アデリーナ様の本領
アデリーナ様のご依頼に応えるため、私はミーナちゃんの体内に宿る魔力の流れを凝視する。
ふむふむ。蟹になっている部分の魔力の量が多いだけでなく、質も他の部分と違うのですね。
森の魔力か……。そんなものが入り込んでいる気がします。もしかしたら、ミーナちゃんの獣人としての目覚めが森の魔力で促進されたのかもしれません。
私は浮き上がっているミーナちゃんの皮を突き破り、直接、蟹の部分を触ります。それから、魔力を操作して動かし、私の体に溜めていきます。ミーナちゃんの腕は徐々に人間のそれへと戻っていくのが目視でも分かりました。
正解でしたか。とても簡単でしたね。
「ああぁ……」
ノエミさんの喜びとも驚きとも分からない、喉の奥から出る音が耳に入ってきます。
「奇跡です……。私は聖女様の奇跡を目の当たりにしています……」
パットさんもお祈りを止めて、私の魔力操作に感嘆の声を上げました。
しかしながら、私は先程の安堵から一転して作業を続けています。まだ終える事は出来なかったのです。
ミーナちゃんの体に流入する魔力を感知してしまったからです。やはり、森という場所が鍵になっていますね。
何回か試しましたが、ダメです。これでは、いずれ再び蟹になってしまいます。ミーナちゃんが森の魔力を取り込むのを止めれません。
第二の選択肢は切り取って、新しい腕を魔力で作り出す事ですが、マリールのおっぱいの様に翌日には消え去ってしまいますかね。そもそもアントンの胸を作った時の消費分が回復していませんし。
回復魔法だとどうなるかを試すか。いえ、蟹の腕が復活する気がします。
ん? となると、毎日蟹の肉を食べ放題なのですか……。ミーナちゃんが回復魔法を覚えたら、自給自足の生活が出来ますね。やっぱり、この蟹の腕、良いものですよ!
「アデリーナ様、すみません。これが私の限界でした」
「何を仰るのですか。これで十分で御座いましょう。愚民どもに自らの愚かさを知らしめる事が出来ました」
「あぁ、ミーナっ!」
ノエミさんの叫びが狭い荷台に響きます。
パットさんはまた祈祷を再開しました。今度は私に拝んでいます。
ガインさんは真剣な目で私を見てきます。若干、敵意というか警戒の眼差しです。ナイフはもう鞘に戻していますけどね。
「……嬢ちゃん、何者や?」
「只の巫女見習いですよ」
「人間やないやろ? 魔族か?」
まぁ、なんて言い種でしょう。ミーナちゃんを殺そうとした人が言う事では有りませんよ。
「あなた、まずはメリナさんに謝罪と感謝で御座いましょう?」
アデリーナ様がガインさんに冷たく言い放ちました。私を援護してくれたのです。ありがとうございます。
「……ふぅ……せやな。すまんかった。余りに常識外れやから動揺してもうたわ。嬢ちゃん、許してや。秘術なんやろな」
ガインさんは床に手を付いて、私に首を見せました。急所を見せることで、私に生殺与奪を握らせる、最上級の謝り方なのでしょうか。
私は勿論、許します。先程は酷薄だと思いましたが、彼が好人物である事は、これまでの旅の中で知っておりましたから。獣人としての生活の辛さを知っているからこその行動だったと思いましょう。私の弟たちが森に還されたのも同じ理由だったのだと思います。
それにガインさんが本当に敵意を持っていたとしても、私は一撃で殺すことが出来ると思いますし。
元通りの人間の腕になったミーナちゃんを私達は見ています。まだスースーと鼻を鳴らして眠っているお顔が、脱皮中の肌の向こうに確認できます。
ノエミさんが私に抱きつきました。避けようと思えば余裕の速度ですが、彼女の喜びの表現ですから、それを拒絶する程、私は人の気持ちを察しない人間では無いのですよ。
「あ、ありがとうございます! 殺める事がこの娘の幸せに繋がる、いえ、この先の不幸を免れる唯一の方法だと思い込んでおりました。メリナさん、メリナ様! 私どもに光を与えて頂き、心より、心より感謝致します」
でも、早くどうにかしないと、また数日で脱皮状態になると思います。
この森特有の濃緑の魔力がミーナちゃんの中に入りたがっている様に、いえ、ミーナちゃんの体が取り込みたがっている様に感じるのです。
これを抑える事は、私には手が有りません。言った通り、私の限界なのでしょう。
とりあえず、殻みたいになっているミーナちゃんの皮を取り除きましょうか。
ペリペリと破いていきます。ちょっと可哀想なのですが、痛みはないと思います。
私に続いてガインさんやパットさんも破るのを手伝ってくれました。服の下で取れないところはノエミさんに任せました。
なお、アデリーナ様は立ったまま、何もしていません。無能です。
ふーみゃんは良いんですよ。猫さんはお手伝いできませんからにゃー。
あっ、脱け殻食べた! アデリーナ様が慌てて奪ってくれましたが、危なかったです。
ふーみゃん、ダメです。かなりダメですよ。皮であっても人間は食べてはいけないと思います。メッです。
作業を終えて、私達は一息付きました。ガインさんが樽から水を出してくれて、それを皆で飲みます。
「お二人はお知り合いなんですか?」
私はアデリーナ様とガインさんを見ながら喋ります。
「アデリーナとは竜神殿でよく会うわ」
「メリナさん、この方は巫女長のお知り合いで御座います。おおよそ、巫女長があなたを心配してお付けになられたのでしょうよ」
「それは言わんといてくれって頼まれたんやけどな。えらいすまんな、嬢ちゃん」
