取引の提案
会場全体が静寂に包まれました。
私は倒れたままのクリスラを見詰めております。油断はいけません。クリスラの魔力の動きを注視するのです。
「……パットさん、クリスラ様が、その、負けましたか?」
「……まだ終了の鐘は鳴っていません。ただ、クリスラ様が意識を失っているのであれば、メリナの勝ちとなりますね……」
うふふ、気を失っていますよ。大丈夫そうです。
私の渾身の一撃ですもの。
そんな時、クリスラを柔らかい光が包みます。
明らかな異変に私は後ろに下がる。
「イルゼ、助かりました」
消光するとクリスラは立っておりまして、そんな事を言いました。
回復魔法! イルゼはどこかのタイミングで意識を戻していたようです。
そして、クリスラが倒れたタイミングで魔法を詠唱。恐らくは、この試合が始まる前から、クリスラが倒れ次第に回復魔法を唱えると打ち合わせ済みだったのでしょう。
クリスラの無事を見て、観客は盛り上がる。
……しかし、私が負けたわけではありません。また、勝率が下がった訳でもありません。イルゼなど居ても居なくとも大勢に影響御座いません。
また、クリスラをぶん殴れば良いだけです。
しかし、まずはイルゼから。私の勝利を邪魔した罪を体で償ってもらわないといけません。
私はつま先に力を込める。
大きく一歩を踏み出そうとたところで、クリスラが喋りました。両手を挙げて敵意が無いように見えます。
「イルゼ、あなたでは勝てません。ご覧になって分かったでしょう?」
イルゼは座ったまま、コクリと首を振りました。ちょっとだけ見えた顔は悔しそうでした。
「宜しい。聖女は孤独な戦いを強いられることも多いのです。ですが、聖女でないのであれば、敵わない場合には逃げることも大切です」
魔族とかを転移魔法で斎戒の間だとかに送る際には近接しないといけません。勿論、戦闘になるでしょう。それをクリスラは言っているのだと思います。
「メリナさん、イルゼは降伏します。私も降参です」
お?
おぉ、私、遂に優勝ですか!?
筆記試験から長い苦難の道でしたが、ようやく、あの広大な敷地を手に入れることが出来るのですね!
クリスラさんが鐘を鳴らす人に合図をすると、カンカンカンカンと鐘が鳴り響きました。
「勝者メリナ~っ! 次代の聖女が決定しました!」
「いやぁ、クリスラ様がご推薦されただけの強さをハッキリと見せてくれましたね」
「はい! 強大な魔物が出現してもデュランの街は安泰ですね」
「観客の方々も好運だったと思います。あれだけの戦闘力を目の当たりに出来たのですから、次代の聖女メリナ様の実力を心より信じて、日々を過ごすことが出来ます。私自身、不安はあったのです。クリスラ様が先の内乱で何らかの取引を強要され、得体も知れない輩を聖女に就けざるを得ない状況に追い込まれてしまったのかと。その懸念は明らかに間違いでした。あのメリナの能力は本物ですよ!」
やっと、この素晴らしい土地を手に入れることが出来ました! 私と聖竜様の安住の地となるのです。絶対に聖竜様にも喜んで頂けるに違いありません。
そして、永遠の契りを結ぶ土地となるのです。
私は思わず、両の目から涙を溢します。感涙というヤツです。
贅沢三昧で怠惰な日々、聖竜様が欲情されたら、きゃっ、恥ずかしながら、身を任せるのです。
うわぁ、天国です。天国を手に入れましたよ! 王都でパンを作っている場合じゃないかもしれません。
これは明日から忙しいですね。まずは聖竜様のお住まいを作らないといけません。あの辺りの建物が邪魔なので、全てぶっ壊して空き地にしましょう。
「メリナも泣いていますね。あれだけの猛者も涙を見せるとは、聖女の地位は斯くも崇高なのでしょう」
クリスラさんが寄ってきて、私の腕を持ち上げます。すると、観衆は「ウォー」って叫ぶのです。
わー、私を祝福してくれるのですね。監獄を出た時にシャールの皆が祝ってくれたのを思い出します。
盛大な歓喜の中、クリスラさんは小声で私に言ってきました。
「痛烈な一発でした。お見事でした。リンシャル様のお目は正しいと立証されました」
リンシャルの目というよりヤツの身に教えてやったのですが、それは黙っていましょう。
「で、……アントンはどうするのですか? 今から検査ですよ」
おぉ! やはりバレておりましたか。
そして、今から検査ですって!
