善良な民
アデリーナ様が王都の兵隊さんに話し掛けている所を散歩中に見ました。
兵隊さんは屈んでいる様に見えましたが、跪くどころか完全に額を土に付ける形での土下座です。お可哀想に。黒薔薇に脅迫されているのですね。
少しだけ親近感が湧きます。
「ふふふ、私が王家の者と知らずではあったのでしょうが、それにしても善良な民の村を襲うなど、王都の兵も堕ちたもので御座います」
「……」
ふーみゃんを抱いたアデリーナ様は兵隊さんを見下ろしながら言っています。
兵隊さんは背中を震わせながら動きません。
「カッヘルと申しましたね。王都立士官学校市民選抜科を次席で卒業。現在はクロッノル区の月光通りの四番街にお住いで、白馬通りの酒場の娘とそこそこのお付き合いだとか」
ひゃー、怖い。個人情報を完全把握じゃないですか。どうやって調べたのですか……。
カッヘルと呼ばれた兵の震えが大きくなりました。
「サリカさんでしたか。おめでとうございます。妊娠されていたようですよ」
酒場の娘さんですか? カッヘルとかいう人の恋人さんですよね。まぁ、アデリーナ様は極悪です。そんなお目出度い事まで脅迫にお使いなのですか。
「生まれてくる子には父親の顔を見せてやりたいものですね。そう思いませんか、カッヘル?」
「……」
カッヘルさんは黙っています。様々な感情を堪え忍んでいる様に思えます。私の胸も痛いです。
「でも、妊娠となると酒場で働くのは辛いかもしれませんね。私は心配で御座います。頼りに出来る者もなく、出産を手助けする者を雇う金もない。悲観して命を絶たれても、不思議ではありませんよね」
うわぁ、アデリーナ様、それはそう偽装して殺っちゃえるよって事でしょう? まぁ、アデリーナ様は本当に真っ黒です。
「……お、お許しください……」
「あらあら、何やら羽虫の音が聞こえたような……。私に出来ることは聖竜様に祈るのみです。王都にまで聖竜様のご威光が届くと良いのですがねぇ」
「何卒、お助けと慈悲を……」
「あぁ、哀れなるサリカさん。しかし、『何があっても受け入れよ。乱れぬ精神は死さえも包み込む』と聖竜様も仰っておられます。あなたにも救いがありますように」
聖竜様……。そのあなたのお言葉通り、雄化も受け入れて下さったのですね。有言実行、カッコいいです。
あと、アデリーナ様はそのような脅しに聖竜様を利用しないで頂きたいです。
あっ、ふーみゃんと目が合いました!
ふーみゃん、そこの黒いヤツには抱かれていてはダメだと分かったんですね。逃げ出したいんですね。いいんですよ、早く、私の下にいらっしゃいませ。
そのままでは、ふーみゃんが黒薔薇から悪い影響を受けて、また魔族フロンに化けてしまいます。そうなったら、私、駆除しちゃいますからね。
「あ、あくまで上官の命令に従ったまでで御座いまして王家の方が滞在されている村とは存じ上げなかったので御座います」
頑張りましたよ、カッヘルさん。プレッシャーに負けず、ちゃんと弁明を言えました。
さて、アデリーナ様はどうお応えしますか。
「まぁ、あなた……もしかして…………。その汚い口で私に話し掛けました?」
うわぁ。自分から話を振っていて何て言い種なんでしょう。性格、悪っ。
柔らかくて優雅に見えつつも、正しく邪悪な笑みを含んだアデリーナ様の口許。あんな感じでシャールの監視役の方々の処刑も見ておられたのでしょうかね。
まぁ、怖い。メリナ、失神しますわ。
冗談はさておき、この場は離れましょう。心が穢れます。黒薔薇の毒気から我が身を守るのですよ。
そんな事を思っていたら、横から呼び掛けられました。
「よお、メリナ姉ちゃん」
ん? 聞き覚えのある子供の声ですね。
アデリーナ様に注目しすぎて、周りが見えていませんでした。
私は声のした方を向く。
「レオン君! こんな所までどうしたの?」
そうです。ノノン村の少年レオン君です。彼が村を離れて、こんな遠くまで来たのは初めてではないでしょうか。
腰に剣まで差して、ちっちゃい、ちっちゃいと思っていましたが、成長されているのですね。
