表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
312/421

パン屋の朝は早い

 パン屋の朝は早い。

 暗い道の中、私は重い(かめ)を持って、遠く離れた井戸まで水を汲みに行きます。獣人と看做された私は人間様の使用する近くの水場は使えないのです。

 だから、パン屋が独自に掘り当てた、この井戸まで来る必要があります。半刻も歩く必要がある場所をわざわざ選ばなくても良かったのにと思います。

 本当のところ、私は獣人では有りません。しかし、強くは反論しませんでした。だって、別に私が獣人であっても私は私ですもの。些細なことです。

 聖竜様からの愛は人間だろうと獣人だろうと一緒ですし、何より、獣人じゃないって否定をするなんて、ニラさんだとかミーナちゃんにとても失礼です。


 さて、水をたっぷり入れた甕は更に重くなります。だから、帰り道はしっかりと甕の底を持たないと落として割ってしまうかもしれません。貴族街と違って舗装されていない道は、たまに凸凹があって足を取られないように気を付けないといけません。


 何回めの往復でしょうか。私がパン屋の工房、パンを大量に作るらしい場所に戻った頃には、若干、空に色が付き始めていました。

 裏口から私は中に入ります。人の気配はなく、灯りも御座いません。私は部屋の片隅にゴトリと甕を下ろします。水面に波紋が走り、その膨らみでギリギリまで入れた水が一滴、甕を伝い落ちました。

 ふぅむ、残念。失敗しました。折角、ここまで溢さずに持ってきたのに、最後の最後で油断しました。


 私は修行をしています。水を口の所まで目一杯に入れて、溢さぬように運ぶのです。握力、体のバランス、精神力、そういった物を鍛えています。昨日、ここに連れて来られてから水運びをずっとやっていますので、自分で試練を設定しないといけないくらい飽き飽きしていたのです。


 連れて来られた配属先は庶民のエリアにあるパン工房でして、そこの雑用係です。神殿で所属していた魔物駆除殲滅部より、遥かにレディーっぽい役割で満足です。一歩前進した気分になりました。


 パン屋の朝が早いかはよく知りません。それっぽい雰囲気を自分で醸し出す作戦でした。「バテるまで行え」というご指示でしたので、昨夕から頑張りましたよ。


 もう工房に水を入れられる甕は御座いません。

 と言うことで、おやすみなさい。沢山の甕に囲まれて、私は床に横になりました。



 がつんと側頭部に衝撃を受けて目覚めます。だいぶ明るくなっておりまして、日が出た後だと分かりました。でも、早朝には変わり有りません。


「おい! 何で寝てるんだよ! お前、新入りの獣人だろ!」


「おはようございます。店長さんから言われていた仕事は終わりました」


 私は立ち上がって、見慣れないおじさんに答えます。細長の貧相なお顔ですが、先輩ですからね。丁寧に対応致します。


 蹴られた割には頭が全く痛く有りませんので、言葉とは裏腹に優しい人なんだと感じておりますし。



「おい! ふざけんな! テメーらみたいな獣人が俺様に口を利くなぞ、100年はえーわ!」


 言葉は攻撃的か。

 もしかして、私の精神的忍耐力を試そうとしているのですか。しかし、アシュリンさんやアデリーナ様のお陰で耐性はかなり付いていますよ。

 さぁ、来なさい。私の慈愛に溢れた笑みをご覧になって、お認めください。



「気持ちワリーんだよ!」


 彼は私の頬を平手で打って来ました。

 ……遅いです。グレッグさんの突きの方がよっぽどですよ。

 私は避けずに受けました。これが慈愛です。むしろ、頬を出すのです。


 パンッと良い音がします。


「ガッ! いっつー……」


 私は全く痛くないのですが……。

 なのに、彼は赤くなった手を振りながら、少し涙を浮かべていました。演技がお上手ですね。



「お前! 俺がパンを捏ねられなくなったらどうする気だ!」


 知りませんがな。

 理解が追い付きませんよ。

 これはどういう意味なのでしょうか。


 ハッ!

