崩壊について
マイアさんはにっこり私に微笑み掛けてきました。シャマル君も積み木遊びを止めて、こちらへ来ます。
「こんにちは。今日はどうされましたか?」
「こちらのミーナちゃんの事で、相談があって来ました」
今のミーナちゃんはシャマル君と同じくらいか、それより大きくなっていますね。急成長ですが、そんな事はマイアさんには分からないですね。
マイアさんはじっとミーナちゃんを見ます。それに怯えて、ミーナちゃんはギュッとお母さんであるノエミさんのスカートを握ります。
「へぇ、珍しい感じねぇ……」
流石。獣人であることを一目で見抜きましたか。年の功は素晴らしいです。
「メリナさんはどうされたいの?」
「このまま人間のまま成長する方法はと思っています。最低限でも、再びの脱皮は避けたいです」
「なるほど。一度、獣人化して、その魔力を無理矢理除いたのですね。そうですか……」
ん? 一瞬、顔色が曇った?
「分かりました。少々、準備が必要です。シャマル、ミーナちゃんと遊んでいなさい」
「うん。こっちだよ。ミーナちゃんのお母ちゃんも一緒だよ」
シャマル君は二人を連れて、扉の外へ、師匠のいる方へと向かって行きました。
バタンとしまってから、マイアさんが残った私へ告げます。
「魔力吸収が止まらなくて、ビックリされたのでしょう?」
凄いなぁ、大魔法使いと呼ばれた人ですよ。その通りです。幸い、ここの白い魔力は余り入って行かなくて良かったと思っていました。
「彼女は獣人となる運命なのです。それに逆らうと、より一層、悲惨な事になりますよ?」
「そうなのですか?」
「メリナさん、あなた、一度、魔力酔いを体験しましたよね?」
はい。浄火の間で貯めた莫大な魔力がこっちの世界に戻ったら、勝手に抜けていってコッテン村で寝込んだ出来事です。体内の魔力は大切と思い知りましたね。
「辛かったです」
「実はね、あれって、魔法使いの適性を伸ばすのに、一番良い方法なのです。魔力酔いをすることで、次はもっと多くの魔力を維持することが出来るようになるのですよ」
そうなのですか。浄火の間で集めた程の魔力はこっちには無いので気付きませんでした。
「それに吸収速度も速くなります」
私は魔力酔いから回復した後、葡萄の汁を持って聖竜様の所へ行きました。で、白い魔力を吸って体いっぱいに堪能したのです。確かに、いつもより魔力吸収が速かった気がします。
「ミーナでしたか? 同じ現象が起きていますね」
ふむふむ。では、より強くなられるのですね。
「それは危ないです」
? そうなのですか?
「集まった魔力に耐えられる器、適性がなければ崩壊します」
「崩壊って何ですか?」
「存在、若しくは自我を無くすことです。お見せしましょう。シャマルの積み木を一つ取ってください」
私が指示通りマイアさんに渡しますと、彼女は魔法詠唱をします。
『我は幽谷に棲まる、徒死すべし瑣尾なる踔然。嬉戯に臥せる吼噦に語り掛けよう。憑河を憂い、釈言を玩弄に隠す。煙靄を被りし、其の青簡。或いは璞玉か。颭ぐ閼伽、堋める震響、加えて、忤う恨毒を括嚢せん。南雲の冥婚の如く祝うは、至妙の熄滅』
マイアさんの体内から積み木へ、膨大な魔力が注入されていきます。
私が感知していたマイアさんの魔力総量よりも多くの魔力が、です。
突然、積み木はシュッと音を立てて消失しました。燃えたんじゃないんです。何も痕跡を残さずに無くなったのです。
「この様に許容以上の魔力を瞬時に与えると、崩壊します」
「崩壊というか、消え去りましたよ?」
「目では見えない、本当に微小なスケールで観察すると崩壊しているのです」
ふーん。まぁ、いいです。続きを聞きましょう。
「魔力の濃い所に入ると、一気に魔力が吸収され、ミーナの両腕がなくなる可能性があります。しかし、これはそう起こらないでしょう。人里離れた深山の奥、そういった魔力が豊富な場所に行かない限りはね」
森の瘴気か……。確かに、魔力感知の能力に目覚めていなかった数年前の私にでも感じ取れた程の濃度です。恐らくは浄火の間よりも濃かったのだと予想されます。
「ならば、徐々に魔力が吸収される場合には何が起こるでしょうか? 分かりますか、メリナさん?」
一度見たことがあるので分かります。
「魔力の暴走による凶暴化です」
ルッカさんが王都の兵隊さん達を咬みまくっていました。あれ、たぶん、そうですよ。魔力を引っこ抜けば、元に戻りましたし。
「うん、正解」
わっ、当たりました! 私、偉大ですっ! 勘が冴えています。
「言い換えると、自我の崩壊です。凶暴化ではなくて無気力化の場合もあります」
ここで魔族についてエルバ部長と議論した内容を思い出しました。
「魔力が増大した獣人が変化して魔族になると思っています。これも凶暴化の一環でしょうか?」
「ある種の魔族はそうですね。総じて魔族の違いは収斂進化に似た感じなのですが、それについてお伝えするのはまた別の機会にしましょう。今はミーナについてでしたね」
マイアさんはちょっとだけ間を置きます。
「私の見立てでは、今の成長段階では取り込んだ魔力に負けて、ミーナは魔力暴走を起こすでしょう。結果、腕以外の部分もザリガニとなります」
蟹でなくザリガニですか? 不思議です。ちゃんと泥抜きしないと、臭くて美味しくないんですよねぇ。
いえ、ミーナちゃんを食べたいって思った訳ではないのです。
「回避するにはどうしたら良いでしょうか?」
私の心配にマイアさんは笑顔で答えました。
「お任せください。時間は掛かりますが、何とかしてみます。あの二人には、しばらくここに留まって貰う事になりますが」
「ありがとうございます」
「メリナさん、獣人を人間に戻そうと言うのは世界の理から外れる事なのです。もう二度としてはいけませんよ」
私を妨げるなんて、世界の理とやらは生意気ですね。聖竜様と私とでお仕置きしてあげたいです。
「マイアさん、これはどうでしょうか? ミーナちゃんが人間化の魔法を覚えるまで、魔力を増大させるのは?」
「お止めなさい。彼女は耐えられず魔物と化するでしょう。まだ魔族にさえなれない器です」
ぐぬぬ。
しかし、ここは私が折れましょう。恐らくは、マイアさんに任せることがミーナちゃんの幸せなのですから。
「それにしても珍しい事象の方です。……偶然ではないかもしれませんね」
「偶然ではない?」
「一万人に一人もいないのですよ、あの脱皮するタイプは。ただ、私の勘繰りが過ぎる可能性も有ります。お気になさらず」
デュランの馬車待ちで出会ったのですよ。偶然だと思います。思いますが、気にはなります。パットさんやガインさんも、意図を持って私を載せました。もしかしたら、ノエミさんも何か隠しているかもしれないのか。
いえ、でも、何にしろ、ミーナちゃんがザリガニになる事を防げたのです。それはノエミさんもお喜びでしょうから、良しとしましょう。
私はノエミさんとミーナちゃんに、しばらく、ここに滞在するように頼みました。
師匠を見て逡巡していたノエミさんですが、私がマイアさんを紹介すると、平伏してしまいました。
デュランが信仰している対象のマイアさんは、ノエミさんにとっては生き神様だったようで感涙していました。
ミーナちゃんはシャマル君と仲良くなっていましたから、やったーとか言っていました。