ガインさんはちょっとだけ笑いを作りながら、また私に頭を下げました。
巫女長のお知り合いでしたか……。そっか、巫女長、ありがとうございます。私を気遣ってくれたのですね。
「パットさんはどういった関係なのですか? 聖女決定戦でクリスラさんの祐筆だと聞こえましたが……」
そう、このパットさんは現聖女クリスラさんの部下なので、クリスラさんの指示で私を王都まで導いてくれているのだろうと思っていました。
「パットは大昔に上司と部下の関係やったんや」
「部下って……。奴隷みたいに毎日、働かされましたよ。良くはして貰ってましたけどね」
「そやったか?」
「はい。命さえ救って貰いました」
パットさんは、ここでノエミさんに向きます。真剣なお顔です。
「メリナ様は次代の聖女様です。これは隠すつもりはなかったのですが、いえ、違いますね。ノエミさんやミーナさんが次代の聖女であるメリナ様を畏れることが無いよう、敢えて、申し上げませんでした。ですが、先程の術。最早、明らかにした方が混乱が少なくなると思い直しました」
「ああ! 聖女様! ありがとうございました! デュランの街から出たと言うのに、私達、母娘をお助け頂いたのですね!」
水を出されて私への抱き付きを止めたはずのノエミさんが、座る私の傍にまた来て、床に頭をすり付けて言いました。
気持ち悪いくらいに私を持ち上げる雰囲気を破壊したのはアデリーナ様でした。
「皆様、勘違いされては困りますわ」
ふーみゃんを抱えながら、私達を見下ろして仰います。
「メリナさんは、あなた方の薄汚い心を浮き彫りにしたのですよ。自覚していない己の無能さを反省しなさい」
うわぁ。アデリーナ様、何なんですか。
「獣人が人間に戻って嬉しいのは理解致しましょう。しかし、それは、あなた方が獣人は不幸になると思っているからで御座いましょう?」
「……まぁ、そうやけどな。しかし、人間の形をしてなければ生きにくいのも事実やで。不幸は不幸や。とびっきりのやで」
「いいえ、それは人間が人間に合わせた生活をさせようとするからで御座います。……私の友人に蛇の獣人がいらっしゃいます。彼女はとても人間に見えない体ですが、そこのメリナさん、あなた方が聖女と呼ぶ娘よりも気高く、美しい女性です」
オロ部長か。確かにあの人は私なんかよりも出来た人間です。強いですし。
でも、コッテン村では地中から人間を喰らって、半分に千切ってましたよ。それ、気高いと呼んでいいのでしょうか。そうそう、ゴブリンもむしゃむしゃ食べておられましたよ。
でも、オロ部長の事は否定してはいけません。私も同じくらいに高貴だということにしましょう。
「獣人であっても子供の命を奪うなど恥ずかしいと思いなさい!」
アデリーナ様、あなたの口癖は「死刑です、処刑です」ですよ? お忘れですか?
「大変申し訳御座いません。貴女の慈愛はマイア様の如くです。……このパット、今後は心を入れ換え、幼き獣人を保護致します。お許しを」
パットさんは涙を流しておられました。アデリーナ様に騙されましたね。
付き合いの深い私には分かります。
今、アデリーナ様はそれらしい事を言って、ここにいる人間を支配下に収めようとしていますよ。怖いです。
「パット。クリスラの祐筆パトリキウス・デナンよ。言葉では救われないと、我が聖竜は仰っています。どこまでの覚悟か、時間は掛かっても構いません。私と聖竜様に必ず見せるのですよ」
ほら、私のヒントがあったとは言え、フルネームで知っておられましたよ。パットさんの意表も付いたはずです。私もびっくりです。
「はっ!」
うわぁ。勢いに飲まれて、パットさん、約束してしまいましたね。あなた、もうアデリーナ様の罠に嵌まり込んでしまいましたよ。これから、ちくちく「いつ覚悟を見せるので御座いますか」と責められる運命が確定しました。
「愚かなる母ノエミよ。お前も誓えますか? 娘を必ず守ると」
「はい。……もう二度と迷いません」
「その強き眼……濁らせてはいけませんよ。分かりました。私はあなたを信じましょう。あなたも私を信じるのです」
「はい、必ず」
はい、二匹目が簡単に落ちました。
次はガインさんですか?
「降参や、降参。アデリーナは賢いわ。俺じゃ勝てへんで」
落ちきりませんでしたね。中々の人です。
負けた様に見せ掛けて、何も言質を取らせませんでした。うまく逃げました。
しかし、アデリーナ様は深追いしません。やり過ぎると、パットさんやノエミさんの高揚した気持ちが落ち着いてしまいますからね。
「よろしい。ノエミよ。困ったことがあれば、シャールの竜神殿に来なさい。そこのメリナ以外の者も貴方を助けてくれるでしょう」
「は、はい。ありがとうございます」
ノエミさんはまた涙を流されました。
うーん、パットさんは兎も角、失礼ながらノエミさんはアデリーナ様にとって利用する価値は無いと思います。
だから、うん、アデリーナ様の支配下というか、王家の人とお知り合いになれたことを素直に喜んだらいいのかな。ノエミさんにとってはデメリットよりもメリットの方が大きいですね。
「メリナさん、私の顔を見詰めてどうされましたか?」
おっと、私にも来ましたか。
「いえ、アデリーナ様も上手だなぁと感心しておりました」
「何がで御座いますか?」
「えっ、人を操るのがですよ」
「まぁ……また減らず口を。お仕置きです!」
ガッツンと、また拳骨を貰いました。ちょっと強めでした。




