交渉妥結
言い終えて、イルゼは少しだけ私に近寄りました。それを横目で確認して、観客に手を振りつつ、私は小さく答える。
「私、あの宮殿が欲しいだけなんです。聖女の地位はいりません」
言っては何ですが、イルゼはこの素晴らしく気高い私を嵌めようとしたくらいに、心が清くない女性です。そして、何とか聖女になりたいという野心も持ち合わせていると思われます。
先程は素直に敗けを認めていましたが、忸怩たる想いだったと想像できます。
だから、乗ってくると確信していました。
「……何をすれば良いの?」
「アントニーナは女だと言い張って下さい」
「それは無理で御座います。今から係がご覧になられるので御座いますよ」
まぁ、何をご覧になるって言うのでしょうかね。純真なメリナには全く分かりません。本当にお下品な風習で御座います。
「簡単な事です。決勝戦を戦った私達三人全員がアントニーナは女だと言い張れば、通ると思うのです」
なお、アントンは数に入っていません。彼がどの選択肢を選ぶのか不明だからです。いざとなれば、殴って何とかする所存です。
「その様な戯けた話、リンシャル様に命を奪われますわよ」
ふむ、デュランの方々はリンシャルを怖れますねぇ。あいつは全くどうしようもない害獣です。
次の言葉を考えていると、遠くから私に声が掛けられました。
「メリナ様ぁ! おめでとうございます! マイア様もお喜びだと確信しておりますぅ!」
レイラの大声が響きます。
……私、ちょっと苦手かもしれません、あの娘さんは。
しかし、その声がイルゼに響いたのです。
「レイラも昨日から様子がおかしいで御座いますね。あいつも、あなたの話に乗っているので御座いますか?」
「それはどうでしょうかね。ご想像にお任せします。ただ、本件についてはクリスラさんもご存じですよ」
それを聞いたイルゼは更に私に近付く。もうほぼ横に来ています。
「あなた、何者で御座います? 聖女様と親しいと見えます。バックはどなたで御座いますか?」
んー、デュランに来たときのアントンとコリーさんの会話が頭に浮かびました。
「王家の方です」
「デュランの聖女選定に絡んでいるので御座いますか? バレたら問題になるでしょうに……。リンシャル様がお怒りになられますし、それを恐れる貴族の方々も反抗なさいますよ。……ちなみに、どなたですか?」
アデリーナ様と言明するのは宜しくないか。しかし、私の言葉がブラフと捉えられるのも面白くありません。
「漆黒の白薔薇です」
あっ、間違えました。いえ、意図的です。アデリーナ様が通称黒薔薇で呼ばれる様に、私は日々活動しているのです、ひっそりと。
「……聞いた事がありません。どなたの雅名なので御座いましょう。あなた、騙されておられませんか?」
黒薔薇の時点で雅びよりも邪悪さを感じますよね。さて、他にも有力者と親しいことを伝えておきましょう。
「私はシャール出身ですが、現伯爵のロクサーナ様の二人の曾孫娘とも親しいのですよ」
確か、ロクサーナ様は前伯爵の祖母だったはずですから。前伯爵のシェラは曾孫、その従姉妹のアシュリンさんも曾孫です。
「直系なのでしょうね、その仰り様でしたら。いざとなれば、シャールに逃げ場所を整えていると理解しますわよ。それで、どなたでしょうか?」
「鉄の拳とメロンです」
「……メロンはまぁ女性でしょうけど――いえ、黄金舐瓜で御座いますね。聞いたことがあります。本妻の子では有りませんが、有力貴族の長男との婚姻も有り得る逸材とか」
シェラさん、そんなご良縁が控えているのですか。グレッグさんの淡い恋心はどうなると言うのですか!? でも、グレッグさんの将来の失恋は、どうでも良かったです!
そして、鉄の拳こと、アシュリンさんについてはイルゼは触れもしませんでした。分かりますよ。聞き間違いだと思いますよね。
最後に止めです。
「クリスラさんもアントンの件をご承知です」
イルゼは沈黙したまま、先を歩く私を追ってきます。頭の中で利得を計算している事でしょう。リンシャルの恐怖に打ち勝つのです。応援しておりますよ。
「分かりましたわ、次代の聖女メリナ様。アントニーナ様は、もちろん女で御座います」
よく出来ましたね! これで万難は排除されました。
「感謝致します。時期がくれば、聖女になった私が聖女決定戦を開催。決勝戦で私と組めば、敵などいません」
「私めが決勝に残る前提で御座いますか……」
考えなくて宜しいのよ。手段を選ばなければ、影で幾らでも遣りようが有ります、ふふふ。
「私が見定めた貴方が弱いとでも?」
本心は口に出さなくても分かるでしょう?
「……怖いお方。どこまでも付いて参ります」
もう決断していたくせに、慎重な人でした。いえ、これくらいの人の方が頼りになるのだと思います。
さぁ、アントニーナさんの前に来ました。
もう起きても構いません。
私は回復魔法を唱える。節々を固めてた氷はちゃんと砕いていますし、凍傷もちゃんと治ると思います。
死んではないと思いますが、動かないのが少し心配です。あっ、組んでいた腕が戻りました。
「クソ巫女、終わったんだろうな」
開口一番、このセリフです。クソ弱い癖に、喧嘩を売っているとしか思えませんよ。
「本当にアントンで御座いましたか」
先程伝えたばかりだと言うのに、イルゼが驚きの表情をして私を見ます。
私は話を先に進めます。
「アントニーナ、検査の時間です」
「あ? 何の検査だ?」
くくく、お前に制裁を与える検査です。
「哀れなアントニーナよ、あなたは知らないのですか?」
「聖女には興味がない」
ふむ。その落ち着きは、そういう事でしたか。
これから起こる自らの悲劇を知らぬと言うのですね。全く、何を思って聖女決定戦に参加していたのですか。
「では、今しばらく大人しくなさい。次の儀式で最後です」
後ろを振り返ると、幾人もの人が何やら木を組み立てていました。布も横にある事からすると、テントが準備されている様に思います。
その近くで、クリスラさんはいつもの澄まし顔で佇んでおりました。
私とイルゼはアントニーナを両脇から挟む感じで、そこへ進みます。
「クリスラさん、女戦士アントニーナを連れて参りました。完全な女傑です。この上なくパーフェクトです」
その言葉でクリスラさんは覚悟を決められたのでしょう。表情がキリリとされました。
はっきり伝えることで、察しの良いクリスラさんには分かると信じていましたよ。
強引に中央突破です! アントニーナは女だで、通しきるのです!
ちゃんと最低限の仕掛けはしてありますからね。
クリスラさんが用意された台に登り、観客に呼び掛けます。
「お集まりの皆様、次代の聖女メリナに祝福を!」
これに応えて、メリナコールが巻き起こります。私はお上品に胸の前で手を軽く振ります。最後にペコリと頭を下げました。
「その聖女代理となるアントニーナにも祝福を!」
同じ様に観客達は無邪気にアントニーナの名前を連呼します。
「ちっ、もういいだろ。茶番は終わりだ」
アントンの呟きが聞こえました。横にいたイルゼが緊張したのも分かります。
観客の騒ぎが収まる前に、アントンは兜を脱ぎました。脱ぎやがりました。




