表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
317/421

パン屋の朝は早く、二度寝は気持ちいい

 パン屋の朝は早い。

 私は大きな水甕を肩に乗せて運びます。両肩に一個ずつで、両手を大きく広げて支えています。

 これは、中々に胸の筋肉に来ますね。鍛えられている感が有ります。

 水は昨日と同じく満タンにしています。それを一滴も落とさないように慎重に工房に運ぶのです。



 なお、今はお昼です。また雰囲気だけ作ってみました。

 神殿で朝御飯を取って、着替えてをしていたら遅れてしまったのです。久々のフカフカベッドでしたので、二度寝も堪能しました。そうそうランチは王都で取れるように金貨も二枚、胸ポケットに入れています。



 明るい時間ですので、大きな酒樽程の太さがある水甕を二つも運ぶ私は目立っています。だから、それを見て歓声を上げる街の方々もいらっしゃいました。人の驚嘆の声は、うん、気持ち良いです。それに今日はいつも以上にヤル気に満ちています。



 神殿で朝食を食べた後、王都へ転移する前に、聖竜様のお言葉を頂いたのです。一ヶ月以上ぶりですね。


 聖竜様のお声は、やはり私に活力と幸せをもたらします。それに今日は何と言っても特別な内容でしたから、キャッ。




『メリナ……メリナ…………メリナちゃん? うん、今日もいないね。良しっと』


「おはようございます、聖竜様!」


『うわっ! …………メリナよ、息災であったか。久しぶりであるな』


「はい! 元気です! 私もワ、ワ、ワットちゃんって呼んで良いですか!?」


『……考えておくね。ゴホン、そ、それでは良き一日を送るが良い、メリナよ』



 すっごい進展です。お互いに「ちゃん」付けでの会話ですよ。有り得ないです!

 新婚生活の予行演習みたいでしたよね!


 聖竜様もシャイなんだから。私がいないと思って油断していたなぁ、もう、私、たぶん、絶対に愛されてる!



 あっ、思い出し興奮してしまい、水が溢れてしまいました。

 でも、まぁ、別にどうでも良いですね。



 工房に着きます。甕を地面に静かに置いて、裏口の扉を開けますと、そこは水浸しでした。

 先に運んでおいた水甕が倒れていたのです。そして、昨日の要注意人物の女性が立っていました。この人は私が善意で水を足してあげているのに小麦粉を入れるという無能っぷりを曝け出した愚か者です。

 無視した方が良いと私の勘が言っています。



「ちょっと! 床がビチャビチャじゃないの! しっかり仕事しなさいよ!」


 はぁ。

 しかし、これはおかしいです。前回は一滴も溢さずに私は運んできたのですよ。明らかに怪奇現象です。

 魔物の仕業でしょうか?


「はん! 無視するのね! シャプラはどこに行ったの!」


 あら、気にされましたか。獣人とは言え、やはり仲間ですからね。地に堕ちていた、あなたの評価を少しだけ上げておきましょう。


「分かるわよ。あんな量のパン屑じゃ、二人分もないものね! あなた、シャプラを追い出したのでしょ!」


 うわぁ、心が貧しく腐敗しちゃってますね。言葉は自らの心を写す鏡みたいなものですよ。今の発言の裏には、自分がその立場になったら、そういう事をする可能性があると明らかにされているのです。


 私が黙り続けていたら、女の人は更に興奮しました。でも、喋っても興奮したでしょうから、結果は一緒ですね。


「土下座しなさい! 私をイライラさせた罰よ!」


 ふぅ。

 私はあからさまに溜め息を付きました。やれやれという気持ちですよ。

 可愛い後輩をイビって試しているのでしょう? アシュリンさんで経験済みです。


 愚者が好む儀式みたいなものです。仕方ありません。


 私は素直に塗れた床に膝を付き、頭を垂れます。


「ふん、まだムカつくわ。反省していないでしょ?」


 ペチッと、私の首に液体が掛かりました。

 唾です。汚いです。気持ち悪いです。変な病気を貰ってしまいそうです。

 あと、反省も何も私は悪いことをしていませんよね?


「クルスさんに言って、鞭で背中を打って貰うからね! 怯えて待っておきなさいよ!」


 …………クルスか。

 そいつがシャプラさんの背中を傷付けたのですね。うふふ、楽しみですよ、お会いするのが。

 あと、この唾の仕返しは必ず返しますからね、今っ!



