本店へ行こう
今日もデュランで売るためのパン作りは午前中で終わりました。勿論、明日焼くための生地作りもです。ここ数日のルーチンです。
食事を取りながら、私は皆の成果を尋ねます。自然に順番が出来ておりまして、まずはデニスです。無駄に体がでかいおっさんです。
「メリナ様、捏ねて捏ねて、これでもかと捏ねているのですが、もう限界みたいです」
彼が差し出したパンを私は口に含む。
ふむぅ。彼が半日ずっと捏ねた生地で作ったパンは確かにもちっと感が出たように思うのですが、私の望むレベルには達しておりません。
「確かに、ですね……。では、次の手は?」
「…………」
デニスは顔に大玉の汗を掻き、椅子に座ったまま足を大きく揺すります。
必死にアイデアを出そうとしているのですね。私は嬉しいです。思わず、笑顔が溢れますよ。
「ひゃ、ひゃ、ひゃ――」
デニス、あなたも喜んでいるのですね。笑い泣きとか、今のタイミングではないと思いますけどね。
次に行きましょう。
「ビーチャ、あなたは?」
確か、こいつは熟成時間の検討をしていたのです。頭が悪いので余り期待していません。
しかし、天才と何とかは紙一重とも言います。見せてご覧なさい! あなたの才能をっ!
「はい!」
ふかふかに黴が表面に生えた生地を出して来やがりました。
……何度……何度教育すれば、こいつは真人間になるのでしょうか。先生、もう教えるのを放棄したいですよ。
「ビーチャ、いえ、ビーチャ君……? 死にたいのかな?」
「め、滅相も御座いません! これを焼いた物を用意しました。是非、ご覧ください!」
焼き終えた黴パンをテーブルに置きやがりました。黴は燃え尽きて、もう見えません。しかし、汚ねーです。
「俺の渾身のパンです! ご賞味下さい!」
エルバ部長風に表現したら、マジかよ、ですよ……。私が食べるのですか? お前でなく?
そんな純真な眼で見るでない……。
くそ。食べてやるか。
私は恐る恐る口にする。
!?
酸っぱい! 何だ、これ!?
いつもより酸っぱいですよ? 腐ってるのとは違って食べられる風味は感じます。そう神殿で食べたヨーグルトみたいな! パンで、この酸味は新しい!
「ど、どうですか?」
「残念ながらモチモチ感は御座いません。むしろ、減っています。味は何だろ、好きな人には合うかもしれませんね」
「うっしゃー!」
いや、残念って言っただろ……。
「次は俺か? 俺も残念ながら上手く行ってねーわ」
誰だっけ? えーと、オメデタの人ですよね。
「了解です。こういうのは試行錯誤が大切ですから、食べられる物を適当に入れ続けて下さい」
名前を呼ぶ必要がないように、適当に流しましょう。
「ハンナさんは?」
「んー、こんなのが取れたの……」
ハンナさんは淡黄色ものを出してきました。触るとブヨブヨします。
「何ですか?」
「ペーターが生地を水で洗ったのよ。そしたら、出て来ました」
…………生地から出てきたブヨブヨ。これは大きなヒントな気がします!
「ハンナさんとペーター君は、これを大量に作って下さい。そして、焼くのです!」
「もう焼きました……。ガチガチに堅くなってしまいました」
くっ! 違ったのか……。
「ならば、これを生地に混ぜましょう! デニス! あなたが全力でこれを混ぜ込むのですよ!」
「はい!」
足のガタガタを止めて、私に指示された彼が元気に返事をします。
「……俺も……まだだ……」
無口なモーリッツが出したパンは普通の見た目でした。この人は皮手袋を所望されまして、既に渡し済みです。
「湯を沸かす……竈と鍋……が欲しい……」
良いでしょう。私は即で了解です。
お金はデュランで涌き出る様に貰えますし、私、この寡黙な男が何かをしてくれるのではと期待していますからね。そんな雰囲気を漂わせています。
「ハンナさん、購入をお願いします。値段よりも納期を最優先でお願いします」
「さて、他には?」
「……小麦粉……」
? モーリッツよ、ちゃんとお喋りなさい。
「あぁ、そうだな。メリナさんよぉ、そろそろ小麦粉が切れるんだわ。どこかで仕入れ出来るか?」
なるほど。どこで買えば良いのでしょうかね。
「本店からの支給が途絶えてるんだ。くそ、クルスの野郎が変な戯言を言って辞めたからなんだ! 俺達は何も悪くねーんだぞ!」
クルスか……。結局、彼は工房に姿を現しませんでした。デニスが彼の家を訪問しましたが不在だったそうです。
「分かりました。では、私が本店に行きましょう。大丈夫です。私、こう見えても交渉だとか説得だとか得意ですから」
本当は自信が無いのですが、皆様の前でそんな姿は見せられません。虚仮嚇しでも、背筋はピンと伸ばすのです。
「あぁ、メリナさんはデニスやハンナの獣人嫌いを克服させたもんな。期待してるぜ」
オメデタ男が笑いながら言いました。
ふふふ、その気持ちに応えますよ。
「ビーチャ! 本店まで案内しなさい!」
「はい!」
彼は元気良く立ち上がります。テーブルに体が当たって飲み物が溢れましたが、そんなのは関係ないと言う顔です。少しウザったいですね。
ビーチャを連れて街を歩く中、私は通りの端に座って物を乞う獣人を見ました。皆、顔を下に向けてその表情は伺いしれません。
「メリナ様、困っている獣人には優しくですね!」
ビーチャは私の教育の甲斐もあって、彼らに自分の懐から金を与えていました。獣人はビーチャに礼を言うことはありません。ただ、下を向いて正座をしているだけです。
うーん、しかし、助ける必要はないですね。
彼らは諦めています。それは「困っている」とは違うと思うのです。もしかしたら、過去には獣人である運命に抗おうとしたかもしれません。しかし、それに負け従ったのです。
ニラさんの様に冒険者になっても良し、虐めに耐えつつ、シャプラさんの様に定職に就いても良しで、選択肢はいっぱい有ります。それをしないのは状況はどうあれ、怠慢です。
自分の意思で何とかしようという獣人を聖竜様は助けたいのだと私は思いますよ。
しかし、しかしです! 私、ビーチャの成長には感動致しました!
「褒美です。受け取っておきなさい」
私は金貨を二枚出す。
「うぉっ! 何たる幸せ! いつもの愛の鞭も、これでより嬉しくなりますっ!」
……愛の鞭?
何を言ってるのでしょうか。
「シャプラさんとも仲良く出来そうですね?」
「あ、あの世で? そっか……。覚悟を決めろと言われるのですね……。俺もメリナ様に始末された兎の獣人の様にお星様になるのか……」
お前、本当にバカだわ。シャプラさんを最近見ないからと言って、私がシャプラさんを殺すなど、短絡過ぎるにも程があります。
しかも、お前がお星様だぁ? 気持ち悪いです。そんな星、輝く前に木っ端微塵に破壊してやります。
「わ、分かりました。俺、門番に突撃します!」
いきなり走り出したビーチャを足払いで止める。意味が分からな過ぎて少し遅れましたが、両脛を完全に折ったので動けないでしょう。
「ぐ、ぐああぁ!!!」
苦悶する彼に痛みを味わって貰い、それから回復魔法です。頭を冷やして貰わないといけないからです。
周りに人はたくさんおられますが、「奇抜な男がいるな」と避けるくらいの騒ぎで済んでおります。




