが、パンの研究が楽しいです! ありがとうございます!」


「えぇ、まぁ、頑張りなさい……ね」


 うーん、ちょっと照れますね。肩車されている私が注目を浴びている事もあって、ダブルで照れます。

 そっか、肩車されると、上の人の方に視線が行くんですね。針で刺されるような鋭いのが飛んできますよ。アシュリンさん、よくもこんな想いを耐えられましたね。



「ここです。下ろしなさい」


「中まで運びます」


()めなさい。それだけは()しなさい。武力行使に入りますよ」


 そこまで言って、ようやく、彼は私を下ろすために中腰となりました。

 ふぅ。まぁ、眺めが良かったから良しとしましょう。



「あれ、メリナ様?」


 私が足を付いた所で、背後から男の声がしました。


「あっ、やっぱりメリナ様ですね。お久しぶりです」


 これはパットさんの声っ!

 見られましたか!? 私が肩車されている所を! 何たる不覚!


「あれ……その人、恋人ですか?」


 ふざけんなよ! マジか!!

 そんな風に見て取れましたか!? 殺すぞっ!


「あ? お前、誰だよ? 俺達のメリナ様に用か?」


 これ、すぐに因縁を付けに行くんじゃありません。それよりも早く弁解しなさい。

 廻り廻って、私が浮気をしたなんて誤解を聖竜様がされた日には、堪ったものじゃないです。私、怒り狂う自信があります。


 大地という大地を破壊し尽くして、子供だろうが獣人だろうが、全ての生命を聖竜様に捧げて、この世には私と聖竜様の二人しかいないと安心して貰うしか無くなるのです。


 しかし、それは最終手段であり、避けられるのなら、他の手段を取りたい所です。



「ビーチャ、自己紹介! いつものヤツ! このくそおっさんに知らしめるのです!」


「はっ! 分かりました!」


 ビーチャはビシッと足を揃えます。両手は体の横です。


「私、ビーチャはクソ虫です! 踏まれ、殺されても相応の(やから)です!」


 よし、よく出来ました。


「……何をさせてるんですか、メリナ様……。いえ、すみません。恋人云々は冗談です。リンシャル様が許さない事はご存じでしょうから」


 リンシャルか。

 あの狐は気持ち悪いから、そんな事言いそうです。退治して正解でしたよ。

 あと、パットさん、全く面白く有りませんでしたよ。



「メリナ様、パンの修行の方は如何ですか?」


「順調です。小麦粉が足りなくなって本店に貰いに来ました」


 少しずつですが、理想の生地へと前進しているので順調なんですよ。


「パットさんは、何をしているのですか?」


「メリナ様がお元気か、覗きに来たんです。もう目的を達成してしまいましたね、アハハハ。序でにパンも買って帰りましょうかね」


 私達は扉を開けて、中に入りました。

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