 前に並べていた両手を体の横まで引き戻し、バネの如くに床を突いて自分の体を浮き上がらせる。そこから更に、相手に背中を見せる方向へ、手と肩に力を込めて、持ち上げた体を回転させます。足を伸ばして倒立、背筋を全力で使って勢い良く高い所から踵を振り落とす。


 相手は素人です。

 打撃が当たった途端に、ガフッて面白い声が喉の奥から出ました。うふ、弱っちいのに私に楯突くなで御座います。

 

 私の攻撃を両肩に受けて、膝から崩れ落ち始めたのが背中越しに分かります。鎖骨を両方とも粉砕してやりましたよ。良い当たりでしたもの。

 それ程の衝撃で膝の関節も持たなかったのでしょう。最後は鈍い音と共に、濡れた床に額をぶつけて俯せに倒れました。



 回転運動から体勢を瞬時に整えて、追撃を仕掛けようとしたところで、微塵も動かない女の人に私は違和感を持ちます。

 そして、焦ります。


 ……死んだ? アシュリンさんならムクッと立ち上がって「ハハハ、やるな、メリナっ! 死ねぃ!」って逆に襲ってくるパターンなんですけど……。



「おーい、ハンナ。凄い音が聞こえたけど、余り虐めるなよ。それよりも生地を作れ、生地を」


 扉の向こうまで、女の人が倒れた音は響いてしまったようです。


 いやはや、マズいですよ、これ。

 工房の他の人達にバレたら、流石にここを追い出されます。アデリーナ様みたいに殺人者をそのまま傍に置こうなんて稀有な方は多くないと思います。私だって近寄りたくないですもの。


 一先ずは回復魔法を唱えます。ふぅ、まだ死んでなかったですよね? きっと大丈夫ですよね、私のパン職人ライフ……。


 私の願いに反して、女は動きません。私の足形に陥没していた肩は治ったのに呼吸していない?


 第二案、どこか遠くの森に転移して証拠隠滅、そんな人はいませんでした作戦を発動させましょうか。


 いえ、肩が魔法で治ったのです。こいつは死体じゃない! ほぼ死んでいましたが、この私は騙されませんよ!

 私は彼女の首に手をやり、血管の脈動を確認。生きてた! やっぱり生きていました!

 

 遅れて息も戻ります。

 危なかった……。ヒヤヒヤさせやがって、ですよ。


 さて、どうしましょうか?

 半殺しどころか、ほぼ殺しにしてしまったのです。その状況を意識を回復させた彼女が覚えていたら、どう言いくるめたら良いのか……。


 第三案。止めを刺し、更にこの工房にいる全員をぶち殺して大事件からの、私は唯一の生き残りなので悲劇のヒロインです大作戦しかありませんか……。

 

 いやぁ、しかし、岩のひび割れがどんどん広がる様に、触れば触るほど、事態は悪化して行きますね。唯一の生存者である私を怪しいと思った警吏が出現したら、その方も始末しないといけませんし、色々と忙しくなってしまいます。



「おーい、ハンナ。何してんだよ?」


 ヤバイ。近付いて来ます!

 扉の向こうだけど、私の魔力感知が教えてくれました。そいつもクソ弱い魔力ですから、入った瞬間に叩きのめすか……。



 扉は無情にも開かれました。


「おい――」


「大丈夫ですかー!」


 入ってくるタイミングに合わせて、私は倒れている女に声を掛けながら、彼女の体を手で揺する。

 

「ハ、ハンナっ! どうしたんだ!?」


「分かりません! 突然、倒られまし――」


「汚い手で触るな、獣人! どけ!」


 私は素直に払い除けられました。なかなか演技が難しいです。ゴロゴロと床を転がり、壁のところまで移動します。服がビチャビチャになりました。



「ありがとう。大丈夫。急に意識を無くしたみたい」


「無理するなよ。お前ん家が貧乏なのは知っているが、体を壊したら意味ないからな。お前のガキも悲しむぞ」


「分かってる!」


 私への対応とは全く逆に、男の人は優しい言葉を掛けられます。それから、パン作りの部屋へと男の人を先頭に戻ろうとするのです。


 うふふ、帰らせませんよ。

 しかし、女の人、実は子供がいるのですね。なのに、私への厳しい当たりは何なのでしょう。普通は母性に目覚めて優しくなると思うんです。生活にゆとりが無いからですか。



「あっ、忘れ物ですよ?」


 私は女の人に後ろから声を掛けます。

 男の人は私を無視して部屋へと進みました。予想通りです。


「何よ?」


 開いたままの扉から、誰もこちらを見ていないことを私は確認します。良しっ!


 ペッと私は女の顔面に唾を吐き付ける。


「すみません、お返しを忘れていました」


「こ、この――」


 それから、声を震わせる彼女の手を取り、私は胸ポケットから出した物を置きます。


 私の金貨です。


「これは、お子様のためにお使いください。子供は幸せになるべきです」


 これは私の本心です。自分で物事を解決できない子供達には絶対に優しくしないといけません。


「は? えっ?」


「どうぞ」


「…………盗んだ物じゃないでしょうね?」

 

 まぁ!

 本当に心が貧しいです! 内面も家計も貧乏って、ある意味、欲張り過ぎですよ!


「そう思うなら返して下さい」


 私の言葉に沈黙されました。

 そして、意を決して彼女は口を開きます。


「ふん、少しは優しくしてやるわ!」


 バタンと扉を閉めて出ていかれました。

 残った私は、首筋に水を掛けて拭くのです。うー、汚い……。


 あっ、魔法を使っちゃったなぁ。シャールの時みたいに逮捕されそうなら、逃げましょう。あの時と違って、今回は魔力感知という素晴らしい技術があります。絶対に逃げ切れますよ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