 そうか、彼はパン職人の超新星である私にライバル心を持ってしまったのですね。だから、蹴落とす為に気持ち悪いとか、そんな言葉を吐いてしまったのか。


 なんと可哀想なおっさんでしょう。

 私がお前に負けるわけが御座いません。


「大丈夫です。私が捏ねますよ。やった事は無いですが自信だけは有ります!」


「あ!? きったねー獣人が人間様のお食事を作るだ? ふざけんな! 水を汲ませてやるだけでも有り難く思えよ!」


 んー。ニラさんが聞いたら悲しみますね。


「獣人であっても宜しいでしょう。シャールの聖竜様も獣人を大切にしなさいと仰っていますし」


「喋んなよ。知らねーよ、そんな田舎街のクソの話なんてよ!」


 ほう。


 あなた、なかなかにチャレンジングですよ。



 私は体内の魔力を戦闘向けに配置します。今まではゆったりと自然に任せて体内を循環させていたのを、肌の表面から迸るイメージで移動させたのです。馬車の移動中に遊んでいたら、出来るようになりました。

 ……なんか、私、人間離れし始めている気がしないでもないですが、大丈夫かな。


 まぁ、杞憂でしょう。

 一睨みしてやりますかね。

 全力の殺意をぶつけます。




「ひ、ひっ」


 うふふ。あら? 尻餅ですか?

 魔物にでも襲われた様な、哀れな顔ですね。


 まぁ、おしっこまでお漏らしって。


 もう気が早いんですから。

 死んだら全身から体液が零れるんですよ?


「ゆ、許して……」


 自分の運命を察しましたか?

 うふふ。でも、だぁめ。

 私は拳を振り上げる。頭蓋骨を割ってやるからな。


「こっ! 子供がいるんで――」


 ガッ! と、私の拳は彼の頬を(かす)って石床を叩く。

 ヒビでは止まらず、砂煙が出るくらいに粉々になりました。


「その子供に感謝なさい。いえ、感謝なさいませ。慈悲です」


 あっ、今の聖女のセリフみたいです。

 そっか、私は生まれながらに聖女の精神を併せ持ってしまった様ですね。その為に、敢えて言い換えたのですが。


「ひゃ、ひゃい……」


「聖竜様への謝罪は?」


「しゅ、しゅみません……」


 聖竜様、申し訳ありません。

 この不埒な罪人を裁けなかった事、お許しください。

 この者の不敬は私が代わりに受け持ちましょう。だから、次にお逢いしたら、私の体を好きに弄んでください!



 さて、切り替えますかね。


「私は淑女です。分かりますよね?」


「ひゃ、ひゃい! そうです!」


「あなたは私に何もされていない。私が石の床を破壊できるはずが有りません。そうですね?」


 今後もこのお店で働かないといけませんから、ちゃんと確認しておかないといけません。神殿の時のように狂犬とか悪い噂を流布されて生活するのは避けたいのです。私、メリナは学習できる賢いレディーですよ。

 口封じは大切です。


 彼は頷いてくれました。

 しかし、念は入れますからね。


「もしも他言したら、どうなるかな?」


 私の問いに彼は答えます。


「……死……です……か?」


 当たり! 大正解~! いくら子供がいても二度目は地獄行きでーす。

 私は笑みで返します。



「宜しい。ところで、私は眠いのです。あなたの家に案内しなさい。大切な子供がいるのでしょう?」


「ひっ!」


 怯えすぎですよ。寝床を用意して欲しいのです。子供がいるのなら、安眠中の私を襲う真似もしないでしょうからね。


「ご、ご勘弁をー!」


 おっさんは走って裏口から出て行きました。猛ダッシュです。

 散らかっている自宅をお掃除したいのですね。分かりました。お待ちしましょう。

 床を汚した分はご本人で処理して頂きたいものです。



 しばらく経ってから裏口が開きましたが、入ってきたのは女性でした。ルッカさんくらいの背で、私より頭一つ大きいです。


「おはようございます!」


 私への返事は有りませんでした。汚れた服で生気のない眼で、朝からお疲れなご様子です。

 あっ、長い髪で分かりませんでしたが、この人、獣人の方ですね。白い兎の耳が頭に見えました。元気なくダランと垂れていたから気付きにくいですよ。


「……はぁ」


 じっと見ていると、溜め息を付かれました。元気出してくださいよ!


「お仕事手伝いますよ!」


「……えっ?」


「新人のメリナです! 宜しくお願いします」


「じゃ、じゃあ、水汲みを……」


 うんうん、もう終わってますよ。

 次の仕事をお願いします! 小麦とか触ってみたいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