「鳥の卵を採りに行ったら、人が落ちてたんだ。メリナの母ちゃんに元に戻してきなさいって言われたから来てやったぞ」
レオン君が指す方向、ずっと後ろの柵の向こうに荷馬車が見えました。簡単な幌だけの素朴なヤツ。村の共用馬車ですね。
そっか、もうアレを使っても良い歳にまでなってるんだ。
「一人で来たの?」
「おう。凄いだろ」
村の伝統なんですよね。初めてのお使い。
きっと、どこかで大人が見張っているんです。肝を試す的な意味合いもあるんでしょう。
私の時は森の中で薬草を探すだったなぁ。で、途中で大きな熊と遭遇したんです。断頭して首だけ持ち帰ったら、もう熊鍋の用意がされていて、美味しかったです。大人の人が体の方を持って帰ってくれていたんですよね。
「あら、メリナさん。そちらの少年はレオン君でしたか」
あっ、アデリーナ様がこっちを見てしまいました。呪われますよ。
「うわ、スゲー。メリナ姉ちゃんがビビってる。金髪の人、やば。わっ、男の人を土下座させてる! うわぁ、ひど」
こ、これ、レオン君。そこに立っている女性は、一応、王家の人ですよ。ほら、服装とか上等でしょ。村に行った時は巫女服だったから覚えてないかな。いや、伝えてなかったかもね。
私、レオン君の放言でアデリーナ様がどんなお顔をされているか気にはなりますが、怖くて見れません。
「まぁ、いいや。鳥の巣にいた人は兵隊さんに返したからな」
卵から孵った雛がすぐに食べられるようにと親鳥に捕らえれていたんですね。そう言えばルッカさんもノノン村へ向かう際に赤い鳥に襲われていましたね。
「じゃあな。帰るから」
アデリーナ様の気分を害したまま帰るのかよ……。
レオン君はそのまま乗ってきた馬車へ走って行きました。んー、大丈夫かな。私も付いて行った方が良いとは思うのですが、でも、村の伝統ですからね。独りでやり遂げた形にしてあげないといけません。
「カッヘル、良かったですね。大事な副官が戻ってきたのだと思います。あなたの罪が少し和らぎましたよ」
まだ続けるんだ、アデリーナ様……。とことん、逆らわないように心を折っていくんですね。
黙って聞くしかないカッヘルさんもお疲れ様です。
しばらくしたら、カッヘルさんは解放されました。というか、アデリーナ様が去られたのです。
私は追い掛けて、借りていたハンカチをお返ししましたが、受け取ってくれませんでした。私に与えると言っておられましたからね。
序でに、先程のカッヘルさんが気の毒だと伝えました。
すると、澄まし顔で私に言ってくるのです。
「メリナさん。彼は王都を裏切っております。そのような組織よりも自己を優先する輩を使っていくには恐怖が一番なので御座います。降り掛かる死への怖れは気紛れを抑制します。そして、彼が成果を出した時に、少しの愛情を見せて、完全な支配が出来上がるのです」
あらまぁ、アデリーナ様は重症で御座いますね。早く離れた方がいいですよ、ふーみゃん。
アデリーナ様はそのままご自分の家へと帰って行かれました。私は残されたカッヘルさんに近付き、起こしました。
「もう戦争も終わりますよ。王都に帰られても宜しいのでは?」
「……軍に俺の居場所は無くなってるんだ……。このまま王都に戻っても、良くて免職だ……。俺にはあの王家の方の助けがいる」
案外に平気そうで良かったです。
「あいつ、鬼ですよ。味方の顔をして戦闘中に私の両股を背後から矢で貫いたのです」
よくよく考えたら、あいつこそ、自己を優先する輩ですね。
「……せ、聖衣の巫女を……?」
私は黙って首肯く。
「それでも付いていくしかないんだ」
「分かりました。ならば、私が彼女の凍える心を融かす方法をお教え致しましょう」
カッヘルさんは涙目で私を見詰めてきました。
「こう言うのです。『素晴らしくお強い方のお体は、やはり違いましたね』と」
これは魔族フロンで実証されています。
「そ、それはどんな意味が……」
意味? アデリーナ様がカッヘルさんをふーみゃんだったのかと勘違いすれば優しくなるかもしれませんよ。それは、とても良いことだと思います。
そして、今のふーみゃんは私の物となるのです。うふふふ。