やばっ、顔がにやけてしまいます。とても愉快な気分になってしまいます。
「正々堂々と受けてもらいますね」
「……ここまで上手く行ったのです。学者連も暗部も民衆もあなたを認めました。ここまで外堀が埋まれば貴族も文句を言えません。なのに、あれがアントンと発覚すると大問題になり得ます。今回の聖女決定戦が無効とされる可能性が高いです。だから、検査は後に回しましょう。人を入れ替えるのです」
ダメですよ、クリスラさん。不正なんて、リンシャルが許しても私が許しません。
それに、とても胸踊るイベントが始まるのです。私、待つなんて我慢できません。
なので、私は大きな声で叫びます。
「皆様、それでは聖女代理となられるアントニーナさんをご紹介致します!」
「……メリナさん、あなた、何を考えているの……」
クリスラさんの困惑は置き去りにします。
次の一手の為に、私は壁にもたれて座っているイルゼの傍へ向かいました。顔を下にして動きませんね。私が近づいたのにも気付いたことやら。
「イルゼさん、少し手伝って貰って良いですか」
「……はい」
私を一瞬だけ、キッと睨みました。でも、目が赤く、顔には涙の跡もありました。
聖女への憧れと執念と悔しさ、素晴らしい性格です。やはり使えそうです。
私が内心喜んでいると、しかしながら、突然、そんな彼女が表情を変えて喋るのです。
「メリナ様、大変申し訳ありませんでした。我が従者が失礼な発言を致したと記憶しております。今思えば、あの突然の失神も、メリナ様を侮辱した事をマイア様やリンシャル様が罰せられたのだと確信しております。私めと致しましては、今後は心を入れ換えて、全身全霊で聖女メリナ様にお仕え致します」
ん? 何かありましたっけ……。
……嘘です。はっきり覚えていますよ、うふふ。
自分の想いを殺して、スラスラとよくお喋りですね。流石は貴族様です。しかし、その上っ面の従順さは要りません。もっとドロドロした欲望を見せて頂きたく思っています。
「良いのですよ。気になさらず。では、これが最初の仕事となるのですね。さぁ、アントニーナのお手を取って、仲直りをしましょうね」
「……はい」
私とイルゼはアントニーナが固まっている反対側の壁へと向かいます。イルゼは私に並ぶことはせず、後ろを付いてきます。
それを見る人々は「メリナ、メリナ、メリナ!」と大歓声を続けておりました。私は笑顔で手を振りながら、しかし、イルゼにだけ聞こえるように口を開きます。
「アントニーナはアントンです」
「はぁ!?」
バカ、静かに聞きなさい。
「な、何よ、それ! とんでもない不正で御座いますわ! あなた、リンシャル様に罰せられたら宜しいのよ!」
だから、皆に聞こえてしまうって。クリスラさんにも「黙れ、このカス」って叫ばれますよ。だから、口を閉じなさい。
まだ罵倒を続けそうな雰囲気のイルゼに対して、私は歩みを止めずに厳かに言います。
「私の次の聖女イルゼよ、よく聞きなさい」
「!?」
ビックリした様子は感じました。しかし、私の次の句を待っている様です。
やはり、このイルゼは賢い。私を差し置いて、筆記試験二位なだけはあります。私が取引を持ち掛けようとしている事を彼女は鋭敏に感じ取れたのです。
しかし、ここは溜めです。
もう少し焦らした方が良いと、私、メリナの野生の勘が、いえ、淑女としての機微がそう言うのです。
観客からの私への声はまだ絶えません。にこやかな表情で、私はそれを受け止める。
アントニーナへ向かう途中、観覧席のコリーさんと目が合いました。
彼女は笑っていません。何やら緊張されている感じです。私が手を振ってもぎこちないのです。
近くに座る他の聖女候補さん達は私を祝福してくれていると言うのに何事なのでしょう。不可解ですわ。
ヘルマンさんは親指を突き出して「よくやった」と伝えてきました。私も満面の笑みで、同じく親指を突き出します。それから、ヘルマンさんに分かるように指でコリーさんを示す。
これで、ヘルマンさんはコリーさんが静かであることに気付いたようですね。後ろの席から背中を叩いて、励ましています。
なのに、コリーさんは浮かない顔のままでした。心配なさっているのですね。
アントニーナがアントンだと発覚することに。
もう本当に覚悟が足りないのだから。三人で決めたことじゃないですか。共同正犯ですよ?
「メリナ様、続きを聞かせて頂いて宜しいかしら?」
よし、イルゼさん、あなたはちゃんと決心が出来ましたね。私、嬉しいです。




